ある日の台北日記2018その3(10)なぜ茶の歴史なんか?

11月15日(木)
疑問を胸に

現在の宿泊先の近くに陳先生の店があるので、偶に訪ねて行く時がある。今回は先日大稲埕の福記茶荘で、お母さんから『確か義父、王泰友は陳さんと一緒に木柵へ行っていたから、鉄観音茶の歴史のことなら、陳さんに聞いてみたらどうか』と言われたので、聞きに行くことになった。

 

平日の午後は、さすがにお客もなくちょうどよい。福記の話をいきなり持ち出すと『それは勘違いだ。確かに一度茶工場で会ったことはあるが、一緒に行ったという記憶はない』と言われてしまう。それでも私が困った顔をしていると、優しい陳さんは『鉄観音茶の歴史だろう、それなら張協興に行け』と言ってくれた。

 

だがすでに張協興には何度か行っていると告げると、『先代のお爺さんには会ったのか』と言われ、思わずノーと答える。すると先生、すぐに電話を取り出し、どこかへ掛けて台湾語で話している。そして『お爺さん、97歳だけど頭ははっきりしていると家族は言っているから訪ねてみたら』との有り難いアドバイスを頂戴する。

 

それよりさ、と言って陳先生が持ち出してきたのが、何と先日我々が石門で見た巡回教師の任命書の写真だったので、驚いた。この問題は鉄観音茶ではなく、包種茶の歴史に大きく関わるものだ。そして陳先生と私は全く同じ疑問を持っており、それを解決する手段はないか、探していることに気が付いてまたびっくり。

 

更には高山茶の歴史についても、『80年代、高山茶は本当に売れなかったよ。何しろ福壽山農場に3年間、茶作りに行って、その茶を売った自分が言うんだから間違いがない。今でもどうしてあれに人気が出たのか、と思ってしまうことがあるよ』と思い出を語られ、なるほどと頷く。

 

最後に先生から『なんで歴史なんかやっているんだ、歴史は突っ込みどころが多過ぎて、本に書いても問題多過ぎだぞ』と窘められる。確かに現在共通に抱えている問題点を何とか証明(これまで言われてきたことはは間違いだと証明)したとしても、『では真実はどこにあるのだ』と突っ込まれると答えに窮してしまうのだ。

 

そこへ突然2人連れの客が入って来た。既に連絡があったらしく、素早く顧客対応に切り替える。さすがお茶屋だ。この二人、深圳から来た中国人で、IT関連の企業経営者、誰からの紹介で茶葉を買いに来たという。ほんの一口飲んで、『これ旨いから6斤買うよ。それともっと安いやつも土産に配るから6斤ね』というではないか。

 

正直ここの高山茶はそんなに安くない。それを殆ど試飲もしないで、数キロ単位で買っていくとはすごい。微信で支払いたいというのは如何にも中国人らしいが、この店では扱っていない。彼はすぐに外へ出て、セブンイレブンのATMで台湾元のキャッシュを下ろしてきて、どさっと札を置いて支払いを行い、あっという間に去って行った。日本にも何度も仕事と旅行で行っているとか。

 

こういう客がいるとお茶屋は楽だな、と思ってしまう。と同時に、台湾の茶荘から見て、何種類もの茶を試飲して、ああでもない、こうでもないと言いながら、結局2時間もかけて4両(150g)しか買わない日本人客など、客の内には入らないだろう。それでも我慢強く付き合ってくれている内に、もう少し買い手も考えないといけないな、と痛感させられる出来事だった。まあ、私のように、ハナから商売にもならない人間だと認識されれば、それはそれでよいのだろうか。

 

モヤモヤしながら陳先生と別れる。もう夕方なので、ちょっと早いが夕飯を探す。前から気になっていた、牛雑湯の店に行って見ることにした。どうも私は内臓系が好きで、あればそれを頼んでしまう癖がある。今日は頭もモヤモヤしているので、思い切って、牛雑湯と炒牛雑という、究極の組み合わせを選択する。

 

ここのスープが、またあっさりしながら牛雑の味を出していてイケる。更に濃い目の味付けの牛雑炒めが来ると、幸せな気分になれる。絶妙なタイミングで『白飯いるだろう』と声が掛かると嬉しくなってしまう。人間は幸せだと思える時間を持つことが大切だ、としみじみ感じる。また元気が必要な時には食べに来よう。

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