これでマカオでのミッションを果たしたので、ここからは自由だ。バスに乗って林則徐記念館を目指した。蓮峯廟というかなり古い寺があり、その敷地内にあった。マカオ返還直前に建てられたこの記念館、やはり中国の息がかかっている。マカオでもアヘン貿易はかなりあっただろうから、この辺の歴史が中心だ。


それから反対側の古廟を見て、坂をだらだら上っていく。モンハの丘、と呼ばれ、アヘン戦争当時砦があった場所だ。この上からはマカオが良く見えたが、今は何もない。この下で1844年にアメリカと望厦条約(中国がイギリスと南京条約を結んだことに習う)が締結された歴史的場所でもある。20年前にマカオ歴史散歩をやった時に歩いているはずだが、何も思い出せない。

そこからバスに乗り、タイパ島に向かった。10数年ぶりだろうか。バスをちょっと乗り間違えて、目的地から少し離れた場所で降りたら、そこには教会があり、結婚写真を撮るカップルなどがいる。こんな場所もあるのかと、初めて知るが、観光客も多い。その先に昔行ったポルトガルレストランがあったはずだが、どうしても見つからず、迷子になる。

この付近は観光客が多くて疲れる。取り敢えず適当にポルトガルレストランと書いてある店に入ったら、ちゃんと1席だけ空いていた。面倒なのでセットランチを頼んだが、残念ながらそれほど美味しいとは思われなかった。アラカルトで頼めばよかったのかもしれないが、それだと昼から大盤振る舞いになるので止めた。店員が私に広東語で話し掛け、英語で返すと首を傾げていた。

その辺をフラフラしたが、疲れてしまい、またバスに乗る。橋を渡るとリスボアが見えたので思わず降りてしまう。私が1987年に初めてマカオに来た時、ここのカジノで訳も分からず『大小』をやってちょっと勝ったいい思い出がある。中に入ってみると、その昔とは雰囲気ががらりと変わり、観光客が行き交う場所になっている。その数もずいぶん減っているように見えたがどうだろうか。

ナタを売る店は相変わらず客でごった返しており、お気に入りのホートン図書館へも行ってみたが、残念ながらエアコンもなく、暑くて退散した。宿で休んでから夕方出てみるとちょっと涼しくなっている。麺でも食べようかと歩いていると、潮州系の魚蛋麵があった。ただなんとカレーも付いているのは、マカオ風に仕立てたということだろうか。


9月4日(水)香港へ
今日は香港への移動日。朝ちょっとだけ媽祖廟に寄りたかったのだが、何と道路工事で大渋滞が発生していた。仕方なく、反対側のバスに乗り、フェリー乗り場を確認しに行く。1990年代から2005年まで、一体何度このフェリー乗り場にやってきたことだろう。だが今や橋も出来て、タイパ島も大いに発展しており、このフェリー乗り場は何となく寂しい。バスも何だか遠くに停まってしまい、10分も歩いて何とか到着。折角なのでチケットを購入しておく。

帰りのバスも渋滞だったが、なんとか宿近くまで戻ると、ちょうど如何にも前世紀の遺物という感じの餐庁が出現した。ちょっと迷ったが、思い切って入ってみる。そこにいる客はおじさんのみ。朝から酒を飲んでいるグループすらある。店主も広東語で応対する。何とも懐かしい風景だった。

細い麺の焼きそばと点心を2つほど頼み、後は茶を飲んで過ごす。この点心と茶の組合せは絶妙(昔から食べなれているから)で、今や香港ではあまり見られない風景がマカオに乗っていることに涙する。ただ料金だけが数倍に跳ね上がっており、また基本的にマカオパタカで計算するのが祖国復帰後のマカオだった。

