ご縁で行く湖南省茶旅(1)益陽 隣に座っていたのは茶葉局長

《湖南省お茶散歩》 2012年10月13-16日

8月に新疆ウイグルへ行った。その際、当地で飲まれているレンガ茶に関してその歴史を調べて欲しいと言われて、ウルムチで茶荘に入り、聞いてみたが、「俺たちは商売には興味はあるが、歴史には興味はない。もし知りたければ我々が仕入れている工場へ直接行け」と言われ、1枚にパンフレットを渡された。早速行こうかとその住所を見てビックリ。何と湖南省だった。ウルムチからは飛行機で3時間以上掛かる。その時点で「9月からはバンコック在住だし、湖南省なんて、当分は行けないな」とそのパンフを仕舞い込んだ。

http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/item/5378

ところが、やはり、湖南省が私を呼んでいた。東京へ帰ると小説家のKさんから「中国に取材に行くが、一緒にどうか」とのお声が掛かった。9月はトルコへ行くので無理だと思ったが、10月中旬でもよいという。そして何と、その取材場所に湖南省長沙が含まれていた。これは行くしかないと心が傾く。

更には東方航空でバンコック‐上海‐東京のチケットを買うと、何と上海‐東京と料金が殆ど変わらなかった。これは安い、行こう、となった訳。Kさんと上海で待ち合わせ、尖閣騒動直後の南京を日帰り、そして翌日飛行機で長沙へ。2日の取材を終えて、Kさんは一人上海へ戻って行った。そして私は、あのパンフの場所、益陽へ向かう。

1. 益陽  益陽まで  2012年10月13日(土)

ホテルで聞いて、益陽行きのバスに乗るため、長沙西のバスターミナルへ。タクシーで20元以上掛かった。そこでバスチケットを買うと28元。これが中国だなと思う。バスに乗り込むとローカルバス。田舎へ向かう。1時間ほど走ると街へ入る。益陽東で皆が降りる。取り敢えず降りようかと思ったが、運転手に聞くと、私が予約したホテルの所まで連れて行ってくれた。実に親切。

ホテルはネットで予約したのだが、かなりきれい。そして何より、スタッフの態度が良い。きびきびしており、笑顔がある。これは経営者の運営の仕方が良いな、と感じた。最近中国の地方都市では、ホテルの質に相当の差が出てきている。これは当たりのホテルかもしれない。

雨の益陽を歩く

今日は土曜日、そして夕方。小雨が降っており、ちょっと肌寒い。あまり外出したい気分ではなかったが、私にはレンガ茶の手がかりが無かった。唯一手にあるパンフの工場、当然土日は休みだろう。何故そんなことにも気が付かず、この日程で来てしまったんだろう。いや、今回私にはこの日程しかなかったんだ。私は呼ばれて湖南省に来ているのだから、きっと動けば何かが起こるだろう。

先ずは益陽の街で何か出来ることはないか、普段ならば、街をぶらつき、適当な茶荘に入り、情報を得るのだが、雨が降っていることもあり、ネットで益陽茶廠の総代理店を探す。ここなら工場の情報が得られると考えた訳だ。代理店はホテルか10分ぐらいの所あるようだったので出掛ける。

歩いて行くと、大きな卸市場のような所へ出た。建材屋などが軒を並べている。その脇に安化黒茶人文茶館と書かれた店があったので覗いてみた。黒茶の普及に務める、との謳い文句があり、黒茶が展示されている。担当者に黒茶の歴史を聞くと一通り説明してくれたが、細かいことは分からない、本に書いてあるとのことで、一般情報しか得られなかった。ここの2階はお茶を飲むスペースになっており、黒茶文化の普及と称して、商売をしているようだった。何だ、黒茶もただの商売道具か。

ある店の前には「尖閣は中国の物、日本商品排斥」などの幕が掲げられている所もあった。反日暴動から20日あまり、この田舎町でも何かあったのだろうか。私が温かく迎えられる素地はあまりないような気がした。

益陽茶代理店でいきなり

更に歩いて行くと数軒の黒茶屋さんがあったが、既に閉まっているか、薄暗い店内で寂しく商売をしていた。確かに雨の土曜日の夕方、人が来る気配もない。ようやく総代理店を探し当てると、そこには先客が2人いた。躊躇っていると「こっちに来て座れ」とのことで座る。「なんか用か」と聞かれたので、黒茶の歴史、新疆との関連などについて知りたい、と伝える。

すると隣に座っていたオジサンが、すらすらと答え始めた。時々中国ではそれほど知らないのに知ったかぶって大声で話をする人がいるが、このオジサンの答えは実に的確で、私の知りたいことを解説してくれた。特に新疆関連については「国策で作っており、儲けはそれ程ない。価格は政府の補助があり、新疆では安く売られている。文革中でも新疆やモンゴルの為に生産を止めることはなかった」という。

オジサンが「月曜日に工場は開くが、工場見学は一般人は出来ない。製造方法は一つの国家機密だ」と言い、店員が持って来たお茶に菌花のついた茶を指した。なるほど、菌が茶葉に付着し、独特の状況を作り出している。「だが、工場の隣に博物館がある。そこには入れるから月曜日に行くと良い」と言い、店のオーナーにアレンジを依頼してくれた。

このオジサン、一体何者だ。店内に黒茶関連の本が置かれていたので何気なく手に取ると、何とそのオジサンの顔写真が載っていた。黒茶の専門家で、かつ現在はこの益陽市の茶葉局の局長をしている人物だった。市政府に茶葉局がある、それで益陽市の支柱産業の一つに茶業があることが分かる。その局長と言えば偉いだろう。

オーナーが「飯だぞ」と声をかけ、局長たちが奥へ入る。「お前も食ってけ」と言われご相伴に預かる。ここの飯は実にうまかった。鶏肉は新鮮だし、味付けは濃いが、私に合っていた。湖南省の漬物はご飯に実によく合っていた。シーズンということで、蟹も沢山食べた。もう満腹だった。

食事の最中、私の経歴を話している中で日本人であることを告げると皆一瞬驚いていた。ちょうど反日暴動直後でもあり、「えっ」という雰囲気になる。私の中国語は決してうまくないが、その風貌と相俟って、日本人に見られることはまずない。局長が「日本とは色々とあるけれど、茶を飲んでいる人は友達だな」と一言言い、その場は和んだ。そして何故か一層食事が進んだ。そんなもんだ。




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