福岡、長崎茶旅2022(7)外海、出津で

疲れたので一度宿に戻り、早めの夕飯に繰り出す。今日はロースかつに何と『角煮かつ』をトッピングして、食べてみることにする。まさか本当に角煮を揚げているとは。まあ角煮はそのまま食べる方が良いように思うが、ここのカツは美味しかった。また接客が実に丁寧で感心した。向かいには同店が出しているカツサンド専門店もあった。

6月20日(月)出津へ

長崎最後の朝、雨模様だったが降ってはいなかったので、思い切って遠出する。宿近くのバスターミナルからバスに乗る。直通は40分後と言われ、思わず桜の里バスターミナル行に飛び乗る。長崎市街地を走っていく。だが途中山を越え、漁港の方へ行く。乗り換えバスの発車時間が迫っていたので、ちょっと焦って運転手さんに聞くと『大丈夫、連絡していますから』と。

ターミナルで大瀬戸行バスに乗り換えた。乗客はほとんどいない。海が見えてくる。目的地の一つ、道の駅夕陽が丘そとめをやり過ごし、出津の村を通り抜けたところで降りた。ここに外海歴史民俗資料館があるので、まずはそこで概要を掴むことにした。ここは潜伏キリシタンの里、江戸初期のキリシタン迫害、明治初期の混乱などの歴史が綴られている。ここでどれだけの人が信仰のためにどれだけの犠牲を払ったのかは、想像もできない。

係の方から地図を貰い、村を歩いてみる。明治初期この地に赴任し、その後村の繁栄を支えたドロ神父の教会が見えるが、その前にドロ神父記念館に立ち寄る。ここはドロ神父が村の窮状を救うため、私財を投じて作った授産事業、福祉施設だという。記念館内にはこの施設で行われた様々な事業について説明されており、同時にドロ神父が如何にこの地の人々に敬愛されていたかが、語られている。残念ながら月曜日は施設がお休みで見学はできなかった。

一旦下ってまた上ると出津教会に至る。なかなか格好の良い教会だ。これもドロ神父の指導の下建てられた。外から眺めていると、そこにいた女性から声を掛けられ、教会内に案内された。そしてドロ神父と現地の人々の交流や潜伏キリシタンのことなど、丁寧に教えてくれた。何よりも『隠れキリシタンはまだいます』という言葉が衝撃的。明治になっても家族だけで信仰を継続して教会に来なかった人々を指すらしい。信仰を守ることの本質を見る思いがした。

教えられてドロ神父の墓を訪ねた。大きな目立つ墓だった。その周囲にはキリシタンの村人の墓が続いている。大平作業所という山の上では開拓も行われ、茶作りをしていたらしい。今でも紅茶などが作られているが、さすがに歩いては行けないので、終了となる。ここは歌手前川清の両親の出身地で、母親は熱心な信者だったとテレビでやっていたが、そんな話はどこにも出てこなかった。

バスを待ち、道の駅まで行く。距離的には大したことはないが、さすがに急な坂道を上る気力はない。道の駅の向こう側、海の目の前に遠藤周作文学館がある。ここ外海は遠藤の代表作『沈黙』の舞台となっており、私も最近映画で見ていた。更につい最近なぜか『深い河』も読みかえしており、どうしてもここに来て見たかった。ここで遠藤周作の生涯を顧みて、宗教とは何か、人生とは何か、などを考えさせられた。バスの時間までサンドイッチを買って、小雨の中噛みしめる。

同じバスルートで市内に戻る。大波止の港で降り、その辺を散策する。それから商店街の方へ歩き、蕎麦を食べることにした。その老舗の蕎麦屋、『そば重ね』というメニューがあり、下にかつ丼、上に蕎麦が入った1つの椀を提供していた。この店の独自のものかと思い聞いてみると、数十年前誰かが作ったものを購入しただけだというが、今このような椀を使っている蕎麦屋は全国的に見てあるのだろうか。

長崎バスターミナルから空港バスに乗る。不思議なことにこのバスの待合室はホテルのロビーとなっている。ホテル内に切符の自販機もある。どのような経緯かは知らないが、何となくゆったりと待った。今回は山口から入り、長崎から出るという、なかなか広範囲な旅、そして有意義な旅であった。

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