ウランバートル探訪記2009(3)

3月10日(火) 
(7)広場 

昨夜は疲れていたのか、よく眠れた。今日も快晴。9時半出発。アポが上手く取れなかったと言うことで午前中は観光。私にとっては願ってもないこと。

先ずは司馬遼太郎が宿泊したウランバートルホテルへ。ホテルは市内中心部にあり、ホテルの前には今もレーニンの像がある。これは極めて珍しいのではないか。思わず写真を撮る。

司馬は73年、90年の2回UBを訪問している。このホテルの印象を『県庁所在地の一等郵便局に似ている』と言っている。言い得て妙である。ホテルは60年代に中国の援助で出来たとある。因みにUBの主な建物は1954年以降にロシア風にモンゴル人の好みを入れた世界でも独自の都市景観をなしている。その中で中国の援助とは。

ホテルの中に入ると重厚なロビーがある。司馬は郵便局風と描いているのでリノベーションされたのだろう。重々しい階段が正面にある。大理石だろうか。2階に上がると、レストランがある。雰囲気が良さそうだ。朝食はここだったろうか。3階にはカシミアショップもあった。

ホテルとしてはかなり古くなっており、旅行社も勧めないらしい。歴史的建造物としての役割があるのだろうか。日本大使館が73年に開設された時もここであった。

あのツェベクマさんが勤めていたのもこのホテルの渉外係りとしてであった。中国語とロシア語、日本語が堪能ということで採用された。と言っても『草原の記』によれば、中国の反右派闘争に巻き込まれて命からがら、娘を連れて逃げてきたと言う。無国籍となった彼女を受け入れたモンゴルの懐は深い。10年後には国籍も与えた。今の日本に聞かせてやりたい。

司馬の話に出てくる中央公園は今はないようだ。その隣にいきなりオペラ座が出現した。この建物は終戦後シベリア送りとなった日本人捕虜の一部がモンゴルに送られ、彼らによって建てられた。実に複雑な思いのするビルである。隣には高層ビルが建設中で、オペラ座の姿勢のよさが目立った。

Uさんによれば、隣のスフバートル広場にある政府宮殿も捕虜の手によるらしい。近づいてみるとかなり重厚で立派な建物である。真ん中にチンギスハーンの坐像があり、ちょうど清掃員がよじ登って掃除していた。何ともユーモラスな風景であり、更に気持ちを複雑にした。

スフバートルの騎馬像が広場の真ん中にある。スフバートルは1921年のモンゴル革命の指導者で23年に若くして亡くなった英雄。像は1946年に造られた。朝から多くのモンゴル人が見学に訪れていた。モンゴルの正装をしている人もいた。

広場の反対側には証券取引所があった。これも由緒正しそうな場所。しかし殆ど人の出入りもなく、閑散としている様子。Xさんは入りたそうにしていたが、『中国人は嫌われる』ということか、いつもの行動力がなく、そのまま去る。

我々二人がふらふらしている間、待っていた車ではハプニングが。何と駐車違反で罰金を取られた。しかしそこはUさんとN先生、罰金を支払いながらも警官にインタビューを敢行。昨日学んだ革靴について、確認したとか。さすが。

(8)デパート 

ノミンデパートへ。ノミンというから農民を連想していたら、6階建てのソ連風のしっかりした建物が出現。ノミンとは大手電気店の名前でここがこのデパートを買収したとか。北京でも土産物はノミンデパートで、と言われていたので、勇んで入る。

入り口付近には車が展示されている。今車は高嶺の花ということか。その後ろに両替の表示があり、表示板は人民元もレートが出ている。試しに100元札を出すと、直ぐに22,600Tを手にした。成程、人民元は普通に流通しているのである。

このデパートはかなりレトロ。2階に上がる階段は100年前の造り。正直内容は80年代の中国の国有デパート。売り子に覇気はなく、おしゃべりに夢中。高級デパートと言うことか、客もあまりいない。

5階まで上るとCDを売っていた。家内への土産として最も流行っている音楽CD2枚をUさんの支援を仰いで購入。特に中国と違和感のないジャケット。若者は似たようなものを聞いているようだ。

そしてその向こうは所謂外貨ショップ。日本をはじめ海外から輸入した電化製品、携帯などを売っている。韓国製も多い。Uさんが突然『久しぶり』と言った感じで若い女性に声を掛ける。お洒落なめがねを掛けたその女性はどこかモンゴルっぽくない。

聞けば横浜に1年留学したとか。日本はよかったと言う。UBに戻ったもののいい仕事は見つからない。物価は昨年後半からどんどん上がっている。給与は少ない。仕事に張りはない。何だかかわいそうな気がした。先進国を一度見た人はもう元には戻れない。

結局買ったのはCDのみ。岩塩もいい土産と聞いていたが、何処にあるか分からない内に時間が来てしまった。Uさんは急いでみんなを探している。何処へ行くのか??

(9)銀行 

Uさんが11時半に銀行に予約した、と言う。銀行に行って何するんだ?予約が要るのか?半信半疑で車に乗り、ハーンバンクへ。

市内中心部に立派な本社があった。入り口にATMの機械があり、『銀聯』のマークが付いている。やはりUBでは人民元が普通に下ろせる。うーん、人民元経済の始まりだ。

立派な会議室に通される。何とこれから副頭取が出てくると言う。しかもアメリカ人。どうなるんだ?しかも聞けば、この銀行、日本のHISの澤田社長が筆頭株主とか??日本では考えられない展開。

B副頭取は米国で邦銀勤務が長く、リタイア後縁あってUBに来た。既に2年半住んでいるが、生活は悪くないと言う。銀行の方は大企業の殆どないモンゴル、昨年の金融危機後は貸出もストップ。銅価格の下落、カシミア輸出の不振など経済は深刻。個人客の延長線上で営業。

モンゴルは現在IMFからの資金援助で生き延びようとしている。その上でポーズとしてアジア開銀あたりの保証を付けた国債を海外で発行しようという動きがある。発行できればモンゴル史上初、できるかな??更には中国やロシアからも援助を引き出そうとしている。ハーンバンク自身も2007年ごろ、シンガポールあたりで債券発行を計画したが、結局出来なかった。今後はどうなるのか??米ドル金利は8.4%と高利、外貨が如何にないかが分かる。

B氏は極めて分かりやすく説明してくれた。彼は英語で話し、通訳はKさんと言う日本人がしてくれた。人民元の話題を振ってみたが、あまり反応は無かった。人民元決済がUBで出来ることは事実だという。但し思っているほどのボリュームが無いらしい。将来は大きくなる、と言う感じ。

お昼を過ぎている。B氏は西洋人とランチの約束があると言って、席を立った。この風景はモンゴルではない。如何にもウエスタンスタイル、いい感じだ。我々もモンゴルらしくない、銀行ビルの向かいにあったマルコポーロというイタリアンレストランで優雅にランチを食べた。

因みに帰国後、モンゴルを知るために読んだ『モンゴルが世界史を覆す』(杉山正明著)によれば、『マルコポーロはいなかった。マルコポーロ旅行記と称する雑駁な写本群の良い所だけを繋ぎ合わせて、あるべき理想の「完本」を作ろうと努力した人ひととが過去に幾人もいた。』とか。面白い。

(10)カシミアショップ 
午後は時間があるというので、カシミヤショップに連れて行ってもらう。N先生などは何回も行ったということで興味が無いらしく、申し訳ない。空港に行く途中にゴビショップと言う店がある。建物が垢抜けている。店内もユニクロを思わせる展示(かなりゆったり置いているが)。北京でヒアリングしたAさん、Oさん共にお勧めの店。

Uさん曰く『ここもHISの澤田社長が昨年投資しました』、なるほどそういうことか。道理で日本的。デザインもなかなかよく、買うつもりは無かったが熱心に見た。するとUさんが母親ばりに甲斐甲斐しく、品定めを始め、勧めてくれる。店員以上の熱心さだ。結局ゴルフ用のセーターと会社にも着ていけるセーターの2着を購入。カシミア100%2着で日本円1万数千円。かなり安い。満足。Xさんは必死で女性物を物色。お母様と奥さん用だとか。これが日本人と中国人の違いか。

それにしてもHISの戦略が見て取れる。モンゴル旅行を企画し旅行業で儲け、両替など銀行業も手掛け、お土産も買わせる。この店でも人民元現金、銀聯カード、クレジットカードのどれもが使えた。違和感なし。しかし一体日本人は年間何人来るのだろうか??

(11)馬の乳 

午後の企業訪問はモンゴルらしい『馬』に関連した製造業。ここも国有企業らしい工場街の一角にあった。しかし中に入るとゆったりしたオフィススペースにPCが並び、皆欧米の雰囲気で仕事をしていた。

副社長で博士という女性A女史が説明してくれる。彼女は英語も問題ないようだ。同社は出資の半分が日本人個人。特に経営に口を出すことは無く、毎年1-2度やってきて、製品を持って帰っていくだけだそうだ。

同社は遊牧民を囲い込み、馬の乳を搾ってもらい、それを集めて粉末にし、薬品やクリームを製造。抗がん作用もあるというが如何か?シベリアでは結核に効くということで需要がある。チャガ茶と言うお茶もがんに効くらしい。日本ではどうであろうか?

馬の油(たてがみの下の部分)も使う。固まり難いらしい。馬乳と馬油をあわせて塗ると効果的。馬の肉は食べないらしい(馬肉は日本だけの習慣?)。

モンゴルに馬はどれくらいいるのか?良く分からない。同社では60以上の遊牧民と契約し、乳を取りに行く。真夏は2時間に1回、一日4?程度絞ることが出来る。事業規模は小さいがモンゴルらしい業務といえる。

帰りにN先生が昔取材した繊維会社が近いというので訪ねて見た。ところが既に工場は閉鎖され、人影が無かった。社長を探したが見つからない。倒産してしまったのだろうか?モンゴルにも不況の波は確実に押し寄せている。

ホテル近くに戻り、スカイショップと言うデパートへ行く。目的は地図を買うこと。ついでにスーパーで岩塩を購入。モンゴル岩塩は質が高いということで有名。購入した物は全て日本語で書かれており日本輸出用。日本では値段も高いようだが、ここでは200gで150円程度。お土産として買い込む。後日使用してみると少し甘いが野菜炒めなどにはちょうど良い。ここでも人民元は普通に使えた。

夜は東京通りと言う名前の道にあるウクライナレストランへ。ウクライナは料理が美味い、と聞いていたが、確かに。ロシアンティーも慣れてくると何杯でも飲める。きれいな造りのレストランでリラックス。明日はどうなるのか?

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