万里茶路を行く~北京から武漢まで(1)万里茶路協会の会長に会う

【万里茶路中国北部編2016】 2016615-27

 

201512月の中国鉄道縦断、3月の北京からロシアの果てまでと、下川さんの旅に同行して、万里茶路のルートを辿ってみた。だが下川さんの旅はあくまで彼の旅であり、私が本当に見たい物、知りたいことが満足されたかというと、かなり疑問があった。4月には福建省の武夷山へ行き、茶貿易の起点を眺めてみた。今回は北京から武漢まで、自分の旅で万里茶路を歩いて行こうと思う。

 

615日(水)
1. 北京
宿泊先まで

今回はマイレージ消化のため、ANAで北京へ向かう。朝羽田空港から出発するのは成田より明らかに楽だ。そして前年まで見られた爆買い中国人観光客の姿もまばらとなり、ゆったりと搭乗できた。機内食も美味しく頂き、映画を見て過ごすと、あっという間に北京まで着いてしまう。北京に天気も快晴で幸先は良い。

 

今回は北京の友人に誘われていたので、彼の家へ向かう。中関村方面の空港バスに乗り、終点で降りればよいからと言われ、安心して乗る。乗ったら電話して、と言われたが、何と電話が繋がらない。前回4月に実名制の影響を受けて、元の携帯カードが急に失効してしまい、慌てて武夷山で新しいカードを買ったのだが、どうやら月額料金を2回落とされ、お金が尽きていたらしい。

 

これは困った。今や携帯がなければ何もできない。彼の住所も聞いていない。その時思い出したのが、2年ぐらい前にその場所を一度訪れたことがあるという微かな記憶。仕方ない、何とか直接辿り着こうと決心する。だが、今度はバスが北京の大渋滞にはまり、一向に動かない。先方は待っているだろうか。

 

1時間半以上掛けて、ようやく終点でバスを降りた。意外と記憶が蘇り、その場所はすぐに分かった。安心したのもつかの間、何度ドアを叩いても不在だった。こうなると電話で連絡する以外方法がない。外へ出ると、社区の小売部が見えたので、行ってみる。そのおばさんに事情を話すと快く彼女の携帯を貸してくれ、電話を掛けることができた。更には『携帯ないと大変でしょう』と言って、彼女のスマホから、携帯カードへ入金までしてくれた。今や入金はスマホからだ。

 

何と親切なのだろうか。北京の人は冷たい、という印象があったのだが、このような民間人が住む社区にはまだまだ人情が残っている。この話をやって来た王さんにすると『いや、最近は北京でも珍しいよ。あなたが外国人だったからかな』と首を傾げながら、そのおばさんに礼を言ってくれた。

 

万里茶路協会へ

今回北京へ来た目的は、万里茶路協会の会長と会うためだった。紹介してくれたのは5月初めに訪れた江西省河口の女性茶業者、王社長。王さんもわざわざ江西から出てくるというのだから、大ごとになってしまった。その待ち合わせ場所として指定されたのは、何と龍潭公園。中関村からは地下鉄で1時間以上乗り、更にタクシーを探したが雨が降り出して見つからず、何とかバスで辿り着く。

 

こんな公園に事務所があるのだろうか。メッセージに示された場所を探したが、どうしても見付からず、電話を掛けると、迎えに来てくれた。そこは何と、公園内に残された清朝時代の建物と庭園。一般人は入れない場所だったのだ。特にその庭園には池があり、良い感じで木々が植わり、雰囲気がとても良い。普通は絶対に入れない、使えない場所だと思うのだが、会長の郭さんは中国文化協会の副会長でもあり、自由にここを使っているようだ。

 

この中には貴重なお茶も沢山保存されており、郭会長が自ら淹れてくれた30年物白茶などは、これまで飲んだことがない旨さだった。いい風も吹いてくる。やはり中国は広い。そして北京には様々なものが残されているのだと強く感じる。郭さんは元々国有企業の幹部だったそうで、現在は趣味が高じて、文化方面の活動が多いらしい。習近平主席がモスクワを訪問した時、『万里茶路』の復活を進言し、実現させた政治力も持っているらしい。

 

王社長は江西省から余先生を連れてきていた。余先生は90年代にすでに万里茶路の存在を本に書くなど、中国茶の歴史に実に詳しい、その道の専門家だ。郭会長からは万里茶路の大型地図をもらい、余先生からはご自身の本をもらった。こちらも下川さんがちょうど出版した本を差し上げ、私の活動を紹介した。ただ郭会長にとって万里茶路はある意味で政治であり、私のような旅人には興味を示さなかった。むしろ余先生の方と話が弾んだ。

 

日が暮れるまで庭を眺めて茶を飲み、その後夕飯をご馳走になった。この場では王社長が目下の江西省における万里茶路政策の推進状況について説明し、かなり強い口調で陳情していた。まあ今回の訪問、私はあくまで話のネタであり、彼女の目的はこの陳情にあったようだ。お茶が政治化し、そして商業化していく姿を垣間見た。

 

食後、彼らはスマホでタクシーを呼び、かえっていく。私は余先生の車に乗せてもらい、地下鉄駅まで連れて行ってもらった。今やタクシーは手を挙げて止めるものではなく、スマホで呼ぶもの。地方から出てきても使えるので便利である。私はまたとぼとぼと1時間以上かけて、地下鉄で帰った。

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