ある日の台北日記2023その4(2)自来水博物館へ

本日は先日偶然会ったUさんのオフィスに伺い、Uさんが現在進行している霧社のプロジェクトの概要を聞きに行った。霧社は私にとっても懐かしい場所であり、知ることも少なくない。コロナ前に完成していたUさんたちのプロジェクトは、コロナ禍を挟み、状況が大きく変わったようで、また一から積み上げているらしい。実に大変な作業を行っており、感服する。本来の交流とは、このような人々の努力により、成しえていくものだろう。

そこを出て懐かしい場所を歩いていく。勿論台北も大きく変わっているが、何だかそのままの古い廟が突然現れたり、懐かしい茶荘に出会ったりする。夜は松江路近くの浙江料理屋で会食があったので、その付近も散策するが、雨になり、中断。その会食は駐在員の偉い方ばかりが集まっており、何だか居場所がなかった。ただ料理自体は美味しかったので、そちらの方に集中する。

5月13日(土)自来水博物館へ

週末は出歩かない、と以前は言っていたが、あまり混んでいない場所なら良いのではと思い、出て行くことにした。まずは刀削麺を食べて精をつける。それからMRTに乗り、公館駅で下車。歩いて数分行くと、自来水博物館に到着する。ここは公園のようになっており、入場料を支払う。そこで『今日のイベントに参加しますか?』と聞かれる。どうやら週末は園内散策があるらしい。

ここは水道博物館なのにこんなに広いのかと思う。子供たちの遊ぶスペースが充実している。門から入ると向こうの方に立派な建物が見える。バロック様式の建物本体は、1908年完成した日本統治時代のポンプ室。総督府は英国人技師ウィリアム・K・バルトンの意見を入れ、台北地区への水供給のため、公館観音山に近い新店渓一帯を水源地として、取水口を設置したとある。1977年にその役目を終えたが、その後修復され、現在水道博物館になっている。

中に入ると大型の抽水機が何台も並んでおり壮観。一室には最近復元されたバルトンの胸像が置かれている。バルトンはお雇い外国人として、日本の上下水道の基本計画を策定、同時に弟子を育成。1896年に台湾に渡り、台湾の上下水道の整備を計画するも病に倒れる。その後は弟子の浜野弥四郎が引き継ぎ、台湾の上下水道は完備されていく。浜野は1919年に台湾を離れる際、バルトン像を製造したが、戦時中に供出されてしまう。初代バルトン像建立から100年、新しい胸像が作られたが、どれだけの人はバルトンを知っているだろうか。

建物を出て、観音山貯水池に向かう。ここは台北とは思えないほど自然が豊かで、ちょっとした山登りになり喘ぐ。小雨も降り始めたが何とか登り切り、貯水池跡を見る。ここからは台北市が良く見える。帰りに建物の裏に回ると、若い女性がモデルとなり、写真愛好家がカメラを向けている。写真が好きだったバルトンはここにも生きているというか。

帰り道、シャッターの閉まった店の張り紙に思わず笑ってしまった。『店主が足を怪我したので一日休み』と。笑い事ではない。日本でも台湾でもこれからこんな張り紙が増えるだろうが、ただ休む事情をこう書くのかと思ってしまう。いや、お客は近所の人なので、心配を掛けない措置かもしれない。

帰りに最近近所に出来た食堂に入ってみた。チェーン店のようだが、お客はおらず、店もやる気のなさを露骨に感じる。こうなると食べ物も美味しくは感じられない。その夜、NHKの番組を見ていると『全てのものは無常』『万物は常に変転する』と言っていたのが、なぜか心に響く。

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