福岡、長崎茶旅2022(6)長崎の街をフラフラ

更に行くと松林飯山遭難碑がある。松林は楠本らと行動を共にしていたが、維新直前ここで暗殺された。日本全国には無念にも倒れた無数の志士たちがいたことを感じる。大村護国神社には大村藩三十七士の碑もある。ここの下には江戸時代、大村氏の円融寺庭園(徳川家光由来)があったと書かれている。

最後に図書館に寄ってみた。ミライon図書館という名でおしゃれない建物だった。後で知ったのだが、ここは長崎県立図書館が移転して、大村市と一体で運営しているようだ。土曜日ということで、かなりの人が来ており、あまり長居はできず。そしてこの建物には歴史資料館もある。こういう複合型施設は便利でよい。県立図書館が県庁所在地から遠く離れた例はあるのだろうか。

長崎

JR大村駅から電車に乗る。1時間ちょっとで長崎の手前、浦上駅で降りる。ここから路面電車に乗り、中華街を目指す。路面電車、前回何度も乗ったが、相変わらず路線図が頭に入っておらず、どれに乗ればよいか分からない。ようやく電車で中華街近くまで来た。出島の脇、ここまでくればと思ったが、何と『地図の読めない男』となって迷う。

何とか宿へ行き、荷物を置いて歩き出す。何となく中華街と反対方向へ行くと、いつの間にか思案橋、そして通りを越えると、大浦お慶居宅跡へ出た。ここは前回(2年前)お慶を調べる中で通ったところである。そのすぐ近くには孫文先生縁故之地とある。孫文は長崎を9回も訪れたといい、その度に鈴木天眼(会津出身で孫文支援者)と会うため、ここにあった東洋日の出新聞に来たらしい。因みにこの新聞の発行名義人は姿三四郎のモデル、西郷四郎とある。

ふらふら歩いていると、喫茶店が目に入る。昼ごはんを食べていなかったので、急に入ってみたくなる。土曜日の午後で店内はほぼ満員。カウンターの端に座り、珈琲セットを注文する。丁寧に淹れた珈琲の他、ハムトースト・エッグ・野菜サラダがドカンとプレートに載ってくる。このクオリティーは予想外だった。実は珈琲冨士男は1946年長崎市鍛冶屋町で創業された、70年の歴史を持つ老舗の珈琲店で、遠藤周作の『砂の城』にも登場するという。何気なく入った店で喜ばしいひと時を過ごす。

そこからまっすぐ歩くと、隠元禅師ゆかりの興福寺に出る。今回は前を通るだけで、すぐに眼鏡橋の方へ引き返す。一度宿まで戻りチェックイン。夕方急に腹が減り、また外へ飛び出す。歩いていると『バラモン食堂』という店があり、気になって入ってしまった。バラモンというからインド方面を想像してしまったが、なんと五島列島の方言だとか。

このお店は新鮮な五島の食を提供しており、天ぷら定食に刺身付をチョイス。新鮮な刺身といい感じに揚がった天ぷらを味わった。たまにはこんな食事も悪くない。因みにばらもんとは、活発な、元気がいいなどの意味をもつ五島の方言「ばらか」からきているという。新鮮な、というのがこの店の意味だろうか。

帰りにフラフラしていると、スナックの扉に『コロナ感染防止のため、県外のお客様のご来店をお断りしております』との張り紙を見た。やはりまだ歓迎はされていないようで、ちょっと悲しい。

6月19日(日)長崎フラフラ

起きるとすぐに散歩に出た。まずは唐人屋敷へ向かう。まだ早くて案内所も開いていないが概要を掴む。そこから大浦天主堂に向かって歩く。途中1865年トーマスグラバーが走らせた鉄道発祥の地跡の看板を見る。続いて1804年レザノフ上陸ロシア仮館跡がある。長崎税関跡、香港上海銀行と長崎ホテルなど、まさに長崎は歴史の宝庫。歩いているとそれだけで十分に楽しめる。

大浦天主堂、四海楼などを通り、朝ご飯を探す。昨日の喫茶店に味をしめ、二匹目のどじょうを狙ったが、今日はチェーン店のそれだった。但し店舗の雰囲気が良く、2階で一人まったりした。それから路面電車に乗る。前回も来た長崎歴史資料館で華人の歴史を少し見る。長崎県立図書館が大村に移ったと聞いたが、郷土資料センターなら市内にあると教わり、また路面電車でそちらへ行く。

長崎公園内にある資料センター。周囲にはシーボルト記念碑や上野彦馬像などがあり、訪れてよかった。ただ中に入って資料を尋ねると『基本的に長崎の資料は全て隣接する長崎歴史文化博物館に委託されており、ここにあるのはその一部だけ』と言われる。長崎歴史文化博物館は民間に委託運営されており、当日いきなり行っても問い合わせすら受け付けないのは知っていたが、長崎県の人々もそれを不満に思っていることを今回知る。それでもここで九州製茶輸出株式会社の株券などを見ることが出来、満足する。

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