豊原・台中・鹿谷散歩2016(1)豊原 廟東の夜市

【豊原・台中・鹿谷散歩2016】 2016112-7

 

9月末に台北に行ったが、完全に消化不良となっていた。私には何となく台湾が必要だと感じられることが増えている。もう一度、しかも少し長期間、台湾へ行き、出来れば一周するぐらいの勢いで、茶産地を回ってみたい衝動にかられた。そして出来うるならば、来年度の足掛かりを見付けたい、そんな思いで、再び台湾へ赴いた。

 

112日(水)
1. 豊原まで

今回は台北ではなく、台中の少し北にある豊原にまず足を向けることになった。一か月前に予約したエバ航空は格安だった。前回LCCを使って、台風の影響もありその遅れに疲れ果てたので、今回のエバは全てにおいて快適に思えた。LCC、チケットは安いが、荷物を預けると急に高くなる。成田桃園は台北へ行くには不便だが、南へ行くには都合がよい。機内サービスもよく、日本の映画を見ていると、なぜか茶畑まで登場した。

 

フライトは定刻の5時には桃園空港にランディングした。入国審査は昔ほど並んではいない。これも大陸団体客減少のお陰だ。税関もスムーズで、両替をして、シムカードを購入する。既に完全にルーティン化された行程を進む。そしてバスのチケット売り場で『豊原へ行く方法』を聞くと、『桃園駅までバスで行き、そこから台鉄かな』と言われたので、ちょっと首は傾げつつも、その路線にしてみた。チケット売り場の女性は親切にも『桃園行きは路線バスだからお釣りが出ない』と言って、わざわざ小銭を両替してくれた。この辺が台湾らしい。

 

何故売り場の女性が桃園駅を勧めたのかは、乗り場に行って分かった。高鐵駅行は長蛇の列ですぐに乗れなかったのだ。桃園駅行きは空いていて、すぐに乗り込めた。しめた、これで余裕だと思ったが、それはそうではなかった。何しろ桃園駅までいくつものバス停に止まり、渋滞にはまり、何と50分以上かかってしまったのだ。

 

実は18:46桃園発の自強号に乗れば、20時過ぎに豊原に着くことが分かっていた。17:50過ぎに乗り込んだバスは、何と18:43に駅に着いたのだ。運転手にも事情は話していたので、彼も荷物を取り出すのを手伝ってくれ、『走れ』と激励してくれた。まるで青春ドラマのように駅の階段を駆け上がった。改札を見ると自強号はなんと3分到着が遅れており、無事に切符を買い、ホームに着くと電車が来るというドンピシャなタイミングになっていた。

 

正直足がつりそうになりながら車内に入り、席に着く。しばらくは息が上がったままの状態で、携帯に見入る。それにしても自強号に乗るのは何年ぶりだろうか。豊原には高鐵が通っていないので、幸運にもこれに乗れたのだ。後で見てみると、もしこの自強号を乗り損なっていたら、次の列車は1時間以上後だったから、あの走りは絶対に必須だったのだ。神は見捨ててはいない。

 

2. 豊原
廟東の夜市

豊原駅は何だかきれいに改装されていた。出口も恐らくは元の裏口にあたるだろう。ここに来た理由はジョニーがいたからであり、電話して迎えに来てもらった。彼とは昨年偶然にも豊原で知り合い、その次は梨山の頂上で再会した仲だった。しかし私は豊原をよく知らないので、一度ちゃんと来てみたかったのだ。

 

前回の滞在時間はわずか2時間程度だったのだが、その前は確か1990年。26年前にゴルフで来たことがあったきりだった。その頃は台北に駐在しており、当時有名だったプロゴルファー、涂阿玉がキャディをしていたゴルフ場として、豊原CCに行ってみたということだったと思う。因みに涂阿玉は日本で58勝、賞金女王4回、永久シード選手になっているが、今はどうしているのだろうか。意外と豊原にいたりして。

 

車で彼のお店、いやお母さんのお店である泉芳茶荘へ。いつもM先生から、『お母さんは私の師匠ですから』と聞いていたので、こわごわ入店。お父さんもおられ、にこやかに挨拶を交わす。ジョニーの奥さん、お子さん、近所の常連さんもいて、賑やかだった。ジョニーが夜市へ行こう、と誘ってくれたので、歩いて夜市へ行く。そこは廟東という場所だったが、細い路地を入る、一見小さな場所だった。

 

しかしその熱気、人込みは凄かった。豊原がこんなところだとは夢にも思わなかった、と言ってよい。もっと寂れた街だと勝手に思い込んでいたんだが、それは間違いだった。しかもジョニーが勧めてくれたその食べ物は異常に美味かった。肉粽、雲吞湯などをかき込むとすぐにお腹が膨れてしまったのは、何とも残念。ここで明日も豊原に泊まるという決意を固める。こんなことは稀なのだが。

 

店に戻るとジョニー母が、お茶を並べて、『さあ、どれが好き?』と聞いてくる。この指導方法はM先生から聞いていたもので、生半可な回答は許されない。私にはテースティング能力などないので、自分が感じたままを答えた。それがよかったのかどうかは全く分からないが、今日の授業はそれで終了した。

 

夜も遅いのでジョニーが予約してくれたホテルに連れて行ってもらった。ここは日本人の出張者なども泊まるホテルらしく、随所に日本語があり、日本語のテレビも見ることができた。何だかもったいないぐらいの環境を得て、大満足。長い一日は終わり、早々に寝入る。

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