出雲一人旅1999(2)歴史の宝庫 松江

3.松江
(1)松江の宿
松江に着いた。正直疲れていた。何はともあれ今日の宿を探し、風呂に入りたい。どこに旅館があるのか分からないので、ガイドブックで適当な所に電話を入れる。1軒目は満室だと丁重に断られる。2軒目で出た男性はやはり満室だと言いながら、何となく不審な声であった。当日突然やって来た者を受け入れる雰囲気がなかった。

疲れが倍加した。ちょっと重い気分で受話器をとり3軒目へ。野津旅館は快く受け入れてくれた。しかも駅から歩いて5分ぐらい。早々行ってみるとかなりきれいな旅館である。4年前に改装したそうだ。元々は明治36年開業の老舗旅館。良いところに宿を取った。ここの4階にはきれいな大浴場があり、露天風呂も付いていた。こんな松江の街中に露天風呂とは?しかも目の前は宍道湖に流れ込む大橋川。部屋に入って5分、大の字になると疲れが吹き飛び、市内散策に出掛ける。

(2)松江城
大橋川沿いを歩く。松江大橋を渡ると両側に旅館がある。右側は先程宿泊を断られた大橋館。小泉八雲がこの場所にあった富田旅館で宍道湖の景気を眺めながら執筆活動をしたという。左側には鯛めしで有名な皆美。

その北側には土産物屋が並んでおり、更に行き堀を渡ると松江城が見えて来る。1611年出雲城主堀尾茂助が築城した。全国で天守閣を有する12の城のうちの一つ(山陰では唯一)。堀尾といえば、若い時に秀吉に見出された男。土豪の出であった彼は山内一豊などと共に秀吉の家来となり、関が原では東軍へ。戦後息子の戦功もあり、松江に封じられた。

この城は華美を一切排除して、実践重視で造られている。もう一月すると桜がきれいに咲くのであろうか?石垣の石が鮮やかである。坂を登っていくと観光客が沢山いる。天守閣に登る。地下には籠城用の貯蔵倉庫があり、石垣に近づく敵を防ぐ、石落しがある。寄木の柱は普通の柱より強さがあるという。最上階6階(約30m)から見る松江はなかなか素晴らしい。まさに一望出来る。宍道湖は輝いている。反対側は遠くに田畑が広がる。城の裏手より出る。鎮守の森が広がる。

(3)小泉八雲
『耳なし芳一』『むじな』などの作品で知られるラフカディオ・ハーンは数奇な運命を背負っている。1850年にアイルランド人の父とギリシャ人の母の間にギリシャで生まれる。6歳で両親が離婚、アイルランドの大叔母に引き取られたが、16歳で左目を失明。父も病死し、翌年大叔母が破産する。19歳でアメリカに渡り、24歳で新聞記者になり、40歳でハーパー紙の特派員として来日。

東京帝国大学のチェンバレン教授などの紹介で、松江に英語教師として赴任。住み込みの女中として世話を焼いた小泉セツと結婚。松江の風物を気に入っていたようだが、右目が寒さに耐えられず、嘉納治五郎が校長を勤めていた熊本五中に移った。

八雲が松江で書いた『忘れえぬ日本人の面影』には松江で起こった心中事件が語られている。又日本人の微笑みの意味を理解しようとし、また他の異国人に伝えようという姿勢が見える。夫が死んだのに笑っている女、黙って叩かれた後腹を切ったサムライ老人など理解出来ない日本人が登場する。

塩見縄手の最北端にある小泉八雲記念館には八雲ゆかりの品々が展示されている。武家屋敷を改造している。隣には小泉八雲旧居がある。やはり武家屋敷である。奥さんセツは武家の娘である。八雲は『庭のある侍の家に住みたい』としてここを借りた。新婚生活を送った場所である。枯山水の庭を八雲は気に入ったのだろうか?

(4)松平不昧
更に八雲旧居の隣に田部美術館は茶道をテーマにしたユニークな美術館。これが博物館でなく、美術館であることが不思議である。田部家は山陰の山林王と呼ばれ、相当の財力を武器に茶器を集めたようだ。勿論不昧公ゆかりの茶道具も並んでいる。

松平不昧は松江藩七代目藩主。1751年生まれ。17歳で藩主となり、藩政改革を行うなど業績を上げた(しかしその方法の中には農民の年貢を上げる、商人からの借入を一方的に帳消しにするなど荒っぽいものがあったとか。)。若い頃から茶の湯を習い、藩財政が豊かになるに連れて、名物茶器の収集に没頭。遂には『古今名物類聚』18巻を著す。

美術館の横の石段を上がる。結構急である。上には明々庵がある。元々有澤家に不昧好みの茶室として造られ、不昧も度々訪れたという。『明々庵』の額は不昧公直筆。その後東京の松平家などを転々とし、1971年に現在の地に移築された。

この茶室は非常に形が良い。藁葺きの屋根も落ち着きがある。遥か向こうを見ると松江城が僅かに見える。ここで抹茶を頂く。私は抹茶を飲むことは殆どないが、この茶室の横にある新しい建物に入り、畳の部屋で抹茶と和菓子を頂く。他に客もなく、落ち着いた気分になる。

(5)宍道湖
レイクラインという観光バスに乗る。これは松江市の名所を1時間でぐるっと1周する。なかなか便利な乗り物である。疲れたので宿の方角に乗る。ところが方向を間違えており、反対に宍道湖のほうへ向かう。松江温泉で降りる。松江温泉には大型のホテルが数軒軒を並べている。一瞬ここに宿を取るべきだったと後悔したが、近くに大型観光バスが数台停まっているのを見て思い直す。きっと夜は騒がしいに違いない。

宍道湖は周囲48kmで全国6番目に大きな湖。中海と繋がっているため、海水を含む淡水であり、宍道湖七珍と呼ばれるほど魚介類が豊富。湖畔に出ると心地よく散歩ができる道がある。千鳥公園があり、休む。

曇りがちの天気であったが、薄日が差してくる。まるで私が湖畔に来るのを待っていたかのように、徐々に夕日が大きくなる。大きくなりながら、日が沈んでいく。非常に幻想的な景色である。さすが神の国、と思ってしまう。ここ宍道湖は夕日が有名であるが、こんな夕日が見られるとは思っていなかったので、感激である。因みに夕日を長い間眺めた後、湖畔を歩いていくとオープンしたばかりの県立美術館が見えた。非常に立派な美術館であったが、時間が遅く入管できなかった。

宿に戻って4階の露天風呂に入る。実に気分がよい。極楽である。思えば本日は山の中あり、湖ありでよく歩いた。その疲れが吹き飛ぶほど風呂はいい。夕飯は狭い食堂で一人で食べた。なんとなく寂しい感じであったが、よほど気分がよかったのか、ビールを一本頼んで飲む。ほろ酔い気分に疲れた身体とくればすぐに寝入ってしまった。

3月10日
4.風土記の丘
(1)県立八雲立つ風土記の丘資料館
翌朝爽快に起き上がる。7時には朝ごはんを食べる。旅館の朝ごはんであり、この焼き魚が美味かった。旅館に荷物を置いたまま早々に出掛ける。目的地は八雲立つ風土記の丘。出雲神話のハイライトである。

駅前からバスに乗り20分。県立八雲立つ風土記の丘資料館に着く。広い公園である。なだらかな丘陵となっており、如何にも神話の世界を感じさせる。資料館の建物自体が前方後円墳の形をしているのがユニークである。考古学上有名な荒神谷の銅剣、邪馬台国の卑弥呼のものと言われる「景初三年」銘入りの三角縁神獣鏡など、出雲地方全土で出土された数々の土器、銅鐸、埴輪などが展示されている。

外には岡田山古墳がある。久しぶりに古墳の全景を見る。隣にもう1つある。大きい方は直径43m。小さい方は24m、全国的にも有名になった「額田部臣」という文字が入った大刀や馬具、鏡が見つかっている。近くの畑の中には岩屋後古墳もある。一体誰の墓であろうか?古代出雲にはかなりの集落が存在している。

しかしここにいると何故か落ち着く。何となく遠くの方を見ている自分に気付く。日頃は遠くを眺めることなどないのである。目の前のことに囚われ、目先のことしか見ていないことを反省する。これも神のなせる業であろうか??

(2)神魂(かもす)神社
八重垣神社に向かって歩き出す。普通はバスに乗っていくのだろうが、天気も若干寒い程度であるから、歩きたい気分になる。道はよくわからないが、何とかなるだろう。いい加減さが出た。

すぐに出雲かんべの里と書かれた看板がある。普通であれば入ってみるのであるが、何だか人工的な感じがして素通りする。ここ出雲では自然であることが望まれる。道端に小さな花が咲こうとしている方が大きな発見である。

ゆっくり歩いて10分ほどで神魂(かもす)神社に到着する。桜の並木を過ぎると本殿が見える。これはすごい。古さの中にきっぱりとした形が見える。1346年建造で、1583年に再建された現存する最古の大社造り(国宝)である。荘厳という言葉がぴったりする。

高床式で実にシンプル。周りは森閑とした木々に囲まれており、神の存在を感じさせる。名前の由来も神座所(カムマス)から来ているらしい。霊験あらたかである。規模は出雲大社の半分であるが、観光地化されていないせいか、こちらの方がよほど緊張を覚える。境内には非常に珍しい貴布禰、稲荷両神社が並ぶ二間社流造りの神社もある。国の重要文化財となっている。さり気なく建っているが、室町時代の創建。このあたりの奥の深さは相当なものがある。

(3)八重垣神社
神魂神社から八重垣神社までは直線距離では大したことはない。地図でも近そうであったので、気軽に歩き出す。何しろ神魂神社を見た後である。目を瞑って歩きたい。少なくとも車には乗りたくない。田畑の間を抜け、学校の横を通り、集落をいくつか過ぎた。早春の爽やかな散歩を十分に楽しむ。20分は歩いた頃、ようやく八重垣神社が見えてきた。ちょっと疲れる。

日本最古の和歌といわれる「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」でしられる神社。須佐之男命と稲田姫が祭神。昨日の須我神社と同じ由来(元々八重垣神社も須我神社の場所にあった)。出雲大社と比べても由緒は正しい。

須佐之男命と稲田姫が結婚(日本で初めて??)後新居とした場所であるということで八重垣神社は『縁結びの神』として有名である。本殿から小高い奥に歩いていくと木立に囲まれた所に池がある。鏡の池と呼ばれ、稲田姫が鏡の代わりに使った池といわれている。

多くの女性観光客が来ている。普通は年配者が多いのだが、ここには若い女性も結構いる。恋占いという如何にも女性に受けそうな作業がこの池で行われる。まず神社の社務所に行って100円で占い用紙を購入、この紙の中央に10円もしくは100円を乗せそっと鏡の池に浮かべると文字が現れる。次にこの紙が池の中に沈むまでの様子で良縁を占う。15分以内に沈むと早く良縁に恵まれ、30分経っても沈まない時は縁遠。また近くに沈むと近くの人と、遠くに沈むと遠くの人と縁があるらしい。

これまで古代の日本を歩いていた私であるが、突然現代に引き戻された感じである。近くの女性の話しを聞いていると夢もロマンもない。紙が沈むことにのみ囚われていて、歓声を上げているが、ここの由来などにはまったく関心がないのであろう。残念であるが仕方がない。帰りもおばさんの集団と一緒にバスに乗る。うーん、本当に古代ロマンと現実のギャップに苦しむ。折角神魂神社で得た古代神話の叫びが掻き消えていく。

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