タイ茶を訪ねる茶旅2015(6)チェンライ 日タイ合弁会社のお茶

日タイ合弁会社が作るお茶

そして工場の前で停まる。何とそこには『丸善フーズ』と書かれていた。これがシンハと静岡の丸善製茶の合弁会社だと分かる。昨年合弁会社を設立し、早急に工場を整備して、昨年後半から生産を開始していた。日本語の出来る通訳の女性も付いてきてくれたが、中で待っていたのは日本人のTさんだった。

 

既に定年の年齢に達しているが、1年前にこの工場が作られた時から、ここにたった一人で赴任し、工場管理をしているという。生産現場にはタイ人スタッフも数人しかいない。住まいもこの敷地内とのことで、職住接近ではあるが、この付近には何もない。『時々チェンライの街に出るくらいが楽しみ。テレビはタイ語しかなく、何もわからない』というから生活は大変だと思われる。

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工場内には日本から持ち込まれた製茶機械がズラッと並び、日本の茶工場と殆ど変わりがない。確かに人手はそれほど要らない。現地の建屋と茶葉を使い、日本の機械で商品を作る、それは工業で言う加工貿易の形態に似ている。だが作られた商品が日本に輸出されるのではなく、タイ国内で販売されることに大きな違いがある。『シンハの販売網を使ってタイ人に煎茶を売っていく』のである。

 

実はバンコックで試飲した煎茶は『うま味』や『渋味』があまり感じられなかった。日本と同じ製茶機械を使っているのに、どうして日本とは味が違うのだろうか?茶葉が違うからだろうか、水が違うのだろうか。率直にそのことをTさんに尋ねると、『合弁パートナーの要請です』とあったさりと答えた。タイ側がタイ人向けに売るのだから、当然その好みに合わせて茶は作られる。そこでは日本的な『うま味』などの概念は取り払われてしまう。玄米茶が好まれるといえば、玄米茶を作ることになる。抹茶がブームだとすれば、日本とその概念が違っていたとしても、タイ人が求めるものを作っていく、それは当然のことだろう。

 

そしてオフィスに戻ると、タイ人スタッフがお茶を淹れてくれ、商品の試飲をしたが、煎茶はやはり日本とは違っていた。抹茶も日本で言うところの、抹茶とは少し違うような気がしたが、これが売れていくのだという。烏龍茶にはフレーバーが付いている。甘い飲み物だけがよい、という時代は終わりかけているが、今後タイの飲料市場はどのようになっていくのだろうか。

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ウインパオへ

シンハパークを後にして、明日のアポに備えて、Cha-thai社のあるウインパオへ向かった。ここはチェンライとチェンマイのちょうど中間にある、両都市を結ぶバスの通る街だった。私も過去2₋3回通過したことがあり、前回2月にはこの辺に茶工場があると聞いて、バスの窓から眺めてはいたが、まさかこの道沿いに茶工場があるとは思いもよらなかった。なぜここに?

 

今日は取り敢えず、宿を取り、泊ることにした。Eさんはと奥さんはいつも車でタイ国内中を旅しており、行き当たりばったりで、よさそうな宿を選んで泊っているという。今回もこれを採用し、勘に任せて適当に探していく。それほど大きな宿はなく、モーテルといった宿がいくつかあるだけだ。

 

その中で、比較的新しいところへ入る。料金も1部屋350バーツだったので、そこに決定した。部屋は三方に窓やドアがあり、外から丸見えだ。急いでカーテンを引き、何とか落ち着く。ネットはWi-Fiが飛んでおり、繋がった。駐車場は広く、土地は余っている。何とももったいないが、使い道がないかもしれない。のどかな空気が流れてくる。眠気が襲ってくる。

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まだ時間的には早かったが、5時過ぎには夕飯を食いに出た。道沿いにちょっと洒落た店があり、入ってみる。だが田舎のしゃれた店、というのは曲者だ。料理の味より、雰囲気などが重視されているようで、従業員にやる気はなく、サービスなどもよくはない。その割に料金は高い。やはりタイは屋台に限る、などと思ってしまう。食べ終わると外は真っ暗になっており、早々に宿に戻り、シャワーを浴びて、PCをやり、終わるとすぐに寝てしまった。

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8月5日(水)

Cha-Thaiへ

当然翌朝は早めに起きたが、特にやることはない。宿には朝食は付いていなかったが、あまり食欲もない。宿の事務所へ行くと、お湯があったので、お茶を淹れて飲む。これが一番落ち着くな。道路脇ながら、部屋は奥まったところに並んでおり、車の音などは気にならない。それほどの交通量がないとも言える。

 

9時半に宿をチェックアウトして、Cha-thaiの工場へ。今日も天気は良く、気温も高くはなく、快適だ。宿から5分も走れば着いてしまう。それほどに小さな街だ。少し早いが入ってみようと思ったが、3つある門はどこも閉ざされていた。仕方なく、警備員に主旨を伝え、開けてもらい、何とか中へ、入れてもらう。華人経営というのは、色々と考えなければならない。

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