香港歴史散歩2004(17)黄竹坑

《香港歴史散歩》 【香港ルート22 黄竹坑】 2004年10月22日

本日は重陽節で香港は休日。長男の中学最後の運動会ということで家族で香港仔の運動場(アバディーン スポーツグラウンド)に行く。天気は快晴、風は爽やか。多少暑くはあるが、運動会日和といえる。運動場のある場所は香港仔というよりは黄竹坑というのが相応しい。その昔は大きな河で周辺には黄金色の竹が茂っていたことから名付けられたという。黄竹坑は旧称を香港圍と言い、現在の香港という名称の起源とも言われている。19世紀初めには外国船が黄竹坑の沖に停泊。外国人が最も早く知った名前が香港圍であった為、『香港』と呼ばれるようになったとか。

1.大王爺廟

運動場の南側、香葉道を西に歩くと道の北側は古い工場ビル(フロアー毎に会社が違う香港的な工場)、南側は小さな河が流れている。直ぐに南朗山道との交差点に大王爺廟がある。20世紀初めにこの場所で一木造の神像が発見され、黄竹坑旧村に移したところ多くの人が参拝したという。第2次大戦後廟は別の場所に移されるが、1982年に元の場所に戻り1986年に廟が建てられた。

廟はかなり新しい為重みは無いが、壁には不思議なレリーフが嵌め込まれている。顔は人間のように見え、体は獅子のよう。何故ここにこんなものがあるのか?更にその横にはタイでよく見る四方に小さな仏像が入っている塔のようなものがある。どんな関係があるのか?堂内には大王爺の坐像が置かれている。大王爺とは明の太祖朱元璋の甥で後に奸臣に殺害された人物と言われている。民間信仰で神として拝められている。裏にはきれいな観音像と小さな仏像が幾つも置かれている。

 

2.黄竹坑石刻

南風道。大王爺廟から北に行き、黄竹坑道に出る。左に曲がり、先程の運動場を右に見て通り過ぎると南風道とぶつかる。南風道を登っていくと、右側に南風径が見え、旧村の看板が見える。

 

 

左側には工事中の現場があり、その脇にひっそりと階段がある。上がって行くとそこに『古代石刻』がある。大きな岩に螺旋の模様などが薄っすら描かれているが、言われないと分からない。3,000年ほど前の青銅器時代の文様に似ているそうで、その時代に先人がおり、描いたものと推定されている。香港にもこんな歴史があったのか?香港全体では8箇所ほどこういった石刻は発見されている。下には小川が流れ、小さな渓谷になっている。目の前が開発され、ビルでも建てば、折角の古代へのロマンも台無しである。

3.黄竹坑新圍跡

先程の南風径に戻り、旧村を目指す。10分ほど歩くとそこは香港仔トンネルの真横であった。古い家というよりバラック小屋程度の民家が数軒ある。多くの粗大ゴミが見られるので、どうやらここはごみ収集で生計を立てているらしい。犬が2匹よそ者の侵入に目を光らせている。しかし何で看板まで出してここに誘導しているのだろうか?

香港仔トンネル前の道を横切り、反対側へ。黄竹坑新圍がある。1890年に周一族によって建てられる。100年に渡って栄えたこの村であるが、旧村同様古い民家が数軒あるのみ。周りにはきれいな公園が作られており、既に歴史的な役割は終了した、といった印象。ガイドブックでは研究目的に2つの旧家が保存されているとのことであったが、探しても見つからない。1つの家が丁度修理中?であり、恐らくこの家が旧家であろう。家の前に門があり、中は天井が高い土間のようになっている。

香港島にもまだこんな場所があるのかと驚く。逆に言えば香港島は近年北側が急速に発展してしまい、南側の一部が取り残されていると言うことだろう。

 

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