『インドで呼吸し、考える2011』(4)ラダック 尼僧院に宿泊して

ラダック1日目
出迎え
空港は周囲に何もなく、ただ銃を持った警備員が警備しているのが目に付いた。外国人だけが登録書を書かされているが、それも直ぐに終わる。特に緊張はない。空気が希薄との印象も受けない。荷物はすべて手作業であり、なかなか時間が掛かった。そして荷物を持って外に出る際、再度チェックがあり、番号の確認が行われた。一応の警戒があるようだ。

外に出ると迎えの紙を持った人々が幾人も立っていたが私の名前は見えない。普段なら慌てるだろうが、朝の10時でもあり、その内来るさ、と言った気楽さがある。ただ紫外線が予想以上に強く、帽子を忘れて難儀だな、と思っていると、尼僧が2人近づいてきた。そうだ、私は尼僧院にお世話になるのだから、彼女らを見付けるのは簡単だったのだ。

尼僧の一人が運転する車で出発。ドライバーは男との固定概念がいけないのだ。そして驚いたことに道を二つ曲がったところで到着してしまった。空港から近いとは聞いていたが、歩いても行けそうな距離だ。

尼僧院に迎えられる
そこには門があり、中はコの字型に建物があったが、真中は工事中。私は何処に泊まるのかと思う間もなく、荷物が部屋に運び込まれる。チェックインなどない。ベットが2つあり、絨毯が敷かれていた。シャワーとトイレもあり快適。

女性しかいない所にいいのだろうか、などと思うこともなく、尼僧さん達も笑顔で「ジュレ(ラダック語でこんにちは、有難う等の意味)と挨拶してくれる。直ぐに部屋にチャイとビスケットが運ばれる。歓迎されている。チャイは美味しい。チベットと言えば、バター茶だが、あれはちょっと苦手。最近はラダックでもインド化してチャイを飲むらしい。ビスケットも素朴で美味しい。しかし食べ過ぎは禁物。高山病対策を取る必要はある。

誰かが挨拶や説明に来ることもなく時が流れる。電気も来ていないので充電もできない。こうなれば休むしかない。それでいい、と体が言っている。横になるとすぐに寝られた。外の強烈な太陽とは異なり、意外と部屋は涼しく、掛け布団を掛ける。1時間ほど寝るともう12時、ランチはあるのかどうかも分からないが、それもそれでいい。

1時頃、当然尼僧さんが一人部屋に入ってきて(これまでもノックなどはなく、皆入ってくる)、ランチを告げる。行ってみると部屋に鍋が2つ。一つにご飯、もう一つにおかず。実にシンプルだが、それでいい。おかずはキャベツを煮たようなもの。これが実にあっさりしていて美味しい。高山病警戒で量を少なくしたが、後悔。

尼僧さん達は外国人に慣れているようで、英語で話し掛けてくる。英語教育がなされているようで、かなり流暢な子もいる。中には「日本は落ち着いた?」などと聞いてくる子もいる。 一人小学生ぐらいの子が混ざっている。服装からして最近来たらしい。どこか動作がぎこちない。恐らくは事情があってここにやって来たのだろう。一人が言う「私達は一生ここにいるだろう」と。

子供達
午後はコックのおばさんの子供(幼稚園生ぐらいの男の子)と遊ぶ。階段も上ったが特に呼吸が荒くなることもない。尼僧さん達も時々心配して声を掛けてくれる。さっき気になった新入りの子にも時々誰かが声を掛けている。やはり事情がありそうだ。今の日本に必要なのはこのさり気無い声掛けだと気付く。

4時頃お茶の時間となり、再びチャイが配られた。高地でかつ乾燥地帯であるラダックでは水分補給は重要。外では子供の声が増えている。学校からでも戻ったのだろうか?ということは子供と一緒に尼僧院に入った女性もいるということか。30名ほどが滞在していると聞いたが、その実情は全く分からなかった。

後で聞くと親子はあのコックの女性と男の子だけ。しかも子供も全員女の子と聞き驚く。6-8歳で頭を坊主にしていると男女の区別はつき難いが、彼女達には日本の女の子のような女の子っぽい仕草がないことに気付く。それでも実に可愛らしい。日本でいえば、昔の、自分が子供の頃の子供なのだ。今の日本では子供らしさ、可愛らしさも、作り物のように思えてくる。

1日目、何のプランもなく、何の働き掛けもない。頼みのP師はどこかへ出掛けて戻ってきていないが、急ぐことは何もない。既に自分の心が実にゆったりとしていることに自分ながら、驚く。

夕方7時でも外は明るい。そろそろ夕飯だろうかと思っていると尼さんがスープを持ってきてくれた。廊下に椅子を出し、風に吹かれながら飲んだ。豆が少しだけ入っているこの1杯は至極の味。もう夕飯は要らない気分。

電気が無ければ寝てしまう
椅子を外に出して五木寛之の「海外版 百寺巡礼 インド2」(講談社文庫)を読む。この本は成田で偶然目の前に飛び込んできた。上巻があるとは知らず下巻のみ購入。ブッダ最後の旅を五木が辿る物語だが、何となく胸に響くものがある。このままここで風に吹かれながら、一生を過ごしてもよいのではないかという気にさせる本。

少しして部屋に入ると電気が来ていた。この尼僧院では通常電気は一日に数時間のみ配電される。基本的には朝と夜。昼間に電気があれば嬉しい。ネットもブロードバンドの機嫌が良ければつながる状態。日本では考えられない。しかし電気が無い、携帯やネットが繋がらなければ、それは仕方がないこと。日本の電力不足、節電とは何か、再度考えてしまう。

それでも悲しいかな、電気が来れば途端に俗世に引き戻される。PCの充電を開始。デジカメの電気を使ってしまおうと外に出て、真っ青な空の写真を撮っていると尼僧のソーナムが走ってきて、携帯を渡す。何と日本のSMさんが無事を確認するため電話してくれたのだ。電気が無い、この状況での電話は天からの声にも聞こえ、有難い。

7時半に鐘が鳴る。比較的小さい子達が一室に集まり、お祈りを始める。外から覗いていると中へ入れと言われ、端に座る。年かさの一人が小型マイクで祈りを捧げ、残りの子たちが付いていく。この音楽のようなメロディーは頭に残る。小さい子供は着いて行けず、そしてまた一から繰り返す。

途中で電気が切れた。ここでは電気はいつ切れるかは分からない。それでも自家発電もあり、ロウソクも付けて続けられる。計画停電などという言葉が頭をよぎったが、ここでは似つかわしくない。一人が皆にお経の書かれた大きな紙を配る。各自練習するようだ。小さい子は2人で1枚の紙を見て、相互に学んでいる。

8時半、夕飯。チベット風うどんというものだろうか。どちらかというとすいとんを思い出す。実に美味しく、2杯も食べてしまう。

ここにはアメリカ人英語教師のハーデイがいる。彼女はダラムサラにもいたようで、2年間をインドで過ごす予定とか。インドスタイルの服装をしており、非常に目立つ存在。もっと彼女に話を聞こうとしたが、その時再度停電。

部屋に戻ったが、灯りはなく、自らの荷物すら分からないほどの暗闇の中に呆然と立つ。東京ではあの地震の際でも、こんなに暗いことはなかった。歯を磨くこともできず、着替えることもできず、ただベッドを探り当てて横になる。朝の光が起こしてくれるだろう。電気が来なければ寝てしまえばよい。




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