九州北部茶旅2020(7)有田焼から売茶翁へ

7月15日(水)ちょっと有田へ

朝早めに起きて、ゆっくり荷物を引きずり長崎駅に向かった。長崎駅も6年ぶりだったが、駅舎は工事中で、ホームも新しい方へ移動しており、意外と遠かった。今日は佐賀で泊まるのだが、その前に急に有田へ行ってみたくなる。だが時刻表を見ると思いの外、時間がかかる。Suicaは使えないので、切符を購入する。当然ながら特急などには乗らない。

長崎本線快速シーサイドライナーに乗ると、途中彼杵など茶処の駅を通過した。彼杵茶日本一などという宣伝も出ており、降りて訪ねたかったが、時間的に許されなかった。ハウステンボス駅を通り、早岐という駅で佐世保線に乗り換え約2時間、ようやく有田駅に着いた。ローカル線の旅は緩々としており、乗客も少なくて良い。

有田駅に降りたものの、特に当てがあるわけではない。取り敢えずコインロッカーに荷物を入れて外へ出た。観光案内所があったので、そこで地図を貰い、名所を聞いてみた。有田焼の博物館など、見どころは色々あったが、今日は時間が2時間しかないので、柿右衛門窯だけに絞ることにした。タクシーで行くことを勧められたが、当然歩いて向かう。

有田の街はさすがに焼き物を商う店がいくつもあった。雰囲気も悪くない。柿右衛門はちょっと郊外にあり、歩くと駅から30分ぐらいかかって大汗を掻いた。ようやくたどり着くと、敷地内にきれいなショップがあったが、こんな時期の平日だからか、店員さんはいなかった。裏へ回ると展示館があり、何とか柿右衛門の歴史などを見ることができた。出島にあった東インド会社の皿も展示されていた。

きれいな庭も見えたが、雨が強く降り出した。工房もあるようだが、見学はできない。というより人が誰もいなかった。同じ道を帰るのもなんだと思い、少し回り道をしようとしたところ、何と山登りになってしまった。かなり急な坂を喘ぎ喘ぎ何とか登り切り、下りに入ると、古めかしい民家がいくつも見られた。更に古い町並みが残る辺りを散策しに行こうとしたが、時間切れで駅に戻った。

佐賀で

有田駅からまた佐世保線に乗り、佐賀まで行く。今度は1時間もかからずに到着。駅横のホテルを予約しており、そのままチェックインして荷物を置くと、すぐにまた外へ出る。午後はくれはさんを訪ねることになっていたので、もうすっかり馴染んだ道を歩き始めた。お店の付近は古い町並みの保存地区でなかなか良い。

お店に行く前に寄りたいところがあった。実は京都でも追いかけたあの売茶翁についての情報が欲しかった。売茶翁はここ佐賀の出身であり、彼がいた寺もあるはずだった。それを知る手掛かりとしては、やはり肥前通仙亭(高遊外売茶翁顕彰会)へ行くのが良いと思われた。以前に一度訪ねたが、その時は売茶翁がどんなお茶を飲んだのかだけに興味が絞られており、有益な情報は得られなかった。

肥前通仙亭の敷地に行くと、売茶翁顕彰碑がそこにあった。中に入ると、丁寧な説明があり、そして売茶翁直筆の書などが展示されているのを見ることができた。売茶翁は佐賀にいたんだな、という意識が芽生えた。だが売茶翁が出家した龍津寺を訪ねたいというと『今は寺自体がなく、その場所を探すのも地元の人でないと分からない』と言われてしまった。

その足でくれはへ行ってみる。実は今日はちょうどMさんの講座が開かれており、その終わる頃を見計らって挨拶に行った形だ。会場は満員盛況で、お知り合いも何人も参加していた。Mさんとは先月京都で会ったばかり。まさかまた佐賀で会うとはご縁がある。皆さん熱心に質問しており、関心の高さが分かる。

夕方になり、講座参加者も散会し、Mさんも福岡へ去っていった。そしてOさん夫妻とお嬢ちゃんと一緒に夕飯に連れて行ってもらった。午後5時半から美味しい物を頂き、何だか楽しい夕飯だった。売茶翁の寺は明日Oさんが連れて行ってくれることになり、更に一安心となる。車で宿まで送ってもらい、早々に休む。

7月16日(木)売茶翁の寺

翌朝宿で朝食を食べた。実は長崎と同じホテルチェーンで料金もそれほど変わらない。だが朝食の取り方は、長崎がビニール手袋をしてビュッフェ料理を取るのに対して、こちらは既にラップされているパンや食べ物をプレートに載せて食べる方式だった。ホテルごとに色々と工夫しているのが面白い。

Oさんと龍津寺へ向かった。バスでも何とか行けるが本数が少ない上、バス停から寺まで分かり難い。車で20分ほど郊外に出ると、周辺には田んぼなどが現れる。Google地図に寺の名前は出ていたが、なかなか行き着かない。何と本当にこの寺に本堂はなく、お墓があるだけだった。そこに比較的新しい売茶翁顕彰碑が顕彰会によって建てられているのだ。やはり歴史というのは簡単には見えてこない。

くれはの近くの旧古賀銀行(佐賀市歴史民俗館)の中で、Oさんと紅茶を飲んだ。ここはいかにも昔の銀行という雰囲気が漂っており、大正ロマンを感じさせる場所だった。ここで日本紅茶の歴史を探す旅について、話が盛り上がり次回の再会を約す。

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