ミャンマー紀行2005(10)ティボー ソーボアハウスでお姫様に会う

(5)ソーボアハウス

車は一路ソーボアハウスへ。TAMがティボーを宿泊場所に選んだのは、ここに来る為だったようだ。ソーボアとは藩王のこと。ティボーの北の外れにこの藩王の家が現存している。小さな家々が建っている所を抜けて、小さなパゴダの横を通るとソーボアハウスの広い敷地の外壁が見えてきた。

 

ソーボアとは、ネルアダムス(藩王の娘として生まれ、現在イギリス在住の女性)の著書『消え去った世界―あるシャン藩王女の個人史』によれば、『ソーボアは世襲の直系男子で、三十三ある各藩国を統治していた。ビルマ人、そして後のイギリス人も、シャン語の称号「サオパー」(天の支配者)を誤った発音でソーボアと呼んだ』と定義している。シャンの王様だ。

 

ソーボアはカルマ(運命)を信じるシャン人により、特権的な地位を与えられ、尊敬されていたが、同時に領民を正しい道に導くことが期待されていた。ソーボア制はこの相互信頼があって成り立っていたようだ。長年の統治の後、日本軍の侵略・撤退、イギリスからの独立を宣言する過程で、1947年『パンロン協定』が成立、シャン州は10年間暫定的にビルマ連邦に属することになる。

 

しかし協定は破られ、1962年のネ・ウインのクーデター(社会主義革命)により、政府首脳と同様にソーボアも多くが逮捕、投獄された。一部は無残にも殺されてしまったという。ここティボーのソーボア、サオチャーセンも消息不明になってしまった一人だ。このサオチャーセンは非常に開明的な藩王で、アメリカ留学後、ティボーに近代的な農業、工業を導入し、領民の生活を改善したと伝えられている。また留学中に知り合ったオーストラリア女性、インゲ・サージェントと結婚したことは、シンデレラストーリーとして有名な話だ。

 

サージェントの著書『Twilight over Burma :MY LIFE AS A Shan PRINCESS』によれば、彼女は自分の恋人がシャンのソーボアの息子だと知らずに結婚を承諾、ティボーに行って初めて事実を知り、悩んだ末に結婚し、様々な習慣の違いなどを乗り越えて、ティボーの発展を藩王の影で支えたという。現代でもそんな話があるのかと、痛く驚いた。尚この本はTAMが是非読むように推薦したので、帰途バンコックで探してようやく買ったものである。

 

1924年に建造されたソーボアハウスは現在サオチャーセンの甥、サオオーチャ夫妻が管理しているとガイドブックにある。果たしてソーボアの一族に会うことが出来るのであろうか?車は門の前で停車した。門は堅く閉ざされているが、隙間から覗いて見ると広大な敷地である。一体どうやって入るのであろうか?突然TAMが中に向かって何か叫ぶ。そして何と鉄の門を叩く。『開門』と叫んでいる武士のようだ。だが何の反応もない。ジッと待って又再度同じことをする。まるで儀式のようだ。

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5分ほどしても何も起こらないので壁の周りを歩いて見る。周りは農家であり、今も野菜を作っているらしい。するとSSがやって来て、中に入れるという。門の前に引き返すと向こう側に召使の女性が立っている。私が外国から来たという事情を聞いて、中に入れるかどうか主人に聞いてくると言って建物の方に立ち去る。

 

何だか悠久の歴史の中に身を置いている気分だ。時間がゆっくり流れている。10分して、門が開き、中に入れてもらう。左側には大きな菩提樹の木があり、小屋が見える。右側にはテニスコートの跡が見える。畑も見える。正面に洒落た洋館が目に入る。実に形のよい2階建て。玄関前の様子はイギリス風、2階のバルコニーは南欧風であろうか?1階の外壁の一部にはツタが絡まっており、何とも風情がある。

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玄関から若い女性が出てきた。誰であろうか?サオオーチャのお嬢さんだという。見た目に品がよい。サオオーチャ夫妻は丁度旅行中で、今日は中を見せることが出来ないと申し訳なさそうに言う。私は彼女に興味を持ち、TAMを通訳にして質問しようと英語でTAMに向かって話し出した。すると彼女はTAMの方を見ることなく、流暢な英語で答え始めた。生まれてからこのハウスから外に出たことはあまりないこと、英語及び勉強は全て両親からここで習ったこと、両親は普段はこのハウスを管理することを仕事としており、たまには畑で野菜なども作ること、等など。

 

彼女の話し方は一語一語ゆっくりと考えながら、音を出す。不思議な間合いを持っていて、それでいて引き込まれてしまいそうな雰囲気がある。さすが世が世ならプリンセス。だが、彼女が外に出ないのも、決して本人の希望ではないのであろう。自由を奪われしまったプリンセスの将来はどうなるのだろうか?などと、勝手な心配をしたくなる。

 

彼女と別れて、裏に回ると、プールがある。長く使われていないようだが、場合によっては貯水池として使えるかもしれない。そう思って壁の向こうを見ると川が流れている。TAMによれば、あの川から水を引き、灌漑設備を整えたようだ。サオチャーセンはこの川を見ながら、ティボーの農業の将来を考えたことだろう。彼の行方は未だに分かっていない。さぞや無念であったろう。

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菩提樹の横にある建物も見た。祈り堂である。建物の形が実に素晴らしい。工芸品のようである。今でも夫妻により、毎朝祈りが捧げられているという。木造の質素な建物ではあるが、心地よい空間である。祈りをする場所に入ることは出来ないが、2階に上がり伽藍から周りを見渡すと何だか世界が違って見えた。何故だろうか?ミャンマーが軍事政権であることなど、そこからは微塵も見えないのだが。

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