《ある日の台北日記2024その7》 2024年5月26日₋6月4日
今年の台湾滞在も終盤を迎え、やり残したことなどをボチボチ処理していく。台湾茶の歴史に触れ始めてから10数年。色々と刈り取りの時期に来ているのかもしれない。そして名残惜しい台湾の食事、あまり食べられなかったなあ。
5月27日(月)回族の墓を探して
台北も結構雨が降っている。洗濯をどのタイミングですかが重要な季節だ。出かけようと張り切って部屋を出ると雨に見舞われ、引き返すこともある。今回台北のモスクなどを訪ねていたので、どうしても行きたいところがあったのだが、ついに夕方晴れていたので、足を踏み出す。
バスに乗って指定の場所で降りるとそこは下町風情が残っていた。Googleの言う通りに坂を上って行ったが、最後に上る階段が見当たらない。近所の人に聞いてみたが、『ああ、そこは昔通れたようだが、今はぐるっと回った方が良い』と言われてしまう。そのグルっとが車なら大したことはないのだが、歩きだと坂を下り、また上りで、結局3㎞以上余計に歩く羽目になる。

もうクタクタだと足が止まりかけた頃、ついに回族墓地に辿り着く。相当に上ったようで、風景が素晴らしい。そして山側の斜面を見ると、回族のお墓が上までずらっと並んでいる。漢字部分しか読めないが、中国全土から来た回族がここに埋葬されているのは分かる。蒋介石と共にやってきた国民党軍の中に、回族が多くいたということだが、その1つ1つを見ていくには疲れがピークに来ていた。これはあまり知られていない歴史だろう。

蒋介石と一緒に戦った戦略家、回族として一番有名なのは白崇禧だろう。彼の墓は実に立派に回族墓の一番上に建っている。広西回族の彼は蒋介石とも仲たがいがあるなど、その一生は実に興味深い。勿論回族のために、台北の清真寺をはじめ、様々なイスラム関連の支援もしている。墓には奥さんや子供たちも並んで埋葬されている。ここからだと台北の反対側が良く見える。

夕日がかなり傾く中、坂を降りていき、MRT駅の方へ向かおうとしたが、意外と駅が離れており、寧ろ歩いて宿の方へ行ったが早いことを知り、また歩く。何でこんなに歩くんだろうか、今日は。結局ちょっとレトロな道でご飯を食べようとの目論見は砕かれ、近所の麺屋まで戻ってきてしまい、いつもの夕飯となる。だがこれがいつもの夕飯と言えるのもあと1週間かと思うと、ちょっと寂しい。

5月28日(火)林馥泉の子孫を訪ねて
先日驚いたことがあった。5年ほど前に交流協会の雑誌に書いていた連載記事。『光復後の台湾茶業を支えた福建人たち』という題だったが、そこで取り上げた林馥泉という人の息子さんから連絡があり、ぜひ会いたいと言われたのだ。茶旅に驚きや意外性はつきものだが、このように言われたのは初めての経験であり、書き手冥利に尽きると思い、お邪魔することにした。
その連絡自体は、林さんのお孫さんから、我がパートナーのトミーのところに寄せられていたので、忙しいトミーにお願いして、同行してもらった。新店にお住まいだとは聞いていたが、車は新店の山の中に入っていき、こんなところに家があるの、と思う感じだった。ただ道路は立派なので安心はしていたが、進んでいくと高級な別荘地が出てきてビックリ。
