静岡、三重、奈良茶旅2021(1)静岡で茶の歴史を学ぶ

《静岡、三重、奈良茶旅2021》  2021年10月16日-21日

コロナ拡大、オリンピック、パラリンピック、そして首肩肘痛など、この3か月は色々とあって、全く旅に出られなかった。徐々に体が回復するにつれて、引き籠りのストレスが徐々に溜まっていった。それを解消すべく、とにかく思い切り旅に出て行った。今回はどんどんどんどん、西へ西へと向かった。

10月16日(土)西焼津まで

今朝はスパッと目が覚めた。やはり旅に出る日の朝はいつもとは違う。体のことも考えて、今回は新幹線に乗ろうと考えていたが、早めに家を出ていくと、ついいつものように在来線に乗って静岡方面を目指した。だがただ目指すのも何なので、小田原辺りにちょっと寄っていこうとか考え、早めにバスに乗って小田急線沿線の駅まで出た。

ところが電車を待っていると、『人身事故発生』のアナウンスがあり、電車が止まったことが分かる。相模大野まで何とか走って、そこから藤沢へ回り、何とか東海道線に乗り込んだ。熱海を越えるとSuicaはエリア跨ぎになるので、藤沢駅で切符を購入。毎度のことながらなんと面倒なことか。そこから熱海まではいつもの風景。そして静岡方面はホームが違うので、荷物を持って階段をバタバタと上り下りして、また電車に乗り込む。最初の目的地は西焼津だったので、途中興津で一度降りて、後続の電車で向かう。

西焼津の駅で降りると、Nさんが待っていてくれた。車でランチの場所へ向かう。最近Nさんとの共通の話題はタイなので、そんな話をしていると10分ほどで蕎麦屋に着いた。そこに旧知のIさんが先に来て席をとっていてくれた。コロナの収まりのせいか、すごく繁盛している店で、お客がひっきりなしに入ってくる。こちらがオーダーした蕎麦もあっちに行ってしまうほどだったが、それを指摘するとすぐに謝りに来てくれ、アイスをおまけしてくれる。

Iさん、Nさんとはお茶繋がりなので、お茶の歴史から現代の茶業まで様々な話題で盛り上がる。お茶素人の私は、基本的な質問(チコちゃん的な)をぶつけていくつも情報を得る。何となく日本茶というのは、世界の中でも特殊な茶に位置づけられるのかもしれないと思ってしまう。同時に静岡の茶業人の歴史に興味を持つが、それは私の仕事ではないように思われた。

掛川で

食後またNさんの車に乗り、西焼津駅に戻ると、ちょうど電車が行ってしまった。次に来る電車を見ると島田行き。何と掛川まで行かないことを知り、慌ててK先生にお電話して遅刻を知らせた。6分遅れて掛川へ駆け込み、K先生と再会する。といっても二人だけで会うのは初めてで、どのように接すればよいか戸惑う。

K先生から『今日は天気が良いから駅前のベンチで話しましょう』と言われ、話を始めた。意外なほど午後の日差しが強く、少し汗ばむ(いや話の内容の面白さで体熱が上がった?)。台湾茶と静岡についての歴史的なお話がどんどん展開していき、今日の本題を忘れて聞き入る。時々本題に戻るのだが、当然のごとく知識と経験があふれ出し、どうしても脇にそれていく。だがその脇の話が面白い。これは歴史の話ではあるが、先生の実体験、生の話だから迫力もある。

アッと気が付くと、夕方五時の音楽が鳴り始めた。我々はまるで小学生のように、夢中になって遊んでいたのだ。はたと我に返り、ペットボトルのお茶すらお渡しもせず、2時間も話し続けていたことに恥じ入る。K先生は今年81歳だというが、全く衰えはなく、次々にはなしが繰り出される。

さすがに夕暮れとなり、風が涼しくなってきた。ベンチから立ち上がり、帰ろうと言いながら、また20分ぐらい話しが続いていくと、本当に暗くなり、お別れの時が告げられた。長引くコロナで人と話す機会も減り、『いいガス抜きになったよ』と言って頂いたが、大変なご迷惑であったに違いない。ただこちらの収穫はとても大きかった。

掛川駅から在来線で浜松まで向かった。ランチが蕎麦だったからか、何だか腹が減る。駅に着くと予約した駅近くの宿に荷物を置き、すぐに外へ出た。予想以上に風があり、ひんやりする。浜松餃子には目もくれず、うなぎ屋に入った。決して安くはないうなぎ屋だったが、午後6時で満席だという。

15分ぐらい待って席に着き、ひたすらうなぎの到着を待つ。カウンターには、SNSに写真を上げようという感じの男性が二人。実は私はサラリーマンを辞めた10年前、一つの誓いを立てた。『10年間は自らうなぎを食べに行かない』と。そして10年が過ぎ、何とかうなぎが食べられる環境なので、ついに還暦祝いと称して食べに来たわけだ。まあ、美味しいには美味しいのだが、やはり私には高級な食べ物だったかな。

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