懐かしのミャンマーを行く2012(6)ビンダヤ ラペソー

3.ビンダヤ  (1)市場のランチ

ビンダヤへ着いた。ビンダヤへは過去3回来ている懐かしの地。ちょうど昼時であり、市場へ入って行く。初めてこの市場へ来て、TAMから「食べろ」と言われた豆腐。あのおいしさが忘れられず、今日も豆腐を賞味する。

黄色い豆腐、食べ方が色々あることを知る。豆腐にキャベツを乗せ、たれをつけると絶品になる。豆腐を揚げて、そこにたれを付けるものもある。また豆腐を揚げてポテトチップスのようにしたものも美味い。

私があまりに美味い、というものだから、店のオジサンとおばさんも笑顔になる。こんな時が本当に幸せを感じられる時。決して豪華な料理も出もなく、珍品でもない、普通の生活の中に喜びがある。

この市場、8年前と何ら変わっていない。ミャンマーの変化など一切感じられない。漢方薬を売る店は以前同様、薬を煎じて瓶に入れているし、乾物の屋の店先には僅かばかりの茶葉が置かれている。

ホテルへ行く。ホテルは前回と変わっていた。新しく家族経営のホテルが出来ており、清潔で愛想も良かった。ネット小屋が作られており、ネット可能とのことだったが、やはり全く繋がらなかった。おまけにここビンダヤでは、何と携帯のアンテナが立たなかった。TAMも仕方ない、といった表情。昔と変わらないということはそういうことだ。今はそれを満喫しよう、という気分になる。

(2)マイクロファイナンス

本日は雨模様。山道を歩くのは大変だということで、お茶の村へ行くのは明日にする。代わりに車で行けるビンダヤの村を訪問。以前も行ったことがある紙工場へ行く。ビンダヤには伝統的に上質の和紙?を作る家内工業がある。今では傘などを作っているのだが、元々はアヘンなどを包むために作られていたと推測できる。勿論村人は誰一人そのことには触れないが。

村で手広く工場をやっている家を訪ねた。先ずお茶が出る。ミャンマー緑茶。そして茶菓子として、納豆を焼いた煎餅が出る。これがなかなか香ばしい。ポテトチップスもここの特産品だ。

工場を経営する夫婦と話していると、何とここの工場拡張に際して、マイクロファイナンスを活用したと聞き、驚く。マイクロファイナンスはバングラディシュで有名となった小規模ローン。独自の返済システムで貧しい人々にも資金が回るようにし、自立して個人事業が出来るようにした仕組み。今やミャンマーの田舎にもこの仕組みが導入され、人々が活用しているというのだ。

夫婦によれば、日本円で5万円程度を低利で借り、毎月少額を返し、工場を大きく出来た(周辺の小規模工場を併合)という。手続きも簡単で、職員が村へ来て説明し、返済資金の回収もしてくれたらしい。非常に便利であり、称賛していた。ただ後日他の村で聞くと、手続きが面倒、返済を遠くまでしに行った、など、反対の意見も聞かれ、まだまだ途上なのかなと思われた。

(3)焼き物と子供達

もう一つの村では焼き物などを作っているということで訪ねてみた。ところが既に村では殆ど作られておらず、完全に空振り。7年の間に大きな変化が見られた。TAMが一軒の家に入り込む。情報収集か。

中では子供達が数人遊んでいたが、突然の来訪者に少し驚き、また興味津々の様子。この子供たち、年齢もバラバラで、年長者を中心に遊んでいる。私が子供の頃まで日本でも見られた風景、かなり懐かしい。

一番の年長者、14歳の女の子が促されて轆轤を回し始めた。小さい頃、習ったらしい。家の中には今でも焼き物を作る道具はあり、頼まれれば作るようだ。みんな興味を持ってその動作を眺める。そして出来た物をみて、大声で笑う。何とも子供らしい、と言える。この村の男たちも出稼ぎに行っているようだ。お父さんがいない、でも仲間はいる、うーん。

表に出てみんなで記念写真を撮る。子供達はとてもいい表情をしている。少しはにかみながらも、目が輝いている。今回の旅のベストショットかもしれない。この村を後にするのは少し残念な気がした。

街に戻り、お寺へ行く。今回ヤンゴンでは全く行かなかったので久しぶり。ところがそこに住まう少年僧達の掃除を見て、何だか少しがっかり。目の輝きはなく、一生懸命さもなかった。田舎が少しずつ街になり、街が少しずつ都市になる。そして少しずつ残念な状況が起こる。これは仕方がないことか。

6月25日(月)   (4)ビンダヤ山中のラペソー

昨晩も10時間以上寝た。日本やタイで10時間以上寝ることはこの歳になると厳しいが、ミャンマーの田舎では全く問題ない。何と言ってもネットが繋がらないことがストレスを減らしている。朝から散歩。ビンダヤの大きな池の周囲を歩く。実にいい風景だ。涼しい。朝ごはんはチャーハンと目玉焼き。これも素朴でよい。

今日は過去3回行った、ビンダヤ山中の茶農家へ行く。既に慣れた山道、洞窟寺院の横から、ビンダヤの街を眼下に見ながら上る。快適。歩くこと30分、もう村に着いた。そんなに近かっただろうか、でも見覚えのある村。

一軒の茶農家に入る。そうだ、ここは7年前に来たところだ。以前は暗かった室内が何となく明るい。テレビを見ている。前は電気が来ていただろうか。おばさんが2人でおしゃべりしていた。ラペソーと呼ばれる食べるお茶を作っている様子はない。お茶が出て、ラペソーも出てきた。7年前より美味しい気がする。ラペソーと混ぜる塩の効いた煎り豆が美味い。全体的に余裕が感じられる。凄く豊かになった訳ではないが、何故だろうか。ご主人はいない。

他の茶農家も2-3軒訪ねてみた。こちらでは数人で茶葉の選別、茶作りが行われていた。みんな何となく明るい。一部簡単な機械も導入されており、多少進化した感じだが、基本的には手作業。効率が良いとは決して言えないが、そこには日々の営みが感じられた。

茶畑は閑散としていた。恐らくはもっと山奥で栽培しているのだろうが、この付近ではもうあまり育てていないらしい。ラペソーの値段は7年前とそう変わらない。ずーっと茶を育てていても、豊かにはならない。そんな声が聞こえた。村の家に衛星放送のアンテナが立っていた。電気が来る村では現金収入を必要としていた。ラペソーはミャンマー人の好物だが、今後どうなって行くのだろうか。ちょっと心配だ。





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