《台湾茶産地の旅-2001年坪林》

《中国茶産地の旅-台湾編》

2.2001年7月 坪林
(1)台湾へ
2001年5月に北京より香港に転勤になった。香港勤務は2度目だが、今回香港で真っ先にしたかったことが台湾訪問。北京で中国茶修行を1年以上行うとどうしても台湾の高山茶が買いたくなった。

赴任して直ぐに香港返還記念日の3連休があることに気付く。早々飛行機を予約。同じ会社のOさんが同行。5年ぶりの台北に胸が高鳴る。キャセイのパッケージで予約したホテルはインターコンチ。5年前にはそんなホテルはなかった。やはり台北は変わったのか?ホテルに着いてみるとそこは昔は別の名前だったホテル。リノベーションしてきれいになっていた。街全体も心持きれいになっていた。

(2)新しい茶芸館
台北にはおしゃれな茶芸館が沢山あると聞いていたので、先ずその内の1軒に行く。『回留』という名の茶芸館は小さな公園の横にあった。まるでフレンチレストランのような外装で、如何にも若い女性が好みそう。

 

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中に入るとかなり広い。裏には陶芸場(?)のような施設もある。特級の高山茶を頼む。蓋碗を頼み、入れる。香が重い。どうやら重火で焙煎しているようだ。香ばしい感じはある。オーナーの女性は『有機栽培により環境に配慮した茶を心掛けている』という。お茶請けに甘いお菓子やひまわりの種が出る。

1時間ほどいたが、お客は日本人の女性が多いので驚く。昔台湾に若い女性の二人連れなどはあまり来なかった。世の中は変わったのだなと思う。皆ガイドブックを片手に探してやってくる。しかしこれでは、表参道の茶荘に行くのと変わらない。彼女らは台湾に何を求めてやってくるのだろうか?

夜は『竹里館』という茶葉料理で有名な店に行く。昔からの友人、王さんも一緒だ。王さんもこの店は初めてとのことで、きれいな店で驚いていた。確かにきれいで、日本人に受けそうな感じである。

お店の人に聞くとここも日本人客が多いという。棚を見ると高そうな高山茶が並んでいる。しかも陳年という年代物だ。毎年一度焙煎を行い、風味を保つ。よく烏龍茶は何年持つのかと聞かれるが、ある意味では何年でも保つといえる。但し風味や品質は変化するが。

茶葉料理は先ず先ずであった。龍井茶を使った定番、龍井蝦仁、ジャスミン茶とあさりを使った台湾的なスープ、清香茶蛤蜊湯、そして高山茶炒飯。あっさりしていて、食べ易い。しかしお茶代も入れて、一人日本円6,000円もするのは、日本価格か?

 

(3)馴染みの茶荘
『回留』や『竹里館』のような比較的新しい茶芸館は中国茶の世界を広げられるが、やはり私にとっては台湾の馴染みの茶荘が心地よい。実は前回の香港駐在中、台北出張の折には必ず立ち寄っていた茶荘があった。そこは大きな通りから少し入っており、正直道も忘れてしまっていた。あれから5年、もしかしたら店も無くなっているかも知れない。

そんな不安を胸に道を探す。漸く何とか辿りつく。驚いたことにその店は5年前と全く同じ姿であり、中を覗くとおばさんが5年前と全く同じ姿でお茶を入れていた。入ると相手も一瞬『誰だっけ?』という顔をしたが、直ぐに思い出したように『歓迎』という。

以前出張で来た時は、お茶を買うというよりも台湾の経済情勢を聞くという意味合いが大きかった。お茶は嗜好品であり、景気が良いとよく売れ、悪いと売れ行きが悪くなる。また茶を買いにくる人々から色々な情報が入る。台湾株や台湾企業の話も出来る。業務上も便利であった。(江戸時代の髪結いのようだ)

今回も行く早々銀行がどうしたの、台湾の失業率が上がったの、と話が弾む。同行したOさんは目を白黒させている。何でお茶屋のおばさんが失業率が5.3%であることを知っているのか?それが台湾なのである。そしてそこが日本の弱いところではないのか?

この店の夫婦は台湾中部の南投県の出身で、実家で作ったお茶を売っている。南投はお茶所、高山茶や東方美人の産地である。今回その特産の茶を買う。香りが良い。味は独特。東方美人はマイルドで女性に人気がある。

(4)坪林
翌朝台北郊外の茶園に行こうと出掛ける。聞いた話では台北動物園の近くに猫空という場所があり、観光茶園があるという。新しく出来たMRT(モノレール)に乗り、動物園駅で下車。駅前に停車しているタクシーを捕まえ、猫空に向かう。1時間300元という。

途中話をしていると猫空は先日の大雨で土砂崩れがあり、道も一部不通となっている。茶の出来も悪い。観光でちょっと見るには良いが、本格的に茶畑を見るには坪林だという。面白そうだと思い、猫空を捨てて坪林へ行くことにする。

坪林には茶葉博物館がある。先ず見学。茶の歴史、製法などを紹介している。広い庭を歩くと気持ちが良い。台北と比べて空気も良い。茶芸館もあるが、入る気はしない。

運転手が山道を行く。茶農家に案内するという。かなり急な坂道を登るとそこは茶畑。別世界のような山の畑の風景がある。いきなり一軒の茶農家にタクシーが乗り入れる。運転手が話をすると招きいれられる。回りには茶の製造道具が置かれている。

奥に大きなテーブルがあり、近隣の人が数人茶を飲んでいた。珍客到来で皆好奇の目で見ている。40歳ぐらいの主人、張さんが茶を入れてくれる。なかなか誠実な人物で丁寧な印象。またその父親は70歳を越えていたが、日本人に会うのは50年振りだと言っていたく喜んでくれた。仕舞いには日本語を思い出したいといって『あいうえお』を教えてくれと言う。

ここの茶は文山包種茶といい、以前は大陸福建省で作られていたが、緑茶の無い台湾で好まれた為、台湾でも作られるようになった。今では大陸には包種茶は無い。発酵度が極めて低く、僅か数パーセント。緑茶に似た香があり、味わいも深い。日本人にも好まれるお茶であるが、それほどには知られていない。張さん宅の庭からは、雄大な包種茶畑が見える。彼の畑はもう少し上にあるようだが。

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昼近くなると当然のように昼食を食べて行けと言われる。あまり茶に興味のないOさんは早く帰りたい様子であったので断っていたが、その内今日の昼はこれだ、といって何と生きたすっぽんを持ってきた。これには流石に驚いて更に断ったが、運転手は美味しいそうなものが出て来た、といった面持ちで一向に腰を上げない。勿論彼にとって時間が掛かればそれだけ実入りがあると思っている面もある。

帰る、帰らないと言っている間に『ヘビ、ヘビ』といって家の人が袋を持ってきた。Oさんは耐え切れず、外へ飛び出す。しかしよく見てみるとそれは川蝦であった。発音が悪くヘビと聞こえたのだ。この蝦がかなり美味しい。塩味で揚げただけだが、酒のつまみに丁度良い。

そうこうしている内に、卓に料理が並ぶ。すっぽんの炒め物もある。あとは裏の畑で取れたほうれん草、ヘチマ、山で取れたたけのこ等で実に美味しい。やはり新鮮な野菜は美味い。卓にはおじいさん、張さんはじめ近所の男性が数人食べている。女性と子供は後回しのようだ。しかし大人数で食べるというのは良いものである。広い土間で食べるのも良い。要するに気に入ってしまったのだ。

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おじいさんが卓の料理を差し、仕切りに日本語を言っている。どうやら一部思い出したようだ。但し単語は全て食べ物の名前である。いも、ヘチマ、キュウリ等等。想像するに60年前おじいさんが子供の頃は食べる物があまり無く、苦労したのではないだろうか?日本は戦前台湾で何をしたのだろうか?現在台湾人は親日的であると思われるが、決して日本の統治が良かったのではないのでは?後から来た蒋介石の国民党が悪すぎただけでは?おじいさんはそんなことは全く考える様子もなく、無邪気に、子供のように単語を並べている。何となく、物悲しいものを感じたのは私だけだったろうか?

帰る時おじいさんは私の手をしっかり握って涙さえ浮かべていた。感激である。車が出ても一生懸命手を振ってくれた。

少し行った所で、何とバックを忘れたことに気が付いた。戻るとおじいさんが庭に立っていた。何時帰ってくるかと心配していたようだ。もし戻らなかったら、バイクで台北に届けに行くつもりだったという。ホテルも分からないのに。思わず涙が出てしまった。このような暖かい言葉を聞くことは最近先ず無い。私の台湾好きは益々高まるばかりである。

因みにこの茶農家には2003年9月に家族を連れて再訪した。おじいさんの姿は見えなかったが、おばあさんは元気に台湾語で話し続けていた。この年は雨量が少なく、茶の出来が悪いと言われていたが、飲んでみると美味しいお茶であった。丹精込めたお茶にはやはり味わいがある。

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(5)台北の茶荘2
台北に戻った私はもう1つ行きたい茶荘を探した。『林華泰茶行』。重慶北路にあるこの店ははっきり言って気を付けて見なければ通り過ぎてしまうほど地味な、というより茶荘というよりは茶工場といった構えである。実際裏では乾燥や焙煎を一部やっている。

入ると更に異様である。大きな茶缶に白豪烏龍茶、高山茶等が山盛りに入れられており、客は半斤(300g)単位で買って行く。試飲は出来ず、茶葉を見て決めるしかない。作業しているおじさんは上半身裸で、まるで少林寺にでもいるような頭をしていて怖い。

値段は良心的。コストが安いのが要因のようだ。机も椅子も全て年代物。しかし何より年輪を感じるのは、オーナーの林氏であろう。私が行った日も部下に体を支えられながら、帳場にやってきていた。95歳で尚お茶に情熱を傾ける。理想的な人がそこにいる。

最後に『三希堂』。故宮博物館の見学が終わった後は、4階の喫茶室である三希堂で一休みする。これは昔からの習慣である。台湾ではお茶を飲む時日本的なお茶菓子が出る。大陸はスイカの種程度である。三希堂では豊富なお茶菓子が味わえる。落ち着いた空間である。

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昔ここでお茶を飲んでいると大雨となってしまった事がある。偶々おじさんが一人で我々のテーブルに来たので、一緒にお茶を飲み始め、結局おじさんの車で市内まで送ってもらいそれでも分かれ切れずに夕飯を一緒に取った事が思い出される。今は流石に古き良き台湾も無くなろうとしている。その中でお茶農家の人々、老舗の人々は僅かに残った良き風習を今日も守っている。

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