スラバヤ・メダン 突撃インドネシアの旅2019(7)メダン散策

8月31日(土)
メダン散策

今朝はもう行くところもないので、適当に歩いてみる。当然これまでは違う道を歩くのだが、何だか引き寄せられるものがある。ずるずると歩いて行くと、マーケットがあり、何だかヒンズー寺院が見えてきた。そしてその横にはゲートもあり、リトルインディア、という文字も見えている。ここにもリトルインディアがあるのか。しかしこれは最近政府が観光誘致か何かで作ったゲートらしい。

 

ちょうどMさんからメッセージがあり、インドネシアの華字新聞を探してほしいと言われたのだが、これまで新聞を売っているところを見かけた覚えがない。ところがここには英字紙が普通に売られており、何とその横には華字紙も並んでいるではないか。その意味は一体なんだろうか、と考えながら歩く。

 

まあ先日のペナン島のようなインド感はなく、リトルインディアは過ぎていく。折角なので大回りして帰ろうと迂回すると、かなり立派な邸宅が数軒見える。やはり華人が住んでいるようだ。高級住宅街はこの辺か。更に歩くと、お墓が見えてくる。華人のものもあるが、インドネシア系もここに埋葬されている。イスラムのお墓の習慣はよく分からない。

 

一昨日行った華人の食堂にもう一度行く。やはりここがうまいと思う。調理中の鍋の音がよい。炒飯を食べていると、おばさんが、『故郷福州の餃子』と言って、スープ餃子が登場する。これは常連のお客にしか出さないもので、冷凍してあったのを解凍したようだ。確かに福建の味がする。どのようにして故郷の味を守っているのだろうか。因みに息子はドライバーなので、次回は使ってやって、と言われる。そこは如何にも華人らしい。

 

午前中散策して午後は休む、これはもう日課となっている。その日課も今日でお終いだが、名残惜しいわけでもない。夕方また外へ出て、スーパーのお茶コーナーを当たるも、目新しいものはなかった。更には昨日も行った旧チャイナタウンへ出向き、見つけておいた1930年創業という老舗食堂へ踏み込んだ。

 

ここもウエートレスはインドネシア人などで華語は通じなかったが、おばあさんが理解してくれ、注文は出来た。鶏の細切り肉が乗った汁なし麺。これはあっさりとしていて、とてもいい味が出ているが、量はかなり多い。その分普通の麺より代金は2倍ぐらいしたが、一度食べる価値はある。豆腐の入ったスープもうまい。

 

メダンの街はスラバヤと比べて大きくはないが、何となく安心できる雰囲気がある。古い建物の壁には若者が書いたと思われるアニメなどがあり、かなり目を引く。インドネシアにはある意味で独特の文化もあるが、一方で日本のカルチャーがかなり取り入れられて、漢字の看板がなくても、ホッとできる部分なのかもしれない。

 

9月1日(日)
KLへ

今日はKLに戻る日になっていた。あのスラバヤの初日に買ったフライトにようやく乗る日がやってきたわけだ。僅か1週間のインドネシア滞在だったが、あまりに色々なことがあり、今や記憶のかなたとなっている。ただ今日は駅に泊まっているので、空港まで列車に乗れば着くという安心感は大きい。特に渋滞の多いインドネシアでは、このアドバンテージは絶大だ。

 

しかしこの空港鉄道、料金が高いわりにやはりなんとも使いにくい。機械だけを入れてしまい、乗客はついて行けていないため、係員がずっと横について、チケット購入を指導している。既に1年前に機械化され、『Manless』という見慣れない英語が掲げられているのだが、誰も信じてはいないだろう。それでも空港鉄道があるだけで有り難いと思わなければいけないだろうか。

 

1時間弱で空港に着いた。空港はかなり混んでおり、思ったよりチェックインに時間がかかる。マレーシア航空なら荷物を預けなくてよいサイズだが、LCCではそうもいかない。先日KL空港で、空港内ホテルに簡単に泊まれたのも、荷物を持っていたからであり、もし預けていたら、一度入国して荷物を取らなければならなかったかもしれない。

 

それでも空港に早く着き過ぎた(ちょうどよい時間の列車がなかった)ため、1時間前のKL行きフライトを見送ることになった。あれに乗れれば楽なのに、と思うが、空港に早めに着くのは鉄則なので、遅れるよりはずっと良い、と思うようにしている。今回のインドネシアの旅、まるで初めてきた国かのように混乱し、また稀有な体験もした。次はいつ来るだろうか。ルピアの現金が余っているから、早めに来ようか。いや、言語問題など、この国の壁は高く、解決しなければ成果は出ないことを肌で知る旅となった。

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