中国鉄道縦断の旅2015(14)中国は順調、問題は日本か

1227日(日)
北京散歩

 

朝はゆっくり起きた。正直3人旅が一人になり、これほど自由に感じられるとは思わなかった。決して3人旅が嫌だったわけではない。ただこれまでの私の旅は基本的に一人であり、自由気ままにやってきたので、そのペースが掴めないと疲れてしまうというのは仕方がないことかもしれない。

 

10時過ぎにホテルを出発。まずは携帯への入金をしようと携帯ショップに寄ったが、そこの爺さんが実に愛想がない。これが北京の老百姓だとは重々分かってはいても、やはり気分の良いものではない。100元を入れるのに手数料1元。地下鉄に乗ると、車内で不動産広告のチラシをばら撒いている。これも不愉快だったが、何となくバブル期の日本を思い出す。

 

海淀黄庄駅で降りる。今日はWさんとランチの予定だが、指定されたレストラン名が違っており、場所がわからず困惑した。何とかたどり着く。Wさんは中国経済楽観派だった。一帯一路政策もそこそこ機能(鉄鋼などの輸出、国外基地)しているし、介護などサービス業が盛んになっていくので、バブル崩壊はないと言い切る。

 

日本企業は中国の高度成長の果実を取り損ねたから低迷したんだ、カツを入れるべきだが、中国通と呼ばれた社員はもういないので、うまくできない。アメリカ流を中国に持ち込んでも通用しない。この店は四川料理。麻婆豆腐とご飯をかき込む。ウマし。でも何となく血糖値が高くなっているような気がする。

 

ランチ後、4号線と2号線で懐かしの建国門へ行く。銀行で用事を足してから、付近を散歩した。すでに移転してしまった元日本大使館は中国の政府機関に変わっていた。今日は寒いが汚染は少なかった。国貿まで何となく歩いて行くが、特に活気は感じられない。まあ、日曜日だから、この辺は人通りがない。10号線でホテルへ戻る。

 

5時過ぎに亮馬橋へ行き、バスを探す。東直門へ行くには地下鉄は不便で仕方ない。一直線で行けるバスが早い。今晩は北京在住時代のお知り合いに集まって頂き、旺順閣で魚頭泡餅を食べることになっていた。この料理は魚の頭を豪快に煮込んで、泡餅をつけて食べるのだが、量も多いし、値段も125元(6斤)もするので、大勢で食べるのがよい。そこでは様々な話題が出た。

 

大気汚染は深刻であり、帰国者は続出しているという。日本人、特に子供と奥さんが帰国しており、総数もかなり減少している。一方中国経済は北京においては好調に見える。日本酒ブームもきており、中国人が徳利で熱燗を飲むのが流行っている。ウナギもブームになっていて、Yさんの店では、日本酒が主にも拘らず、ひつまぶしだけ食べにくる中国人が多くて困るとも言っていた。

 

日本旅行は当然大ブーム。旅行会社を経営している人によれば、『白馬を単に雪だけでなく、鄙びた村とか、温泉に浸かる雪サルなどとうまく組み合わせて伝えたところ、大勢の中国人が行くようになった』という。同時に爆買いに代わり、越境ECの時代が来るとの話が出ていた。爆買いに変化の兆しありか。

 

日本の品物を大量に買い込み、中国で販売したいとの動きがかなりあり、そのために日本で商品を抑えられるバイヤーを探しているところが何軒もある。100億円買いたい、などと平気で言う中国人がいるらしい。個人的には日本へ行って、少額でも現地の物を買ってほしい、単にモノだけの繋がりではなく、その国の良さを体感して欲しいと思っている。

 

一方日本人観光客は全く来ない。これもまた大いに問題だ。来る人と言えば、特定目的の人ばかり。例えば、鉄道オタクなど。今回の旅で、乗り鉄、撮り鉄、データ鉄など、鉄道オタクにも色々とあることを知る。また鉄道写真は、全景が入らないものは写真として認めないなど、独特のルールもあるらしい。私にはとてもついて行けない。こんなに豊富な話題が聞ける多彩なメンバーとの食事は楽しい。

 

1228日(月)
帰国

 

日本では年の暮れが近づいているが、旧正月の北京では、年の瀬などは感じられない。飛行機は夕方なので、午前中はゆっくりと起きる。本当に今回も又疲れてしまったが、前回のミャンマーのように倒れるまでには至らなかった。恐らくさすがに中国は慣れていたことと、ミャンマーほど列車の揺れがなかったことが理由ではなかろうか。しかし来年3月に予定されている北京からロシアの果てまでの旅は今考えても思いやられる。体が持つかどうか心配だ。

 

外へ出ると空はきれいだった。風が吹けば、きれいに飛ぶということか。昼ご飯を近所で早めに済ませる。歩いていると食堂の求人広告があったが、皿洗いに月3000元出すという。以前では考えられないほど、労働力は不足しているのだろうか。ホテルをチェックアウトして、疲れたので電車ではなく、タクシーを探して空港に向かう。最近はタクシーが拾いにくいので心配していたが、すぐに見つかった。運転手も、大きな荷物を持っていたから空港に行くと分かったので、急いであんたを捕まえたよ、と笑う。

 

フライトは順調で夜には羽田空港に戻って来た。既に御用納めも終わっており、電車も閑散としていた。実に久しぶりに日本で正月を過ごすことになりそうだ。ああ、2015年も暮れていく。それにしても、歳を取るにつれて激しい旅をするとは、何とも不思議な状況だ。来年は平穏な旅を、とは思うものの既にその前途は厳しい。

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