東北、北海道を行く2021(6)北大で台湾茶業に従事した日本人を調べる

それから歩いて宿まで戻り、荷物を引いて駅へ行く。今日は珍しく特急に乗ってみる。JRの仕組みが良く分かっていなかったが、先日検索して初めて、駅ネットで予約すると割引がある場合があるということを知る(今まで何やっていたんだか?)。だがこの駅ではSuicaなどが使えず、自動改札できず、切符は事前に駅の自販機で取り出す。

出発20分ほど前にホームに行くと、列車は入ってきたが、そこから車内清掃が始まった。1両に一人が乗り込み、一斉に清掃している。何とも日本的だが、その間乗客は外で待つ。晴れているのに、意外と風が寒く感じられる。残念ながら乗客は少なく(バスの方が安い)、この路線の今後が心配になる。

出発すると五稜郭、新幹線の新函館北斗駅を過ぎるとすぐに街は消えて、原野を走る。途中から海沿いを走り、眺めは良いが、人家は見られない。長万部駅で停まったが、周囲には何も無さそう。日が暮れてしまった洞爺駅は本当に寂しいところだった。以前行った東室蘭を経由して、札幌に到着したのは4時間後だった。

今晩の宿は札幌駅傍の馴染みのホテルだったが、何と同じ名前のホテルが2つ並んでおり、1つに入ると私の予約はもう一つだと案内された。何とも紛らわしい。部屋に入ると急に腹が減り、札幌ラーメンだと思い、駅に取って返して、店を探して食べる。たまに食べるラーメンは何とも美味い。宿へ戻って大浴場に行くが込み合っている。部屋の作りも今一つ。函館の宿と比べるとコスパはかなり悪い。いや、函館の2泊が良過ぎただけだから、比較してはいけない。

11月18日(木)北大へ

翌朝朝ご飯会場へ行くと満員盛況でソーシャルディスタンスも保てない。一応込み合う時間を避けたつもりだったので、その旨を係員に伝えると、非常に恐縮されてしまい、その後はずっとケアーしてくれた。ホテル自体に問題があるのだが、それを従業員が必至でカバーする、いかにも日本的手法だったが、彼女には好感がもてた。

本日はこの旅のメイン、北大文書館に行く。宿から歩いて10分と近くてよい。少し早く着いたので、まずはクラーク博士像にご挨拶し、更にきれいなポプラ並木を横目に、新渡戸稲造像の写真も撮る。下北半島より函館は暖かいように思えたが、さすが札幌まで来ると、それなりに寒い。

北大文書館には、札幌農学校、北海道帝国大学時代の資料が多数保管されていると聞いた。事前にメールで連絡を入れ、調べたいことを伝えたうえで、予約を取っての訪問だった。このような正攻法の調査はほぼ初めての経験で緊張する。今回の調査対象は『札幌農学校と台湾茶』であり、日本統治時代の台湾で茶業に従事(主に試験場)した卒業生、山田秀雄、谷村愛之助、新井耕吉郎らの情報を得るのが狙いだった。更に関係者として大島金太郎、山本亮なども対象となっている。

何とこの分野でこれまで何本もの論文を書いているY先生が自ら、資料を提示してくれた。更には私が疑問に思っていた点について、いくつもの的確な回答を用意してくれていた。これは本当に有り難く、とにかく与えられた資料を全力で読んでいき、必要箇所のコピーを取らせてもらった。

一通り区切りをつけて、午後は数名の卒業論文を見せてもらうため、それを保管している農学部図書館へ移動した。まさか100年以上前の現物が見られるとは思っていなかったので感激する。私が学生時代卒論を書いていないが、自分が書いた論文が歴史となって保管されているのは、感慨深いものがある。ただ農芸化学の卒業生と言っても、茶に関する論文を書いている学生はほぼいない。

根を詰めて文章を見過ぎたので、北大キャンパスを散策する。私が通った大学があまりにも小さかったので、広大な敷地を持つ大学がうらやましい。というか、本当であれば私の第一志望は北大だったのだが、何を間違ったのか、来ることはなかった。やはり寒いのは嫌だったのだろうか。

一旦宿に引き揚げ、6時半に再度文書館に行く。以前お世話になったSさんと会う予定だったが、待ち合わせ場所を文書館にしていたからだ。文書館は図書館だと思い、夜までやっていると勘違いした結果だった。そこから近所に寿司を食べに行く。やはり北海道のネタは新鮮でうまい。また汁ものも豊富でうまい。Sさんは転職で札幌に来ていたが、余暇に『紙の歴史』を研究しているという。紙の歴史、実に重要であり、また茶にも何らかの関連がありそうなので、今後も情報交換していきたい。

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