スリランカご縁の旅2014(6)コロンボ  スリランカの現実

4月5日(土) 紅茶局

翌朝は昨晩の騒音の影響か、目覚めが悪かった。7時に目覚めては寝て、8時に目覚めてはまた寝て、結局9時近くに起きる。それから階下でPCとにらめっこ。今日キャンディの寺に入ると、当分ネットとはお別れになる。できることはやっておこうと少し躍起になる。相変わらずノルウエー人オーナー、ジャールはお茶を自分で淹れるように用意してくれた。

11時前に荷物を纏めてチャックアウト。荷物は階下で預かってもらい、出掛ける。先ずは紅茶局で紅茶を仕入れることに。これまでの話から、OPと緑茶を探すことにした。紅茶局のショップまでは歩いて5分ぐらい。有難い場所にGHがあった。

紅茶局はかなり混んでいた。インド系と思われる旅行客が大量にティバッグを買い込んでおり、店員もそれに掛かり切っていた。更に香港人のカップルが『プレーンティに合う紅茶を探して』と頼んでいたが、相変わらずここの店員は素っ気ない。たぶん国営企業職員なのだろう。インセンティブが無ければ働かない、昔の中国だ。

私もOPを探してほしいと言ったが、相手にされなかった。種類が結構多く、探すのは大変だ。何とか若いにいちゃんを捕まえたが、お茶のことは分からない様子。店員は沢山いるものの、結局は年配のオジサンと若い女性の二人に知識があることに気が付く。ようやく若い女性を捕まえてOP、というと、布袋に入った500g入りのお茶を差し出す。もう一つ缶入りの有機と書かれたお茶があったが、産地が特定できずに、こちらを選ぶ。

彼女はそれでいいのよ、という顔をしてレジを打つ。打っている傍で『緑茶は?』と聞くと、面倒くさそうに私の後ろを指す。これも黙って購入した。これ以上聞いても無駄なような気がしたから。観光を産業の柱にしているスリランカだが、依然としてサービスは付いてこない。

更に食事中に『モレスナ』というブランドの紅茶が美味しい、と言っている人がいたのを思い出し、再度紅茶局に戻って探す。午前中とは打って変わって誰も客がいない。ちょうどランチタイムなのだろう。さっきの彼女が所在なげに座っていた。今度は愛想よく、モレスナを取り出して説明してくれた。単にお客がいると捌き切れないだけのだろう。

ベアフット

GHのジャールが『ランチはベアフットがいいよ』というので出掛ける。これもGHから3分ぐらいの場所。ベアフットは土産物ショップとして知られているが、その裏庭にしゃれたカフェがある。

土産物に関心の全くない私は素通りしようとしたのだが、入るといきなり警備員に紅茶局の袋を取り上げられ、番号札を渡される。背中のバッグは取らないのだから何とも不思議。店内は如何にも女性が好きそうな織物や服、そしてフレーバーバリバリの紅茶などを売っている。欧米人をターゲットにしているが、中国人や韓国人の姿も見られた。

そこを通り抜けると、庭に出た。かなりの広さがあり、ギャラリーになっている建物も別途ある。日差しが強いので、屋根の下に入るが、朝なら庭の真ん中で食べたいところ。木々にはリスが上り下りし、その数は相当なもの。自然な雰囲気がよく出ていた。

今日は土曜日なので、ブランチというか昼までブレックファーストを頼むことが出来た。これがなかなか美味しい。庭にはいい風が吹いており、屋根ではリスが走り回る。とても優雅な気分に浸り、満足を覚える。

4.キャンディ キャンディまで

そして午後スマが迎えに来てくれた。本当に申し訳ないと思うが、一人でスマの寺へ行くことは不可能なのでお願いする。今日は土曜日なので道は空いているかと思えば、さにあらず。逆に免許取りたての週末ドライバーが多く、平日より車が多い上、危険も増している。まず市内を抜けるのに一苦労だ。運転手も慣れていて抜け道を行くが、そこも塞がっていたりする。鼬ごっこのようなものだが、私はまたコロンボ市内、特に旧市街地を眺めることが出来て、渋滞でも飽きない。

それから本来はキャンディロードという道を行くのだが、今日は別のルートを取ることになる。これもまた初めての道であり、歓迎できる。スマの読み通り、こちらの道の方がはるかに空いていたようだ。だがその分遠回りなので時間はかかっている。3時間ぐらい走ってクルネガラという街に着いた。ここで買い物をすることになり、スーパーへ。私の為に食パンや卵などが買われる。更には市場へも行き、野菜や果物も調達する。そこへ急に雨が降ってきて、かなり濡れてしまう。まあ、それでも気持ちの良い雨だった。

僧院

そこから更に小1時間走り、懐かしいスマの僧院に辿り着いた。ここは特に何の変化もないようだった。またスマの部屋を借りる。もう夜になるがスマは溜まった用事を済ませている。

そこへ前回は大学生だった若い僧が顔を出す。彼とは一晩語り合った仲であり、すぐに最近の話となった。彼は大学を卒業し、その大学のカウンセラーになったらしい。勿論身分は僧侶であるが。今スリランカでは大学を卒業した若者が就職できずに、困っているという。一般人でも以前はゆったりと生活していたのが、昨今は物価も上がり、仕事を2つしないと食べていけない人もいるという。

そして驚くべきことに、彼は海外の学者が書いた本を読み漁り、日本の事例としての『過労死』にまで言及した。スリランカに過労死など考えられないというと、それが現実に起こりつつあるのだと。急激に発展する社会ではその歪に飲み込まれる人々がいる。80-90代の中国人もそうだったが、この島国でも恐ろしいことが起きつつある。

その日はスマと遅い夕飯を食べ、蚊帳の中で寝る。この季節、スリランカはかなり暑いが、この山の中は比較的涼しい。

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