ある日の埔里日記2017その5(8)清境農場へ

10月30日(月)
清境農場へ

天気が悪かった埔里だが、今日は快晴だった。ご近所のIさんから声が掛かり、清境農場の方面へ出掛ける。清境農場の横は何度も通ったし、今年の初めにはそこでバスまで降りたのだが、結局下の茶畑を見ただけで帰ってきてしまったので、今回はちょっと楽しみにしていた。

 

車は霧社を越えて更に登っていく。清境農場を過ぎてもまだ止まらない。今日の目的地は農場ではなく、その付近にある民宿だった。Iさんの親戚が年末台湾にやってくるので、どこに泊まるか、その下見に来ていたのだ。その民宿はやはり埔里在住の日本人Yさんの紹介だという。Yさんの日本語の生徒さんが経営しているらしい。

 

その民宿は実に眺めの良い場所にあった。正面に山々が見える。中に招かれたが、取り敢えずその景色を眺めていた。日差しは強いが、風は爽やか。標高は1800mぐらいだろうか。高原のリゾートという感じだ。建物は4階建てで1階はリビング、2-4階は宿泊できる様だ。部屋はきれいで申し分はない。

 

だが、どう考えても今でも涼しいのだから、12月末は相当寒いだろう。この辺では年越しのカウントダウンも行われるようだが、それを見に来る人々ですごい渋滞にもなるという。折角静かな山間で年越し、とはならない。しかも既に12月31日の部屋はすべて埋まっていた。

 

こちらは姉弟が経営しており、両親も一緒に住んでいるのだという。お姉さんは週に2回は埔里の街まで車を飛ばし、日本語とヨーガを習っている。往復3時間の道のり、大変だと思うのだが、やはり山の中では飽きてしまうのだろうか。まあ、確かに、景色や空気がよいとは言っても何もない所ではあるが。

 

皆で昼ご飯を食べに行こうと言われ、着いて行く。そこは農場の入り口近くの坂を少し下ったところで、団体さんも利用するようなレストランだった。勿論地元であり、親戚が経営しているらしく、美味しそうなものがどんどん出てきた。特に豚肉、鶏肉は絶品、一人で来ても味わえないものばかりで感謝感激。

 

因みに原住民料理かと思ったが、そうではなかった。ご馳走になってしまい、申し訳ない。これも先生であるYさんのお陰だ。先生に対する対応は日本とはかなり違う。このレストランも、外の席があり、行ってみると絶景だった。既にここでは団体さんの食事が終わり、皆が席を立った後だった。

 

植物も色々と植えられており、目に楽しい。よく見るとこのレストランの看板に、高山中草薬園と書かれているではないか。ここでは山の中の薬草を集め、漢方薬作りの実験をしているらしい。大学とも連携しており、かなり本格的なので驚いた。そういえばさっき体に良い酒を飲め、と言われたが、あれも漢方薬だったか。

 

農場には入らずに、遊歩道を歩くことになる。この最近作られたスカイウオーク、遊歩道は絶景だと評判をとっているらしい。ただ私は高所恐怖症であり、あまり好ましい場所ではない。車で上の入り口まで送ってもらい、入場料を払う。私以外の2人は埔里在住者で割引があり、何となく私も割引料金になった。

 

確かにこの道路の脇に作られた遊歩道、かなり雄大だ。今日は天気も本当に良いから、絶好の散歩日和なのだろう。私のような高所恐怖症の者でも、何とか歩くことができ、楽しい。下の方には羊の群れが見える。台湾のアルプスを標榜する清境農場だけのことはある。台湾各地、中国や香港からも大勢の観光客が散歩を楽しんでいる。

 

約30分、ゆっくりと下まで降りた。そこには観光センターがあったはずだが、全面改装中で見る影もない。連絡して車で迎えに来てもらい、民宿に戻る。自分たちの車で行くと駐車場もなく、またかなり歩かないと車にたどり着けないので、このような措置となる。大変お世話になってしまった。

 

帰りは下り、途中霧社事件後の日本人墓地の場所を確認して埔里に戻る。同行したSさんの家が郊外にあり、Sさんを送りがてら、ちょっと寄る。彼はコーヒーを栽培しており、ちょうど天日で干しているところだった。コーヒーの皮むき、初めて見た。やはり茶とコーヒーではその製造法はかなり違うようだ。

 

埔里に帰ると、北京時代に一緒だったKさんがやってきていた。彼は今、岡山にいるはずだが、フットワークは相変わらず相当に軽い。古月軒で夕飯を一緒に食べる。美味しいと言って麺を食べていたのだが、よく聞いてみると、昼ご飯も、この店の本店で同じものを食べていたらしく、失礼してしまった。雰囲気がまるで違うので気が付かなかったらしい。昔の知り合いが訪ねてきてくれることも稀なので、何となくうれしい。

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