四国・和歌山・静岡茶旅2015(4)高知 小笠原さんの碁石茶

3.大豊

ひばり食堂

そして愛媛を離れ、高知に向かった。目的地、大豊町は四国のほぼ真ん中、となりは愛媛県の四国中央市という名前だから、その位置が分かるというもの。車で1時間半ほど乗ると、もうそこは山村。取り敢えずご飯を食べようと、Iさんが前回行ったという道の駅へ向かう。だが残念なことに道の駅は改修中で営業していなかった。地元の人に聞くと『ひばり食堂のカツ丼を食え』と言われたので、その食堂を探しに行くと、町役場の真ん前にあった。

 

時間は1時を過ぎていたが、店内は満員で驚いた。この辺りでは有名な食堂なのだろう。隣に肉屋があったから、いい肉が入るのかもしれない。メニューを見るとミニカツ丼が400円、普通のカツ丼が800円になっている。横の女性の食べているカツ丼がやけに大きい。聞くとこれが普通だという。東京ならミニカツ丼が普通の大きさなのだが。迷わず普通カツ丼を注文した。肉が柔らかくて美味かった。分量も気にならず(私は相当のカツ丼好き)、あっという間に平らげた。地元の人達も、ごく普通に平らげている。大食いなのだろうか、この街。

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ところでこの街には『ひばり』という文字がやけに目に付く。鳥のひばりが多い場所かと思ったが、何と美空ひばりにご縁のある街だった。出生地などではなく、子供の頃、バスの事故で九死に一生を得た、という場所。その後大スターになった彼女、この街もそれにあやかりたい、ということだろうか。町役場にはお茶関連の博物館があるとのことだったが、中身はあまりない、ということで、カツ丼で重くなった腹を抱え、車で茶畑に向かった。

 

小笠原さんの碁石茶

そして山の中に入っていく。またカーナビは効かなくなる。相当深い山、森林地帯に入っていく。携帯の信号が入らなくなる。家はほとんど見えない。その道沿いの下に僅かに家が見えた。『小笠原』という看板がある。車は降りていくが、私は歩いて降りてみた。茶畑が狭い隙間に広がっていた。

 

ご自宅では、土佐碁石茶の象徴的存在の小笠原さんと、その復興に尽力されている大石さんが待っていてくれた。いきなり自宅前の茶畑に足を踏み入れる。手前はきれいな茶畑が2列、その向こうはかなり下っており、初めて見た縦畝の茶畑が続く。『手前は自分で飲む煎茶用、向こうは碁石茶用』という。面白い。何故縦畝か、と聞くと、実に軽い動作で畑に入り、茶葉を刈る動作を見てくれた。坂を登りながら枝ごと刈り取り、茶葉を採っていくので、この畝が良いのだとすぐに分かる。これは山間部の知恵だろうか。畦には藁が敷かれている。今日は日差しがあり、比較的暖かいと言っても、この付近の標高は500m程度、霜も降りるだIMG_3722mろう。

 

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自宅に隣接した建物の戸を開ける。『ここに茶葉を堆積するんだ。蓆には菌が沢山付いているよ』と言いながら見せてくれた。使うのは年に1度、今は農作業の道具などが置かれているが、7月に茶摘みをすると、ここが茶葉で一杯になるようだ。小笠原さんはその時の作業の様子を再現してくれる。温度が40度ちょっとになるように手で確認していく。そして頃合いを見て、足で踏むのだという。これも中国の黒茶作りの中で何度か見た光景。実に親切、丁寧に教えてくれ、有難い。部屋の横には古い樽がある。100年は使っているのではないか、と思える年代物。『もうこんな樽が作れる人はいなくなった』と寂しそうに話す。樽の修理も自分でやらなければならない。

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実物の碁石茶を見せてもらう。樽で漬け込んだ後、きれいにカットするらしい。かなり大き目に切られた四角い形は、まるい碁石とは少し違うような気がする。何だかミルフィーユを連想させる多重構造、茶葉が何層にも重なっている。聞けば、最後に茶葉を天日干しする際、大きな蓆に並べられる茶葉が、碁盤に置かれた石のように見えるらしい。因みにこの天日干し作業、ミャンマーの山中でも見られたが、茶葉を並べるだけでも大変な作業であり、アルバイトを雇うという。また3₋5日ほど晴天が続く時を見計らって干す必要もあるので、タイミングが難しい。

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土佐碁石茶、これがミャンマーの酸茶と一番近いように思う。が、小笠原さんに酸茶を見てもらうと『似ているがちょっと違うね』とのコメント。確かに少し製造方法も違うようだ。農薬を使うとカビが付かないので無農薬、というところも同じなのだが。碁石茶の謎、結構深い。

 

小笠原さんと別れて、大石さんの案内で、大豊ゆとりファームの事務所へ行き、更に詳細なお話を伺う。大石さんは町役場のお役人でもあり、そして滅びかけていた碁石茶(一時は小笠原さん一人だけが作る状態)の宣伝に努め、見事に知名度を上げ、今では多くの人が知るお茶となった。その貢献は大きい。今日は偶々時間が空き、我々に付き合ってくれたのだが、普段はとても忙しいようだ。

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このオフィスには碁石茶に関する様々な資料があり、また研究成果などをしるす物もある。単に健康に良い、と言っても信じられない時代。大学での分析、研究なども大切になってきている。私が興味のある歴史に関しては400年以上前から作られていたようだが、やはり作り手は飲まず、瀬戸内などに輸出し、茶粥などとして食されていた。ここでもこのお茶はどこから来て、何故ここで作られ、そして茶樹は元からあったのか、などは不明のままになった。それはそうだ、400年以上前に山の中の記録が残っている方が稀なのだから。

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