極寒の湖南湖北茶旅2016(7)磚茶工場と収蔵家

それから街外れにある永巨茶業という茶工場を見学に行く。この12月の寒空にも工場は稼働しており、茶を大量生産しているではないか。茶葉は以前摘んだものを倉庫に入れているらしい。工場から湯気が上がっている。機械化された茶の型がぐるぐる回っている。型は未だに手で作っているものもある。原料の茶葉は大量に倉庫にストックされているらしい。

 

この会社、万里茶路の湖北ルートが盛んになり始めた1865年創業、恐らくはロシア、モンゴル向けに大量の磚茶を作っていたのだろう。その後抗日戦争時には爆撃で生産停止に追い込まれ、1984年に再建されたとある。ソ連と中国が断絶したことも再建の遅れに影響しているのだろう。

 

商品の展示を見て驚いた。なんとあのモンゴル、シベリアで売っている典型的な茶のパッケージがあるではないか。私は文字が読めなかったが、以前誰かに呼んでもらった際、『湖南省臨湘市産』と書かれていると教わったことが急に蘇ってきた。あの膨大な現代の磚茶はここで作られていたのか。歴史はそのまま残っていたということだろう。突然目の前で点と点が結びつく、こんなことが茶旅の醍醐味だ。

 

それから先ほど行った映画館跡に戻る。今度は大勢の人が既に笛やラッパなど、思い思いに楽器の練習をしていた。我々は実に古めかしい映画館の椅子に座り、それを眺める。平均年齢は高そうだが、趣味でやっている人々。指揮者が大太鼓を叩くと、一斉に音を合わせて演奏が始まる。それは思ったよりはるかにダイナミックであり、まるで映画の一シーンを見るかのように音が流れた。昔はここに毎日映画がかかり、大勢の人が食い入るように見ていたことだろう。今はDVDやダウンロードに取って代わられたが、こんな演奏が流れるとは、驚きだった。

 

ここにも老街という名の古い道があった。清末の建物、100年以上は経つものが多いようだが、最近政府が資金を出して修復した形跡がある。勿論ここに住んでいる人々もいる。建物の向こうには川が流れており、往時は物資が水運で運ばれていたことも分る。大きな倉庫も見える。茶葉もここから積み出されたのだろうか。突き当りには教会まで残っており、往時は栄えた場所だったんだな、と感じさせる。

 

昨日の老人が、自らの博物館?に案内してくれた。そこはこの老街でも一番の立派な建物の中にあった。木造の製茶道具なども展示されている。昔使われた看板なども集められており、その量はかなり多い。建物内の窓の飾りなども凝っており、相当の金持ちが住んでいたことが分かる。老人が岳陽市の政府に勤めていたが、定年で故郷に帰り、地域の歴史発掘に努めている。ただ萬さんによれば『あの老人は相当に目が利く。恐らく誰もいらないものを買い集めて、保存しているが、その価値は買った時の何倍にもなっている』という。

 

実は帰りがけ、街を歩いていて、萬さんが突然立ち止まった。そこには古い看板が置かれており、そこが簡易な骨董屋だと分かった。老人に触発されたのか、その看板を買うといって、代金交渉を始めた。確かに数百元でそれが手に入った。『私が全中国を旅している理由はこういう物を買うためだ』と言われて、初めて萬さんがいわゆる収蔵家と言われる人だと分かった。文化を大切にする傍ら、骨董品を買い集める。今や中国では1つのブームだそうだ。老人と彼は同業者、ということか。

 

武漢までの道のりで

そしてこの地を離れ、一路武漢へ向かって走っている、と思っていたが、どうやらそうでもないようで、大きな池?河?湿地帯にやって来た。黄蓋という名前らしい。向こうの方まで水が広がっている。何をするのかとみていると、船で魚を取っている人がいて、その魚を買うために集まっている人々がいた。

 

それから赤壁市博物館に寄ってみた。ここにも貴重な資料があるとのことだったが、時間が遅かったのか、門は閉ざされており、中に入ることはできなかった。残念。近くの古い井戸を見学しただけで、赤壁を去る。今回も赤壁の戦い、古戦場に行くことはなかった。車は更に武漢の方に近づいていく。

 

渋滞を避けるためか、武漢の手前の街に入る。賀勝橋東駅という高鉄の駅があったが、人は殆どいない。ここに停まる列車は1時間に一本程度。武漢までは20分ぐらいらしい。まさに高鉄景気を当て込んで、駅前だけを開発してしまった例をそこに見る。建物だけは至極立派だが人の気配はなく、実際に使われているものもあまりない。

 

唯一使われていたのは、何と鶏スープ屋だから驚きだ。しかも巨大な建物の中に滅茶苦茶広いスペースを使ったレストラン。それがこの付近に3つはあった。いくら鶏スープがここの名物で、大儲けした地元民がいるとしても、これはやり過ぎだろう。我々はそこで夕食を取ったが、お客はほぼいないので、従業員も我々につきっきりで、無駄話をしながら給仕している。確かに鶏スープは美味しく、何杯も飲んでしまったが、これだけのためにここへ来る人はどれほどいるのだろうか。鶏スープはやはり街道沿いの小さな店で飲んだ方が絵になる。この投資はとても回収できないだろう。

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