滋賀中心の関西茶旅2022(7)敦賀から小浜へ

4月10日(日)敦賀から小浜

朝ご飯を食べるとすぐに宿を出て石山駅からJRに乗り込む。米原までは何度か乗っている路線だが、日曜日の朝、しかも天気が良いので乗客が多い。更に米原から敦賀行に乗り換えると、何と満員電車並みの混雑で驚く。既にコロナも過去のものになったのだろうか。ただ長浜でかなりの人が降りてしまい、後は普通に戻った。長浜は秀吉が築いた最初の城(町)で興味があるので、次回訪ねてみることにしたい。敦賀まで2時間の電車旅は何事もなく過ぎていく。

敦賀駅に着くと、駅にある観光案内所で周辺の情報を仕入れる。ちょうど小浜方面に興味があったので、そのまま向かうことにした。荷物だけ宿へ置いて、すぐにJR小浜線へ。ここではもうSuicaは使えないので切符を買う。1時間ほど、車窓から田舎の風景を見ながら過ごす。ところどころにサクラが見える。日本は本当にいい国だな、と思う瞬間である。

小浜駅に着くと、観光案内所で地図を貰い、食文化館へ向かう。途中海辺に出ると、ここが拉致被害の現場ではなかったのかと急に思い立つ。全く穏やかな田舎町で一体何が起こったのだろうか。食文化館は無料だが、係員も誰もいなかったので質問することもできず、ただ見学するだけとなったのは、残念でならない。なれすしなど発酵文化に関する展示があり、興味を惹かれる。また京都までの鯖街道の起点でもあり、この付近が日本発酵食品の発祥地と言えるかもしれない。これと後発酵茶は何か繋がるのだろうか。

ついでに小浜城跡にも行ってみる。ここは酒井忠勝が川越より移封されてきた土地だった。それだけ重要性があったということだろう。小浜と言えば、あの杉田玄白や幕末の梅田雲浜が小浜藩士であったことは決して偶然ではあるまい。市内にはこの二人に関する記念碑などがいくつか見られたが、地元の人も雲浜などはどの程度知っているのだろうかと思ってしまった。

バスで隣の東小浜駅へ行こうと思ったが、国分寺跡があることが分かり、そちらへ向かう。運転手にどこで降りたらよいかと聞くと『おにゅう』という。漢字で書くと『遠敷』、まず読める人はいないと彼も笑っていた。国分寺のある場所は盛り上がっていた。きっと古墳に違いない。その向こうに復元された現在の建物がある。私は全国でいくつの国分寺跡を巡ったのだろうか。ほとんど何もないのだが、なぜか惹かれてしまう。

東小浜駅の近くに歴史博物館があったので、ちょっと見学する。それから駅へ行ったが、ここはICカードが使用できない上、切符の自販機もないため、窓口で駅員から切符を買わなければならない。敦賀へ帰っても良かったが、三方に寄ることにしてそこまでを買う。Suicaならどこで降りるかを降りる時決められるのだが。

三方駅まで行く。ここで降りたのはズバリ、若狭の黒茶を調べるためだったが、何のツテもないので、取り敢えず図書館へ行ってみることにした。図書館の係員2人は共に私よりは年上と思われたが、ここで黒茶が作られた歴史を知りたいと言ってみても、何と『黒茶はおろか、この地域で茶を作っていたことも知らない』という驚きの回答だった。

ただ非常に協力的な人々で、様々な資料を探してくれたり、県立図書館に問い合わせをしてくれるなど、極めて有難い対応であった。この地域では昔から番茶が良く飲まれており、黒茶も番茶に含まれていたかもしれず、またこの付近は明治期はどこでも茶を作っていたらしいという話になった。またご多分に漏れず、町村合併などで、昔の地名が分かり難くなっていることもよく分かる。

まあ突然やってきて成果が上がるほど甘くはないとは分かっていたので、落胆はしなかったが、50年以上前の歴史とは言え、予想以上に茶に対する関心がなかったことが、何とも不思議に思われた。歴史はそんな簡単に消えてしまう物なのだろうか。帰りに駅で電車を待っていると、夕日が落ちてきて、サクラと相まって幻想的な風景が出現した。これを見られただけでも今日は良しとしよう。敦賀駅でにしんそばを食べて長い一日を終える。

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