インドでアユルベーダを2017(14)女子校の日本発表会

先生は私を面白い人間だと思ったらしい。実は彼女は年に3回、オーストリアにアユルベーダ治療に行っているという。オーストリア人に彼女の患者がおり、大きな屋敷を使って、クリニックのようなことをしているらしい。暇なら、そこへ来ないか、と誘ってくれた。これはとても興味深い話なので、何とか日程を合わせて、東欧訪問を実現したい。

 

昼の12時にラトールさんがやって来た。今日はクリニックを退所する前に、A師から学校見学に誘われていた。ランチも外で食べるというので、もうほぼ退所状態となった。3人でまず向かった先は、日本人の日本語教師H先生の家。JICAから派遣されている先生で、過去に韓国やマレーシアで教えた経験がるという。

 

プネーの生活はどうですか、と尋ねると『2年の契約が終わったらここを離れたい』という。理由は食生活など、違いが大きすぎることらしい。韓国や東南なジアでは食事でこんなに苦労することはなかった、と話す。確かに一人暮らしでも、東南アジアなどで食事に困ることはあまりない。だがインドで毎日外食、というのはかなり辛いかもしれない。外食産業が発展したと言っても、あくまでマクドナルドやスターバックスの話であり、ある程度以上の年齢の日本人にはあまり必要ない場所かもしれない。

 

経験がかなりあるこの先生ですら、この文化都市、静かで治安も悪くないプネーでさえそうなのだから、他のインドで暮らしていくのは相当に大変だろう。現地化すると言っても、日本人は東南アジアまでが限界なのだなと再認識した。インドと日本、やはり距離は思った以上に遠い。

 

ランチは久しぶりに、いや今回初めて、レストランへ行く。ターリーを食べる。正直何を食べてもスパイシーに感じられ、舌先で何かを感じてしまう。でも食べたいという気持ちが出て食べていると、どんどんお替りが運ばれてきてしまう。クリニックの食事とのあまりの違いに戸惑ってしまう。

 

いつの間にかお客で満員の店内。外食が少ないとは言っても、人口も多いのだから、食事する人が多いのは当然だ。ナイニーカとシバさん(日本語の先生)も合流する。彼女らはバイクでやって来た。因みにナイニーカのバイク姿は顔にスカーフをぐるぐる巻きにしていて、まるでイスラム教徒かと思った。街にイスラム教徒が増えたな、と思ったのは、実は埃避けのスカーフのせいだったようだ。最後にアイスまで食べてしまった。冷たい物が腹に入ると、かなりヒヤッとして、心配になる。相当敏感になっている。

 

それから学校へ向かった。そこは創立75年の歴史を誇る女子校だった。いい感じのレンガの校舎、中に入ると広い校庭が目に入ってくる。いきなりある教室に案内された。その入り口には浴衣を着たインド人の女に子たちが立っており、『こんにちは』と日本語で挨拶してくれた。

 

ここはラトールさんが日本語を教えている学校で、教室に集まっていたのは、その日本語クラスの生徒たち。中へ入ると、既に全員が来ており、テーブルごとに、何かを展示している。我々が各テーブルを回ると、そこでこれまで調べてきた日本についての様々なことを次々と発表してくれた。

 

日本の学校、相撲、庭園、などについて、実際の模型なども作り、手書きやパワーポイントで、要点をまとめ、英語で説明してくれた。小学校高学年から中学生が在籍するこの学校、生徒の背の高さもまちまちだが、その発表内容も様々。こういうのを見ていると、インド人からは日本という国がどのように見えているのかが、少しわかったようで実に面白かった。

 

『日本の災害』というテーマでは、実際に火山の模型が作られ、液体を入れて噴火の様子を再現していた。プネーには地震もなく、自然災害が少ないようで、日本はある意味で怖いところと映っているかもしれない。『日本の食』ではなぜか豆腐スムージーというのが作られていた。基本的に日本食になじみがない彼女らだが、豆腐は日本の物として認識しているらしい。

 

茶道というのもあったが、実際どんなものかは分からなかったらしい。一方花道は見事なフラワーアレンジメントが出来ており、こちらの方が分りやすいのだな、と思っていたら、後からサリーを着た日本女性が入ってきて、彼女が教えたということだった。彼女はインド人と結婚して最近プネーに住み始めたらしい。未知の物に対しては、先生が必要だ。

 

一通り発表が済むと、我々が気に入ったものを選び、1-3等が選ばれた。それから日本語の歌が歌われる。『結んで開いて』や『大きなクリの木の下で』など、子供時代にしか歌ったことがない歌。生徒が大きな声で、振りを付けて歌っていると、日本語のH先生も一緒になって歌う。この辺はさすがプロ。あっという間に生徒に溶け込み、日本語を教えている。

 

部屋の真ん中には、これまで集められた様々な日本に関する品物が展示されていた。ラトールさんが日本から持ち帰った物も多いという。H先生はその中のけん玉を取り出し、やって見せる。こういう目に見えるものが若者には受けがいい。コマ回しは、なかなかうまくできなかったが、皆興味津々だった。

 

会の後、校長先生からチャイをご馳走になる。一人の生徒が入ってきて、歌を歌ってくれた。とても純粋で澄んだ歌声だった。ドキュメンタリー映画を作成したという子もいた。実に多彩だ。校庭では日本でいうなぎなたの稽古のようなものが行われていた。護身目的ということだが、何となく軍事教練のように見えてしまったのは、目の錯覚だろうか。インドの現実は女性だからと言って、容赦はされない、様に思えた。

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