北京及び遼寧茶旅2019(8)瀋陽 中山広場から九一八紀念館へ

12月19日(木)
瀋陽へ

いよいよ旅も終わりに近づいてきている。それと共に疲労が出ており、疲れていると眠りが浅くなる。今朝も6時台に目覚め、外を見ると日が昇っていく。宿の食事にも飽きてきたが、寒いので外に出る気にはならない。また茶専門チャンネルを見て過ごすことになる。過去に放送された番組も是非見てみたい内容だ。

 

時間になり、荷物を持って外へ出ると、そこにちゃんとタクシーがやって来て、寒さを感じないうちに、駅まで運ばれていった。今日は省都瀋陽を目指す。駅の中のトイレに入ると、各扉の上に『有人』『無人』を知らせる電光掲示があったので驚いた。こんなの今まで見たことがない。先進的だが、そこまで必要なのだろうか。ただその横で『禁煙』と書かれて壁に手をついてタバコを吸っている若い男がいたのは、明らかに時代に逆行していた。

 

改札時間が来て、ホームへ行くと風が冷たくて思わず引っ込みたくなる。わずか数分間だったが、耐えるのに苦労する。一昨日から東北地方では大雪が降ったと聞いていたが、これまでの暖かな冬が嘘のように寒さが堪える。瀋陽もかなり雪が降ったらしいから、さぞや寒いだろう。

 

列車は僅か1時間で瀋陽駅に着いた。瀋陽に来るのは10年ぶりだと思う。いつの間にか地下鉄が走っており、一駅だけ乗って、予約した宿に入る。ここは繁華街のど真ん中だが、上の階なので、うるさくはない。まだ12時過ぎだったので、外へ出て昼ご飯を食べるかどうか考える。

 

日差しがあるものの、気温は零度前後。おまけに2-3日前に降った雪が残っており、道は滑りやすく歩きにくい。地下鉄の駅名が太原街なのに、その太原街が見つからない。そこは満州時代、日本人が住んでいた中心的な場所だったのだが。ようやくその辺りに行くと、きれいなショッピング街になっていて、ちょっとがっかり。確か大連の天津街と同じ構図になっている。

 

 

ただ日本人町だったことを反映してか、日本食レストランがいくつか見える。スマホで見てみると、割烹清水の名前も出てきたので、ちょっと離れていたが、迷わずそこへ行ってみた。ここは昨年大連でも行った、懐かしの食堂だった。だが、午後1時半過ぎに入ると、お客は殆どおらず、店員は日本語を話して丁寧だったが、全体的には和食屋のサービスでもなく、味もちょっと。瀋陽は大連とは違うんだ、と何となく思う。

 

それからやはり中山広場に足が向く。ここの遼寧賓館(旧大和ホテル)はまだちゃんと営業していた。ここに泊まったのは32年前になる。中に入るときれいなロビーで驚く。横浜正金や三井の入っていた建物も残っているが、公安が使っている建物などもあり、写真を撮るのが憚られた。

 

結構疲れていたが、折角なのでここからバスに乗って、一気に九一八紀念館へ向かうことにした。スマホ地図ではかなり遠いとなっていたので、覚悟していく。このバス、柳条湖橋の手前で降りることになっており、なぜか歩いて橋を渡ることになる。橋の上は強風が吹き付け、気温は零下8度。下は雪が凍結しており実に歩きにくい。何だか試練を与えられたような気分で、前に進む。橋から真っ赤な夕陽が落ちていくのが見える。

 

何とか紀念館に辿り着いたが、トイレに行きたくて仕方がない。受付で聞くと、この展示をずっと行かなければない、と言われ、少しずつ見始めると、止められなくなり、しかし限界が来て?展示内容はかなり刻銘であり、残念ながら日本人が見るには厳しい。参観者のほとんどが中国人であり、あちこちで『日本は本当にひどい』などと囁きあっているのが耳に入ると、困ってしまい、結局かなりの展示を飛ばしてトイレに駆け込む。

 

そしてすっきりして出てくると、もう閉館時間が迫り、半分も見ないうちに追い出されてしまった。柳条湖事件とは何だったのか、満州とは何なのか。考えなければならないことは沢山あるが、考えて分かる話でもないかもしれない。先日登場した張学良などに更に関心が高まる。

 

帰りもバスに乗る。瀋陽駅まで渋滞もあり1時間以上かかった。駅に着くと既に暗くなっており、駅舎のライトアップが美しい。宿の周辺も古い建物にライトが当たっており、ちょっと華やかだ。疲れてしまったので、宿の前の牛肉麺の店に入る。ウイグル系の若者が一生懸命麺を打っていたが、その動作にも疲れが見える。きっと苦労して生きているのだろうな。

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