鉄観音の故郷を訪ねる2013(6)金門 古寧頭の古戦場を歩く

古寧頭の古戦場を歩く

金門島は今では静かな島だが、第二次大戦後、国民党と共産党の争いの中、戦火を交えた場所でもある。『この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(門田隆将著)で近年日本でも知られるようになったが、1949年の古寧頭戦役で国民党が勝利したことにより、共産党の台湾攻略が失敗に終わり、今日の状態が続いているともいえる。この戦に旧日本軍の将兵が大きな役割を果たしていたとすれば、歴史的には大きな意味がある。

 

バスターミナルで時刻表を眺める。古寧頭の戦場跡は行ってみたかったが、何しろ足がない。バスは1₋2時間に一本、古寧頭戦史館に向けて走っている。取り敢えず乗ってみることにした。運転手に行先を告げると怪訝な顔をされた。恐らく観光客でこのローカルバスを使う者などいないのだろう。本当にそこへ行くのか、という顔をしていた。バスは田舎道をゆっくり走る。途中で雨が降り出した。20分ほど行くと、戦史館に到着。降りたのは私一人だった。雨を避けて走って館内へ。無料。中は古寧頭の戦史が絵や写真で語られている。何しろ、国民党の輝かしい勝利の歴史だ、宣伝もやかましいほど。


 

そしてその展示物をガイドの案内で見て回っている団体は中国大陸から人々だった。彼らはどう思っているのだろうか、この戦役を、などと考える必要はない。殆どの人は初めて聞く話、という感じで、蒋介石の絵などの前では『知っている人がいる』と指をさす。既に中台にわだかまりはない。いや、大陸側にはないというべきか。

 

戦史館見学は早々に切り上げる。そしてバスで来た道を少し戻る。そこには戦場の跡があるように見えたから。行ってみるとトーチカ跡などがあるにはあったが、全て後から作られた、または補修されたもので、当時の様子をじかに伝えているようには見えなかった。

 

そこから海を見に行きたいと思ったが、実は意外と遠いようで歩いて行ってもなかなか見えず断念。金門島には当時の歴史を伝える場所がいくつかあるようだったが、一方現地の人々はその歴史を忘れたい、と思っているように感じられた。

 

バスで先ほどの道を戻ろうと思ったが、相当に時間が余る。再度時刻表と路線図を眺めると、何と先ほどのバスは循環して元に戻ることが分かる。そして私はそのバスに乗り、1周してバスターミナルへ帰った。途中海が見える場所もアリ、降りてみたい場所もあったが、降りてしまうと足がないので眺めるだけにとどめた。

 

古き台北を思い出す

ホテルへ戻り、すぐまた出かける。ちょっと腹が減ったのだ。時刻は午後4時半、こんな時間でも店が開いているのが台湾。いつもで誰かが食べている。横道の奥に行列があった。フライドチキンを売る店だった。私も並ぶ。注文を受けてから揚げるようで12分待て、と言われる。

私の前に並んだのは軍服を着た若者だった。昔台北で勤務していた頃、『台湾の男子には兵役の義務がある。通常3年だが、金門へ行けば1年で帰れる』と聞かされ、金門島は大陸との最前線、何があってもおかしくない場所、というイメージが刷り込まれていた。今はどうなんだろうか。金門へ行けば1年は、既に死語ではなかろうか。いや、兵役そのものが緩やかになっているのだろうか。この島に緊張感はない。

ホテルの部屋で揚げたてのチキンを食べる。確かにうまい。台湾は食べ物に外れが少ないが、大陸とのクオリティの差が非常に感じられる。ホテルにはテレビがあり、有線放送で日本語チャンネルがある。日本のドラマを流しており、見入ってしまう。朝の連ドラ、梅ちゃん先生、だった。ここにも台湾が感じられる。

夜は街に出る。街と言っても小さいが、その雰囲気は30年前の台北に酷似している。言葉では表現できない、ちょっと薄暗い、独特の空気がある。ある意味で映画のセットのようなところ。台湾のどこの街にもある演劇の舞台もある。いいなあ、この雰囲気、忘れていたものが様々蘇る。

夕飯は魯肉飯。ひっきりなしにお客が来る店で入るのを躊躇っていると目のあったおばさんが『入りなよ』と促してくれる。店にはあの昔の活気がある。湯気が上がる。いい感じだ。普通魯肉飯は小さな椀だが、ここでは大きな椀に盛られてくる。雲吞スープも飲むとすぐに腹いっぱいになる。これで200円ぐらいだからまた食べたくなってしまう。古き良き台北に浸った夜だった。ここだけに残っているベストな観光地だった。

5月9日(木)  台湾からの投資

 

 

翌朝は早く起きたがダラダラ。朝食に行くと、人が多くて食べる場所がない。本当にこのホテルは流行っている。何故だろうか?ちょうどオーナーの女性がいたので、聞いてみた。彼女も元は台北で銀行員をしていたとかで、私と共通点があり、親しくなる。

 

『このホテルに投資したのは僅か2年前。台北での生活があまりに慌ただしくて嫌になってしまい、ゆったりとした時間が流れるこの島にやってきた。ホテルに投資したのは、これからは台湾人、特に若者が多くこの島を訪れると予感したから。その為には民宿ではなく、安くてWIFIやテレビが整っているホテルのニーズが強くあると感じた。結果としてその予想は当たり、現在満室が続いている。みんなネットで予約してくれるので、コストもあまり掛からない』とか。

 

この街を歩いていると、本当に古き良き台湾が見られる。大きな古い木、お神輿を要する神社、そして古い古い商店など。現在台湾全体が『ディスカバー台湾』といった雰囲気であり、日本時代が回顧されることも多い。それはある意味では『中国大陸からのプレッシャーへの反発』ではないだろうか。若者が牽引する旅、いいではないか。

 

少し外れを歩くと、福建省政府の立派な建物があり、学校の中に中山堂が見えたりする。まさに虚と実、金門島は昔の台湾であり、また中台の接点として、その微妙な位置を保っている場所である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です