懐かしのインドネシア散歩2013(4)ジャカルタのチャイナタウンを歩く

3.ジャカルタ   残念なホテル

ホテルの外は屋台などが並ぶ下町。ホテルの中はきれいなロビー。アンバランスだ。フロントの男性はつっけんどんな対応で迎えたが、直ぐに上司の女性が出てきて笑顔で非常に良い対応をしていた。これは価格の割に良いと思ったのだが、部屋に入るとクーラーが効いておらず、暑い。慌ててつけたが、一向に効かない。フロントに電話したところ、修理の人が来たが、治らない。仕方なく部屋を替えてもらったが、それでも変わらない。後で聞くとジャカルタの古いビルはクーラーの効きが非常に悪いらしい。このホテルもきれいにしているが、古いビルを改装したのかもしれない。

仕方なく部屋が冷えるまで外へ出る。夕飯を食べようと思ったが、適当な場所がない。この辺りは日本人駐在員なら絶対に夜は歩かない場所だろう。私は歩くのは平気だが、疲れていたので、マックに入り、涼む。インドネシアのマックは予想外に高かった。セットで日本円500円以上した。日本並み、高級だ。客も多くはなかった。冷たいコーラを飲んで一息つく。

ホテルに帰ると部屋は何とか耐えられる程度に冷えていた。外は周囲に高い建物がなく、絶好の夜景なのだが、もうこのホテルチェーンに泊まることはないだろう。WIFIが繋がったことがせめてもの救いだった。

4月30日(火)   チャイナタウンを歩く

翌朝はビュッフェの朝食を食べる。宿泊客は中東系、インド系、そして中華系、韓国人もいて、インターナショナル、席がないほど超満員だった。やはり料金が安い割にはきれいなのが、集客の要因だろうか。

食後、外へ出る。チャイナタウンを目指した。グロドゥと呼ばれる地区が中華系の住むところと聞いていた。地図で見ると近かったが、ホテルから歩くと30分近くかかった。朝はそれほど暑くはなかったので助かる。グロッゥにはバンドン同様、漢字の看板はあまり見られなかった。大通りに面した場所にホテルの看板があったので、中へ入ってみた。フロントで普通話を使い話しかけたが返事はなかった。

すると横にいたおばさんが『どっから来たんだ』と普通話で問いかけてきた。そして色々と話した。彼女の父親は広東系で、若い頃から苦労して働いたが、インドネシア国籍がもらえず困った話。1965年の革命、1998年の通貨危機、いずれも華人は排斥され、辛酸をなめた。お金持ちはどこへでも脱出できるが、彼女のような庶民は『ただじっと嵐が過ぎるのを待つだけだった』ようだ。『華人は一度外へ出ればそこで骨を埋めるもの』という言葉が重かった。尚このホテルは1泊100元、中国大陸から商売のためにやってくる人々が泊まるらしい。今も夢を追いかける華僑がいるのだ。

それからぐるぐると歩いて見たが、狭い路地に家がぎっしり詰まっているところはチャイナタウンらしいが、漢字の看板もレストランなどで偶に見られるだけで、華人が住んでいるのかどうかわからないほど、同化していた。

バスに乗ってローソンへ行く

本日は午後にアポイントがあり、市の中心部へ向かう。タクシーは使いたくなかったので、バスで行くことにした。ホテル前の大通りにはバス専用レーンがあり、渋滞にも強そうだ。チケットは一律3500pのようで、言葉が出来なくても、行き先が分からなくても買えるから便利。高速バスウエイ、トランスジャカルタというらしい。

しかし便利ということは乗る人も多いということ。ホームは人で溢れており、一台目に乗り損なう。よく見るとこのバスにはいくつかの路線があり、赤いバス1番を選んで乗る。バスの中ほどは女性専用座席になっている。さすがイスラム教国。乗客に女性が多いのも頷ける。

バスは快適に市内を走る。結構乗り降りが多い。路面電車のように駅に表示があり、これなら不慣れな外国人でも十分に乗れる。サリナデパートの前で降りる。この付近は安宿街もあるが、日本企業が集まるジャパンクラブなどもあり、オフィスビル群が連なる。そこから脇の道へ入ってみる。なぜかそこにローソンがあった。

バンドンでは見かけなかったが、ジャカルタには数十店舗あるらしい。店内は日本と変わらないが、焼き鳥などを売っている。そして決定的に違うのは2階に飲食スペースがあったこと。そこはクーラーの効いた室内と屋外があり、WIFIは無料、電源まで完備されていた。学生やOLが食事をしたり、飲み物を飲みながら談笑している風景は日本にはないもの。

聞けば、外資の小売チェーン展開には制限が設けられているため、レストランのライセンスで運営されているとのこと。当然飲食スペースがあるわけだが、このスペースが日本にあればな、と羨む。尚インドネシアでは日本のように家に持ち帰って食べるより、その場で食べることが好まれるということもあるようだ。国によって事情は違うものだ。

用事を済ませてバスでホテルへ戻る。バスは本当に便利だ。ホテル近くを散策すると、小肥羊(中国で有名な火鍋チェーン)などという名前の中国料理屋があった。これは名前のパクリだろうが、漢字の看板の多い場所も見つけた。湖南料理の店があったので入ってみる。客は大陸から来た中国人と地元華人のようだ。普通話で注文できた。安くておいしい中華が簡単に食べられ満足。

5月1日(水)   ストライキ

翌朝はホテルでおいしい朝食を食べた。さすがノボテル、パンもうまい。喧噪のジャカルタだが、ここは別世界のように思える。80年代中国に留学していた頃、偶に外資系ホテルに入ると感じられたあの独特の感覚がある。

ホテルの周囲は昨日も歩いたチャイナタウンだが、再度散歩に出てみる。市場のように路上に野菜や雑貨を並べている路地がある。小さい店も色々とある。路地の奥には昔懐かしい中国の風景も点在している。そして奥の奥には中国式寺院もちゃんとあった。金徳院。朝からお参りする華人、そこで知り合いと話し込む人々、座り込む人々の姿が多く見られた。ようやく中国との接点が見つかったような気がした。

今日は午後2時にアポイントがあった。早めにバスに乗って行って、向こうでランチでも食べようとホテルを出た。そして昨日と同じようにバス停へ行ってみたが、陸橋からバス停へ降りるところが塞がっていた。そして誰一人いなかった。見てみるとバスも走っていない。これが昨日言われたストライキの影響だと分かったが、さてどうするか。

道路を走る車も少ない。困ったなと思っているとタクシーがやってきた。アポ先の場所を伝えたが英語は通じない。乗車拒否されるかと思ったが、先ずは乗り込む。そしてアポ先近くのホテル名を伝えると、気持ちよく出発してくれた。ところが市内中心部へ向かう道路はストライキ、デモ行進の影響で軒並み封鎖されていた。一時は行くことができないのではないかと思ったが、運転手が情報を集めて迂回、何とかホテルまでは到着した。この間1時間以上。デモ隊は一度も見なかった。

しかしアポ先のビルは見付からなかった。運転手も走り回って聞いてくれたが分からない。仕方なくアポ先へ電話を入れて指示を仰ぐ。私が思っていたよりかなり離れた場所にあったが、運転手は文句ひとつ言わずに動いてくれた。このタクシーはブルーバードという会社で、評判が良いようだ。有難い。

アポが終了して外へ出た。バスは動いているかもしれないと思い、バス停を探すが方向が分からなくなっていた。確かに一般バスは動いていたが、行き先すらよくわからず乗れない。タクシーは皆乗車を拒否された。それも仕方ない、まだ道路封鎖もあるだろう。悪いことに雨が降ってきた。耐えきれずに近くにあったショッピングモールに逃げ込む。するとタクシーがやってきた。コタ地区まで5万pで行くというので乗り込む。帰りは道路封鎖も解除され、バスウエイも動いていた。かなりのスピードで飛ばしたタクシーは30分ほどでホテルを飛び越え、コタ駅まで来ていた。

コタ地区

コタ地区は発展するジャカルタの中では取り残されている場所かもしれない。駅も昔のままといった感じで、金子光晴などを想起する場合は、良いかもしれない。1929年金子光晴は妻の森三千代とここジャカルタのコタ地区に流れ着き、滞在した。「コタ地区は湿地帯」、道は荒れ果て雨が降れば歩けない状況だったと、書き記している。今日も雨上がりで、足元が濡れていた。

この地は旧バタビアで港に近く、オランダ時代の遺物も残っている。おしゃれなカフェも出来ているが、観光客にように入って行く気にはなれない。バタビア時代に活気のあった港も、今となっては寂しい限り。ファタヒラ広場に連なるコロニアルな建築物が今では博物館となって、その寂しさを一層際立たせている。

雨上がりの夕暮れ時、ジャカルタ湾を眺めようと港沿いに歩いて見たが、古い倉庫などに遮られ、とうとう海を見ることが出来なかった。車ばかりが多くて歩く人はまばら。何だか泥沼の人生に吸い込まれていくよう。すっかり暗くなり、歩いてホテルへ戻る途中、麺屋へ寄る。何だか具だくさんのスープ麺を啜りながら、昔この辺りへ流れてきた日本人の気分に浸る。

5月2日(木)   快適なホテル

インドネシア滞在最後の日。朝ゆっくり起きる。チャイナタウンにあるノボテル、ここは寒いぐらいにクーラーが効いており、フランス系らしいおしゃれな内装が良い。ノボテルのアコーグループはアジア展開も活発で、安定感がある。よく見るとこのホテルの斜向かいにも、グランドメルキュールという同じグループの別ブランドのホテルがあった。

部屋もそこそこ広く、清潔感がある。窓からの景色も悪くない。これで朝食が付いて日本円6000円は安い。昨年12月にオープンしたばかりだから、キャンペーン中のようだが、お得感がある。ところが翌日も泊まりたいと思ってネットで調べると、明日の料金は8000円になっており、一旦保留して外へ出たが、帰って来て再度見てみると今日と同じ料金になっていたので泊まったのである。お客が来なければ当日料金を下げる、他のホテルにも欲しいサービスだ。

朝ごはんをたらふく食べる。このような快適なホテルに泊まり、ゆっくり活動し、優雅に朝飯を食べる。日々旅を続ける私にとっての贅沢な休日なのである。ホテルの横にはセブンイレブンが併設されており、飲み物などを買うにも便利。

大きな銅鑼の音が聞こえてきた。新聞は昨日の全国100万人デモの様子を伝えていたので、今日はこの地区にもやって来たのかと、外へ飛び出す。ところがよく見てみると中学生か高校生の一団がぞろぞろ行進していた。一体なんだろうか、学生にも不満があるのだろうか。

空港

ホテルをチェックアウトして、空港へ向かう。空港までバスか何かあればよいのだが、近くに空港バスは走っていない、とうことで、ホテルのタクシーを使う。午後3時前のフライトがだが、ジャカルタの交通渋滞を考えると、相当早めに出ておかないと落ち着かない。11時には車に乗り込む。

だが案に相違して、空港までの道は比較的空いていた。僅か30分で到着してしまったのだ。料金も15万p、思ったほど高くはなかった。安堵感あり。空港も予想外に空いていて、チェックインもスムーズ。ここに来て何だか拍子抜け。

時間が相当あったので、喫茶店に入り、コーヒーとトーストを頼む。これが妙に甘いが、妙に美味い。WIFIは繋がるので、ずっとネットに見入る。トイレに行くと、空港内の床に座り込んでいるインドネシア人が沢山いた。椅子よりも床の上が落ち着くのだろうか。今回はインドネシア人の普通の生活に接する機会は殆どなかった。香港でもメードとして沢山の人が働いているインドネシア人。その素顔を見るのは次回ということになるだろうか。





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