華人と行く安渓旅2019(5)コロンス島で

6月17日(月)
厦門へ戻る

ついに今日は安渓を離れ、厦門に行くことになっていた。校長がまた車を出してわざわざ送ってくれた。陳さんは先日のホテルにチェックインして、明日帰国するというので、そのホテルまで同行して、そこで別れた。今回は本当に陳さんに世話になった。そして酒も飲めずに何らお役には立たなかった。

 

そこからタクシーでいつものホテルまで行く。5つ星ホテルよりこちらの方が私には落ち着く。しかしすぐに外出した。出来れば鼓浪嶼、コロンス島へ行っておこうと考えたのだ。もう何年も行っていない。聞けば、昔の船にはもう乗れず、船着き場も別の場所になったというのだ。バスでその船着き場にかなり迷いながら行ってみると、何と昔の金門行きフェリーが出ていた場所だった。色々と変化があるものだ。

 

 

しかも以前は空いていればすぐに乗れた船、今やチケットを購入して乗船時間が決まる。すぐ出ていく船は既に満員で、1時間は待たされる。そして何より昔は1元、その後10元だった船代が、何と50元になっている(35元の船もあるようだ)。船で10分の距離、どう考えても合理性はない。これは入場料ということか。待っている時間がとても暇に思えたが、よく見ると壁に100年ぐらい前の厦門やコロンス島の写真が沢山貼られており、結構楽しめた。

 

船は超満員で座る席さえない。まあわずか20分のことだからどうでもよいが、そう考えると船賃に納得がいかない。コロンス島には確か3つは船着き場があると思うが、そのうちの一つ、見覚えのあるところに到着。早々歩き出す。海辺は気持ちがよく、一体どこに来たのかと思うほどのリゾート気分。しかし途中から上り坂になり、結構疲れる。

 

今回態々ここまでして島に来た目的は1つ。先日紹介を受けた郭春秧の子孫が出演した番組によれば、郭はこの島に別荘を建てており、その別荘は今も残っているということだったので、是非見てみたいと思った次第だ。だがその別荘の場所までは意外と遠い。改めてこの島の広さを実感する。ようやくたどり着いたときにはヘロヘロだった。

 

今その別荘はホテルになっており、建物中に入ることはホテルゲスト以外できないと言われる。仕方なく外からその重厚な建物を眺めた。庭もそれなりにあり、お茶を飲んでいるお客もいた。ここ以外にも、春秧の茶荘の名称から取ったと思われる、錦祥路という狭い道もあるが、特にお茶に関連ありそうな風景は今や見当たらない。

 

しかしこの島、歩いている人が多い。静かで優美な、ピアノの音が聞こえてくる島、というイメージはもうない。人込みを避けて歩くと、旧日本領事館の建物に遭遇した。ここには往時各国の領事館が置かれていた、いわゆる租界地という面もあった。本来はもっとゆっくり昔の建物など眺めながら、歴史に浸りたいところだが、観光客の群れはそれを許さない。

 

仕方なく、近くにあった船着き場から厦門に帰ろうと思ったが、そこは厦門市民専用だった。観光客と島民、市民をここで区別して、観光客から高い料金を取りたてていたのだ。何だか釈然としないが、一方でこれだけの人が島に来てしまえば、島民の生活にも大きな支障が出たことだろうから、この処置はやむを得ないと理解し、歩いて10分ほどの観光客用に行って乗船した。帰りの料金は行きに含まれており、この船着き場から出る船は、すぐ対岸に着岸してくれたので、帰るのは楽だった。

 

バスで宿に帰る。腹が減ったので、近くの新疆料理屋でラグメンを注文する。夕方5時だというのに、漢族の若者が酒を飲み、大声で騒ぎ、そして料理の味付けに文句を言っている。それを黙って聞いているウイグル族の夫婦。もう慣れっこなのだろう。少なくとも同胞というイメージはない。若いウイグル女性はこの暑い中、冷房のない外で、串焼を焼いている。ウイグルの中にも格差社会はあるのだろうか。

 

夜はゆっくりと休んでいたが、なぜか眠れずに、ずっとテレビを点けていた。女子ワールドカップサッカー、中国チームはスペインの猛攻に耐え、何とか決勝トーナメントに進んだ。中国女子は90年代、日本などよりはるかに強く、世界の頂点に居たこともあるが、最近は成績が芳しくなかった。男子同様、奮起が期待されている。中国の監督が試合後涙しているのは特に印象的だった。

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