沖縄で突然茶旅2018(3)元台湾人茶商と会う

1月11日(木)
お茶巡り

翌朝も寒かった。何と朝起きてフッとかがむと、ぎっくり腰が再発してしまった。腰痛はもう30年前に最初にやってしまったもので、最近は出ていないから安心していたのだが、まさか沖縄で再発するとは思いもよらないことだった。幸い何とか歩けるので、今日の活動に直接的な支障はないが、この畳の部屋で寝起きする、そしてPCを座って打つのは苦行となってしまった。

 

しかし今回の沖縄、4日程度で失礼するつもりが、どんどん色々な方の支援で予定が入ってきて、とても4日では消化しきれず、昨日7日に伸ばしてもいた。ちょうど泊まっている民泊の部屋は延長した3日は塞がっていたので、洋室に変更してもらうことになる。この辺はかなり運がよかった。もしそのまま畳の部屋だったら、動けなくなっていたのかもしれない。

 

更にはエアコンで部屋を暖かくしたので、多少マシにはなる。常に持ち歩いているタイガーバームの湿布薬を貼り、何とか凌ぐ。もう2年半ぐらい前になるか、ミャンマー激走の列車旅で腰を痛め、タイのメーサイで療養した際に重宝したものだった。こういう時は日本製より強烈なアジア製が役に立つことも知っている。

 

取り敢えずコンビニに行き、ホッカイロも手に入れ、万全の態勢を取る。ついでに昨日気になっていた、うちなーおにぎりセットも購入。これはポーク卵とタコライスが入っている。これでさんぴん茶を飲めば、いかにも沖縄らしい。ただ沖縄の人が朝から皆こんなものを食べているとも思えないが。

 

今日はお知り合いのIさんに案内してもらうことになっていた。彼女も忙しい予定をやりくりして1日付き合ってくれるのだから有り難い。まずは車で比嘉製茶へ向かった。そこの社長とIさんは仕事上の付き合いがあるというので訪ねた。沖縄の茶業では最大級の会社らしく、さんぴん茶もかなりの量を取り扱っている。

 

社長の比嘉さんは30代半ばとまだ若かった。聞けば高校時代は野球で甲子園に行ったとか。会社自体は戦後すぐにお婆さんが始めたらしい。昨日見付けた比嘉茶舗がその店舗だったが、2年前にお婆さんは引退して、引き継いだおじさんは時々しか店を開けないらしい。さんぴん茶については、現在は中国から輸入しているといい、台湾産はほぼない。そのさんぴん茶、今は緑茶ベースだとも言う。なるほど、2種類存在するのかもしれない。沖縄でもお茶自体の需要が落ちているとの話もあり、飲料の多様化が窺われた。

 

お昼は沖縄そばを食べた。チキンそばというのが目を惹いたが、何とそばにチキンカツが入っているというのが凄い。誘惑に耐えかねて頼んでみると、何ともカツがデカい。かなり脂っこいことを覚悟して口にしたが、意外やあっさりで、野菜も入っており、自家製ちじれ麺も美味しい。Iさんはダイエット中とかで、小食だった。3年ぶりに見た彼女は、以前に比べてスリムになって、シャープな雰囲気に変身している。

 

昼過ぎに、5年前にも行った琉求茶館を訪ねた。ここは沖縄でも珍しい台湾茶芸館だ。前回はランチを頂いたが、今回はこの期間中はランチなしだというので、メニューにない阿里山高山茶を頂く。雰囲気の良い店内で、自ら茶を淹れ、ゆっくりその香りと味を楽しみながら、Iさんを話すことができた。気が付くとかなりの時間が経っており、周囲はお客さんで埋まっている。こういうお店のニーズはあるんだな、と感じる。

 

突撃派のIさんは、何と台北駐日経済文化代表処の那霸分処とアポを取ったというのだ。そこは実質的には那覇領事館に当たる場所。そこの処長に面識もないのに電話を入れたというからその行動力は凄い。行ってみると日本駐在が非常に長い蘇処長が快く向かい入れてくれた。そして交流協会の雑誌を取り出すと、毎号送られてきているから知っているという。更には台湾と沖縄を繋ぐ音楽関係者の共通の知り合いの名前も出てきて、一気に親密感が増す。さすが台湾だ。緊張がほぐれる。

 

蘇処長が『お茶の歴史はよくわからないので、Tさんに来てもらった』というと、そのTさんが入って来た。90歳近い年齢だというが如何にも元気で、何とここまでバイクでやって来た。元台湾人で、二二八事件の際に、難を逃れて宮古島に渡ったという。当時は戦後の混乱期、台湾から沖縄の島へ船で渡る人も多かったらしい。宮古で農業をしたのち、那覇でコックになり、そして1950年代半ば、茶商となったという。

 

さんぴん茶を大量に台湾北部から輸入していたという。それは包種茶だともはっきり言う。大稲埕の茶商を訪ね、その加工現場も見たらしい。沖縄と台湾は食生活が似ており、脂っこいものを好むから、発酵茶ベースのお茶の方が好まれたともいう。さすがコック経験のある方に言われると説得力がある。

 

だが1960年代、既にTさんは茶商に見切りをつけていた。伊藤園の前身の会社が新しいお茶のパックを開発した時、『もう茶問屋の時代は終わり、誰でも茶葉が詰められ、スーパーで自由にお茶が売られる』と確信したらしい。国際情勢も変わり、日本と台湾も断交し、お茶の流れも大陸に変わっていく。Tさんは今、隠居の身だと言いながら、野菜栽培などの研究をしているというからすごい。

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