変化するヤンゴンを歩く2014Ⅱ(9)プライベートスクールを訪問して

郊外の開発住宅

Tさんは自家用車を持っており、その車でホテルまで送ってもらった。今日は日曜日、道は思いの外空いており、すぐにホテルまで辿り着いた。Tさんと別れて、部屋に荷物を置き、TTM家へ向かう。タクシーを探し、また橋を渡る。ここも日曜日なので、前回ほどは混んでいなかった。

 

家でごろごろしていても仕方がないということで、この住宅街の散歩に出た。TTM家は門からかなり遠いと思っていたが、実はこの敷地全体の中ではかなり近い方だった。驚きの広さ、ちょうど向こうから僧侶が沢山歩いてきた。何かのイベントだろうか。住民が水を与えたり、喜捨したりしている。

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TTM家は20年も前に建てられた古い住宅だが、最近の不動産ブームに乗って、残っていた敷地で今、大量の住宅建設が行われていた。それも庶民から見ればとても手が出ないような大型の一戸建て。一体誰がこんな家を建てるのだろうか。ミャンマーには相当の金持がいると認識していたが、この辺ならまだ市内より安いということで、新興勢力が買い漁ったのだろうか。

 

分譲住宅のような同じ形の家も作られており、まだ色々な意味で開発中ということか。歩いていると中国語が聞こえてきたり、韓国人の子供たちが遊んでいたりと、バラエティもある。広々とした敷地、緑のある環境、市内からこちらへ移る人々もいるのだろう。勿論家賃もだいぶ安い。

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それにしても暑い。特に建築中の住宅付近は木もないため、暑さがひとしお。こんな中で作業する人たちは大変だ。また作業員の数が多い。これは効率性が低いということだろうか。いくら人件費が安いと言っても、どうなんだろう。帰りはかなり喉が渇きながら、喘ぐように戻る。

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夕飯を頂きながら、昨日のお寺のインタビューが放映されていないかチェックしたが、なかった。車で送ってもらいホテルへ帰る。そしてちょっとネットをやり、すぐに風呂に入り、寝てしまう。

 

8月18日(月)

ナースーダのプライベートスクール

今朝もいい天気だ。相変わらず部屋ではWIFIが繋がらず、朝食を取りながらPCを立ち上げる。まあ、一日中ネットと睨めっこしているよりは余程健康的なのだが、今朝はメールが入っているか見る必要があった。残念ながら期待されたメールは見当たらなかった。

 

8時にはTTMが迎えに来た。タクシーでバゴー方面へ向かう。これは昨日の朝妹さんの家に行った道と同じだった。ヤンゴン郊外に出るとTTMが『私は昔公務員でした』という。公務員だったという話は聞いたことがあるが、具体的にどんな仕事をしていたのかは知らなかった。『このすぐ近くのミルク工場でマネージャーをしていた』のだとか。それだと公務員というイメージより、国営企業社員という感じだなあ。軍にコンデンスミルクなどを納めていたらしい。

 

バゴーに行く途中、高速道路があったがそこで高速に乗らず、脇道を入る。ここからは完全な田舎道、と思ったが、道路は舗装されており、車の走りもよい。『この辺は軍政時代、ミャンマー全土各州の代表者が集まる会議場があった』のだという。それでこの道が作られたが、首都がネピドーに移転し、役割が無くなったらしい。会議場の敷地を過ぎると途端に道が悪くなる。それから結構走って、ナースーダという村に来た。ここが目的地らしい。村人に聞くと学校は直ぐそこだという。行ってみるとこじんまりした校庭と校舎が見えた。

 

何故ここへ来たのか。それも必然のご縁かもしれない。5月に沖縄へ行った時、久高島のヨーガ合宿を終え、本島で大学の1年先輩に会った。普通にランチを取る約束をしてのだが、急に『今日はミャンマー人の新年会に行くことになった』というのだ。沖縄でミャンマー人?新年会?ミャンマーの正月は4月のはずだが、どうして?聞けば新年会が会場の都合で今日になったというのだ。そして行ってみると美味しいミャンマー料理が出た。会長のチョチョカイさんが沖縄初のミャンマー料理屋を開いたというのだ。

 

何故料理屋を開いたのか。チョチョカイさんは『日本で教育法を勉強したのでミャンマーにそれを伝えるため学校を作った。その運営資金を稼いでいる』というではないか。その学校こそが、今の目の前にあった。ヤンゴンの日本語ガイドさんを紹介されていたが、彼は急に同行できなくなり、学校の名前も、先生の名前も電話番号も、何も分からない突然の訪問だった。

 

校舎内では実に元気な子供の声が響いていた。嬉しくなる。校長先生はチョチョカイさんのおばさんだが、今は不在だという。代わりに若い女性が対応してくれた。ゼーマートゥンさん、25歳。私の質問を真剣に聞き、真面目に答えてくれた。彼女の目が実にいい。まっすぐ前を向いている。

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この学校は昨年開校、今年認可を得て、正式にプライベートスクールになった。民政に移行し、プライベートの学校設立が認められるようになっていた。生徒はプレスクール26人、小学1年生30人。先生は5人。校長先生とゼーマートゥンさんがヤンゴンからやって来ており、平日は学校に泊り、週末だけ家へ帰るらしい。給料は僅か70000k。週末帰る交通費にも困るほどだが、彼女の志は高かった。

 

『貧しい子供に教育を与えたい。そして自分もこの学校で色々なことを吸収し、いい先生になりたい』、実に明瞭な目標を淡々と語る。ここにいる時は24時間、子供のために対応しているとも言う。国が作った学校では、教師はただ教えるだけだが、ここでは学校に来なかった子供の補修をしたり、一人一人の学力に合わせて質問に答えたりしている。これはミャンマーの今の教育には全く存在しない物だろう。

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日本から導入された教育法と言っても、幼い子供たちだ。先ずは『食事の前には手を洗う』『ごみはゴミ箱に捨てる』などの生活習慣の改善を行っている。子供が学校でこれを習い、家に帰って親に伝える。実は村人たちの教育になっているのだという。また絵を描いたり、帰る前に体操をしたり、折り紙を折ったり、とミャンマーの教育にはない、独創性を育てる、健康な体を作る、などにも取り組んでいる。

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教室を覗くと、子供たちが先生の言うことを聞いているかと思えば、集中力を欠いて、机の下に潜り込んだりしている。我々が行くと一斉に好奇の目が向き、教室を飛び出してくる子もいる。一様に目が輝いているのが印象的。

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校長先生が帰ってきた。我々が来たことを知らされ、ヤンゴンから急いできたらしい。35年教師を経験し、今はリタイヤ―していたところをチョチョカイさんに頼まれて、一時的に引き受けているらしい。とても楽しそうな校長で、生徒の人気も高いようだ。

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ランチを食べて行けと言われ、恐縮したが、更に話を聞くため、ご馳走になった。子供たちは家から弁当を持ってきて教室で食べていた。昔は貧しくて学校に行けない子が多くいたが、今では政府が国の小学校を無料化、ノートや教科書もタダで支給しており、学校へ行ける子が増えた。更にはお寺でも無料で教育機会を与え、優秀な子は大学まで無料で行かせるようだ。村の子供でも殆どが教育を受けているという。

 

プライベートスクールの認可は、国の方針。これまで進学や海外留学のための塾が多くあったが、これを学校にするのが目的だとか。高い学費を取り、優秀な先生を雇い、成果を上げる。ところが今いる学校はまるで違う。『小学校は無料、運営経費などは全て沖縄から来る』という。政府の支援など一切ない。これからどうやっていくのか、ちょっと心配だった。

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男の子と女の子が呼ばれ、我々の前で朝のお祈りと歌を披露してくれた。5歳にしては利発な印象で、可愛い。2人とも『将来は大学へ行く』という。男の子はエンジニア、女の子は教師、とこの年齢ではっきりを将来の目標を言っていた。

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