バンコック ヨーガの旅2016(7)人生論、社会論へ

講義の中に『折角人間に生まれたのだから、無駄にしてはいけない』というのがあった。昨日のカヴィー先生の授業の中でも『人間に生まれ変われる可能性は相当低い』という話しが出ていた。生まれ変わりを信じるとしても、何に生まれ変わるのかを選択することはできない。そこで現世でよい行いをする、徳を積んで置かないと今の位置もキープできない、という話になるのだが、理屈では分っても、この辺がどうも我々にはピンとこない。

 

『瞑想により海馬を休め、脳を最適化する』『常に初期化することで苦痛から解放される』、うーん、どうなのだろうか。このあたりになると、自分で実際に体験してみないと理解できないのでは、と思う。まあ、確かに寝ている時が一番幸せ、というのは何となく分かる気がする。

 

『三昧』という言葉も出てきた。これは『精神を集中し、雑念を捨て去ること』という意味かと思うが、それが『読書三昧』のように、『一心不乱にその事をする』という意味で使われ、ついには『したい放題』という意味の『贅沢三昧』となり、意味不明の『中華三昧』になっていく。日本語とはなんと面白い物か。

 

三昧とは『サマーディ』。サマーディは『Integration of Personality』と教わったが、それをきちんと理解するには至っていない。ヨーガを行う目的はここに達することなのか。更には涅槃、ニルヴァーナ、煩悩の無い境地に達することなのか、そんな日は来るのだろうか。ただA師は『我々は時々涅槃を通り過ぎることがあるが、短くて気が付かない』とも言っていた。なんだろう、このモヤモヤ。

 

夜のビデオは4回目のタイ編。男子は一生に一度は出家する、というタイの習わしについて。実は親、特に母親の孝行のために男の子は出家するようだ。20年前は3か月企業を休んで出家が許され、復帰後は会社での仕事ぶりもよくなるような話だったが、今では3か月も有給休暇をくれる会社はないのではないか。これが撮影されてすぐに起こったアジア通貨危機で、タイも根本が揺らいだように思う。現在はミニマムの2週間ということで、出家者も出家しやすい環境ではなかろうか。

 

家族がバラバラになり、不良息子が出家して、厳しい修行をしている場面も出てくる。母親も寺に入るが、タイでは女性の出家は認められていない。一見皆が楽しそうに生きているタイ社会だが、その陰では様々な問題が起こっているのは、どこでも一緒だろう。バンコックの観光寺院ばかり見ていても、何もわからない、と強く感じる。

 

夜中、激しい痒みに襲われた。ここ数日、何となく感じてはいたのだが、起きだしてしまうほど痒い。これは恐らくはダニだろう。昨年ミャンマーの列車の中で大いに刺され、その痒みと戦った記憶が蘇る。ダニに噛まれた跡が、足に数か所残っていた。この跡は、当分消えない。そして断続的に痒みが襲ってくる。これも一つの修行だろうか。まあ、なるようにしかならない。

 

122日(金)
6日目

生活は規則的になり、体はかなり軽くなってきたと実感できるが、痒みが取れない。集中力に欠ける。今朝もボーマンダウティがあったが、どうもうまくできない。唯一の得意技のはずだったが、集中力の無さが災いしたのか。うーん、どうしたものだろうか。食欲だけは衰えず、よく食べる。

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講義では『職場全体のマインドフルネス』。職場の雰囲気がよくなり、生産性が向上するという話が出る。これこそは今の日本の会社、いや日本社会に必要とされているものではないか。世間では『癒し』などが求められているが、学校や会社ではいじめも横行し、他者を排除しようという動きが目立つ。経済が低迷する社会では、特に日本のような細かいことが気になる社会では、重要だと思われる。

 

またまずは『自分を傷つけないことが、他人を傷つけないこと』に繋がり、『自分に正直であることが他人に誠実である』ことになる、との話も出た。『自分がやりくりできないものまで背負わない』ことも重要であり、『何も持たないのが理想』ということには大いに共鳴できる。『知足』といった、自らの欲求不満は自ら止める、大脳が何かと邪魔をするので小脳以下の機能を最大化するのがよい、など、実にためになる。もうこれは単なるヨーガの講義ではない。

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午後この合宿の常連、タイ在住20年を超えるIさんがやって来た。彼女とは前回の合宿で知り合い、その後もお茶会などを通じて仲良くしている。流ちょうタイ語を話し、ヨーガや仏教にも関心が高いことから、お寺見学の通訳も務めている。彼女が来るとズバズバいうので、話が面白くなる。またタイ人の視点で語ってくれるのが実に参考にもなる。

 

本日はこの合宿始まって以来のサウナの日である。庭にある小屋から煙が立ち、準備ができていた。前回はこれに入って見たのだが、今回は遠慮して、水シャワーで済ませた。何だか楽しそうにしている女性ばかりのところに入っていくのも気が引けたし、何より暖かい風呂?に興味が無くなっている自分に気が付いた。これはどうしたことだろうか。日本で冬の寒い時以外は湯船に浸からなくなって久しい。勿論サウナは別の効果もあり、入っておくべきかもしれないが、気分的にノー、だった。

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