ある日の埔里日記2018その3(3)お茶合宿が始まった

お茶合宿スタート

それからホテルで待っていたM夫人を拾い、埔里からバスで高鐵台中駅に移動した。午後1時過ぎにR氏と台北から来るI氏と合流予定だった。それまでに昼ご飯を食べよう、ということで、まいどおおきに食堂を目指したが、日曜日で大混雑、席もなく、退散。何とか丸亀製麺に潜り込む。この駅は選択肢が多くてよい。うどんを食い終わる頃にはメンバーが揃う。

 

今回は3日間、タクシーをチャーターしていた。運転手は非常に気の利いた人で、環島ツアーなどを得意としていると言い、かなり楽しい雰囲気のスタートとなる。まずは私の知り合いの張さんのいる林内に向かう。M氏は海外で高山茶などを作る張さんに興味を持ったようで、どんなお茶、どの程度の品質か見てみたいということで出掛ける。

 

1時間ちょっとで張さんの家に着くと同時に試飲が始まる。タイやベトナムのお茶が出てくる。基本的にM氏は無駄口を叩く前に茶葉を見て、試飲を重ね、必要な質問だけをして、必要な茶葉だけを分けてもらい、さっさと次に向かうスタイルだった。これには張さんもびっくり。私はいつも数時間ダラダラしているのに、本日の滞在は僅か30分ちょっとだった。因みにこのツアーの通訳はI氏がするとのことだったが、張さんの関係で私がやってしまい、これ以降ずっと私の担当になってしまった。

 

次に竹山の劉さんのところへ向かう。ここも私は以前訪問したことがあり、FBで繋がっているので、劉さんも覚えてくれていた。前回は茶の歴史の話ばかり聞いていたが、実は劉さんはいいコンテスト茶を作る人で、茶葉のクオリティーは非常に高い。今年作った茶がいくつか出てくる。

 

竹山の包装屋にちょっと寄る。私にはあまり必要のない場所だが、他の皆さんはお茶を小分けにしたりするための包装袋などを調達している。それから上りに入り、鹿谷方面に向かう。鹿谷で鉄観音茶を作っているという家を訪ねた。全員が初めていく場所だった。台湾の鉄観音茶については、その歴史を勉強中で興味があり、私も乗り出す。先方も日本人が来たということで、力が入り、小雨の中、茶畑まで案内してくれた。基本的にここでは鉄観音品種ではなく、小葉種を使い、鉄観音製法で作っていることが判明。台湾の鉄観音とは品種ではなく、製法なのだ。

 

続いて、焙煎名人の阿堯師のところへ行ったが、既に辺りは暗くなり、戸は閉まっていた。仕方なく反対側に大きく回り、何とか入れてもらう。基本的に訪問先にはM氏が事前に連絡を入れているが、これだけスケジュールが立て込んでいては、何時に到着するかなど全く分からない。先方も心得ているのだろう。因みに運転手には訪問する可能性がある先のリストが渡されており、その場その場で次に行き先を判断して運転手に伝えるから、彼も大変なことだろう。

 

 

陳さんは焙煎施業を終えて寛いでいた。過去何度も訪問しているが、こんな遅くに行ったことはなく、こんなに寛いだ彼の顔を見たことはなかった。いつもはU氏と行くため、激しいバトルになっているだけのなかもしれないが、やはり仕事中とは緊張度がまるで違うのだろう。ここのお茶はいつもいい香りがする。この時間だから何度も飯を食って行けと勧められた。私なら間違いなくなんかを頂くところだが、M氏は基本的に接待を受けない。この辺のスタンスはだいぶ違う。

 

さて、さすがに今日はこの辺で終了か、と思っていたがさにあらず。もう一軒行くというので驚く。もう時間は夜の8時近い。鹿谷ならいくらでも行くところはあるだろうが、飯も食わずにこれではねえ、と正直呆れる。運転手も可哀そうだと思ったが、I氏から『彼は仕事だからいいんです』と言われる。I氏は台湾で20年ビジネスをしているそうだ。私の感覚は中国仕様だろうか。最後の一軒、何さんの家では今日は来ないと思っていたのか、ちょうど製茶中ということで忙しいそうだったので、適当なところで切り上げた。

 

そしてついに宿に入った。ここはM氏の定宿らしい。すごく広い部屋に一人で寝ることになった。その前に腹が減ったが、基本的にM氏は食へのこだわりはないとのことで(昨晩もそうだった)、何とか開いている食堂を見つけて、適当に食い、スーパーで必要なものを調達して、今日が終了した。何とも恐ろしい茶葉調達ツアー初日だった。

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