《ラオス散歩2013》(3)ビエンチャン ラオスの現実 

9月26日(木) 救急でない救急病院

翌朝はMさんの希望もあり、ビエンチャンの病院を見学する。先ずは救急病院に行ってみると、ちょうど救急車が到着。だが慌ただしい雰囲気は全くなく、病院のスタッフはゆっくりと移動ベッドを運び、救急車に乗ってきた家族が患者を自分で下ろし、病院内に運んでいた。因みにその救急車は中国からの支援品であった。

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病院内にも緊張感は殆どなく、これで救急の役目を果たしているのか、かなり違和感があった。ビエンチャン在住の日本人に聞くと誰もが一様に『もし交通事故や緊急の病があれば、すぐにタイに搬送する』と答えていたのは頷ける。緊急時には対応できない可能性がある。尚この病院の建屋などはルクセンブルグからの支援であった。

次に大型病院へ行く。広大な敷地、ゆったりした病棟。突然の訪問にもかかわらず、医師が救急治療室を見せてくれた。そこはMさんによれば、『救急治療でもなんでもない、一般病棟と変わりない』状態だという。ビエンチャンではバイク事故が多く、痛々しい患者が横たわっていたが、処置のしようがないらしい。

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医師は『全ての設備が足りない。スタッフも足りない。政府も援助してくれない。何とか外国からの援助が欲しいのだが』と訴える。最大の病院でこの状態であるから、ラオスの医療事情は想像以上に厳しい。

ラオスの投資環境

その後ビエンチャンでビジネスをしている日本人の紹介で、ラオス計画投資庁で顧問をしている日本人を訪ねる。私はこのSさんのセミナーをバンコックでも聞いていた。ラオスの立場としては『ラオスはタイの第2工場になりえる』というもので、コストの安いラオスに工場の一部を移転することにメリットがあるという。

だが私には労働生産性に観点から、そう簡単ではないように思われる。タイの人も昔はそれほど働かなかったというが、それが日本企業で勤勉に働くようになったのは、日本企業の教育の成果だろうか?ラオスは労働力でも第2のタイになりえるのだろうか?疑問は残る。

お昼は日本人ビジネスマンと日本食屋へ行く。普通の定食を食べたがまずまずの味だった。5₋6ドルするのはビエンチャンでは高級料理だろうか。彼は日本の会社からラオスに派遣され、農業をやっているという。『ラオスでは日本の技術を持ってくればどんな分野でも成功するチャンスがある。ここでビジネスすることにワクワクしている』と話す。

確かにラオスに必要とされるものを日本から持ってきて、きちんとやればチャンスは沢山あるだろう。大企業で決められたことをやるのではなく、自分が良いと思うことを地道にやっていく、1つの良い生き方だと思う。

ランチは終わったが、待ち合わせにノイが現れない。電話しても出ない。これは困った。仕方なく、近くを散歩。これはラオスタイムだろう。30分後ようやく彼女はやってきて、彼女のお母さんの家具工場見学へ。

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この工場は少し郊外にあり、のどかな田舎の中にあった。作業効率は良くなく、品質も向上しないという。従業員の意識の問題だろうか。大量の材料を購入してしまい、その処理が出来ていない、などマネージメントの問題も大きい。ラオスも近年貧富の差が広がり、若者のやる気を殺いでいる部分もある。

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