茶筅の街から宇治まで茶旅2015(5)宇治 お茶巡り

3.宇治

お茶屋さん巡り

Hさんと駅で別れ、私はJRで宇治に向かった。この電車には何回も乗っているので慣れたものだった。本当はHさんと一緒に行く予定だった宇治。Hさんの都合が悪くなったので、一人で行こうかと思っていたが、昨日高山町から一緒だったIさんが付き合ってくれるという。彼女は高山町から宇治までまた車に乗ってわざわざ出てきてくれていた。これまた有難い。

 

駅で待ち合わせて、Iさんの車で向かった先は、堀井七茗園。ここはHさんからも勧められたので訪ねてみた。室町時代に足利将軍家が宇治茶の良さを認め,七茗園と呼ばれる優れた茶園を宇治の地に七ヶ所指定したという。現在では都市化の波で殆どの茶園が消える中、「奥の山」茶園だけが現存する唯一の生業茶園であり、歴史は悠に500年を超えることになる。それを管理しているのが、こちらのお茶屋さんだという。歴史的に興味津々の場所だ。

 

 

その奥の山茶園で栽培される茶樹から、足掛け20年の歳月をかけて、誕生した新品種。それが碾茶向きの「成里乃」と玉露向きの「奥の山」の2種類だという。特に「成里乃」は絶品である、とHさんからも聞いていた。お店では奥さんが対応してくれた。Iさんがお茶会で使うため、成里乃を購入し、お願いして、その茶葉でお茶を淹れて頂いた。このお茶、飲むとジュワッとする。説明ではうま味成分であるテアニンの含有量が、通常の2倍あるということで、これがこのお茶のウマさを出している。因みに成里乃とは、開発者のお孫さんの名前だとか。

 

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このお店では過去に様々な賞を受賞しており、その賞状が張り出されている。その功績は勿論素晴らしいのだが、私は違うところに目が行ってしまった。平成元年と平成22年の賞状、どちらも農林水産大臣の名前が鹿野道彦氏になっている。22年の時を隔てて、同じ人物が同じ役職の大臣になる、これは凄いことではないだろうか。いや、もしやするとそれほど日本の政治家は人材不足、特に農業分野に関しては、同じような人が携わっている、ということなのだろうか。

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奥さんがゆっくりとお茶を淹れてくれた。ご主人は新茶の競り?で忙しいらしい。今年は出品されたお茶が数がかなり多いという。ちょっと帰ってきたが、すぐにまた打ち合わせということで出掛けてしまう。5月20日といえば、お茶屋さんにとっては多忙な時期なのだろう。新茶を求めて店頭には引っ切り無しにお客さんが来ている。ここだけを見ると日本茶もまだニーズがあるなと思う。

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奥さんに場所を教えられて、奥の山茶園を見学することにした。車で出掛けたが、歩いても行けるほど近い住宅地の一角に、ひっそりと囲われて茶園が存在していた。ここは少し高台になっており、室町の昔は、家など全くない、小山の上に茶樹が植わっていた、という想像は十分にできる。宇治市名木百選にも選ばれている、との表示もある。こんな住宅街に突然茶園が出現したら、驚くだろうな、けれど周囲の眺めも良かっただろうな、という立地である。

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茶葉の刈り取りは既にある程度終わっており、覆いも外されている。思ったより低木であり、すごく古い、歴史が感じられる茶樹とは思われなかった。茶樹の下には大量の茶葉が落ちており、これがこの茶樹の栄養素になっていることがよく分かる。近年は下の方の茶葉まで刈り取って、ペット原料にする、との話も聞いており、この畑の豊かさは際立っていた。

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何だかんだで時間は過ぎて行く。宇治茶の歴史を知ろうというので、上林の記念館へ向かったが、既に4時を回り、閉館の時間になっていた。ただ聞いてみると見学してもよい、ということだったので、中に入れてもらう。入口の門が実に立派である。約300年前に作られたものらしい。展示物も戦国末期から400年余の上林家と茶の歴史で埋められている。上林竹庵という人が関ヶ原の直前、伏見城で石田三成に攻められて討ち死にしたという。その忠節が家康との結びつきを強めた、上林家が繁栄した話など、如何にも戦国時代の茶の歴史であろう。

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お茶壺道中、という江戸時代に行われた宇治の茶葉を豪華に運ぶための茶壺も展示されている。将軍家や諸大名から厚い庇護を受けた宇治の茶師たちの様子がよく分かる。上林はその筆頭であったが、明治維新で顧客を一気に失い、煎茶や玉露を扱う茶商に転身していく。

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実はこの博物館には駐車場がなかったので、少し離れたもう一つの上林と書かれた店の奥に駐車した。ところがお店の人が、『あそことは経営が違うので、こちらで何か買ってもらわないと駐車はできません』というではないか。同じ上林という名前を使い、同じ通りに店を出しているというのに、これはまた何ということか。聞けば、兄弟で仲が悪いのだとか。我々一般顧客には一体何の話か全く分からない。この辺が京都らしいところなのだろうか。

 

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