茶旅の原点 福建2016(14)江西省の武夷山へ

6.    河口
桐木関

車は高速道路に入った。そして少しくとトンネルがあったが、長さは3㎞と書かれている。更に行くと次のトンネルは6㎞。何と長いトンネルなんだろうと思いながら、これが武夷山山系の山越えなのだとふと気が付く。ということは先日の説明が正しければ、茶葉を担いで越えて行った人々がいたということになる。話では理解できても、実際にこの長いトンネルを潜っていると、気が遠くなる。ここを3日掛けて越えて行ったとは、何ともすごい話だ。

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高速道路を降りると山道に入る。狭い道を慣れた感じで運転してくれたが、途中で車が立ち往生していたりして、山道の運転の大変さが伝わってくる。相当の山奥に入ったところで、建物が見えてきた。そこが今日の目的地、河茶廠がある場所だった。そこだけがきれいに開発されていたが、周囲には樹木が生い茂る、完全な大自然。こんなところになぜ茶工場があるのだろうかと不思議になる。

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工場では総経理の王さんが迎えてくれた。彼女のご主人はやはり不動産開発業者で、以前にこの土地を手に入れており、数年前に茶工場を作ることにしたという。やはり万里茶路の歴史発掘がきっかけだったらしい。今は鉛山と言われる河口は、300年の昔、茶葉の集積地として栄えていた。最盛期は300人の茶師がここに集まり、茶葉のブレンドなどをしており、この茶葉が広東経由で海外に輸出されていた。この歴史はあまり知られていないが、最近はイギリスの学者が調査に来るなど注目されつつある。

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1757年に乾隆帝が対外貿易を広東一港体制としたことが河口を栄えさせた。武夷山の茶葉は、福州や厦門の港から輸出できなくなってしまった結果、茶葉を広東に運ぶ近道として、河口が選ばれた。ここから川で北へ行けば漢口を経由して万里茶路のルート、東へ行けば上海への道も開かれている。ロケーションが抜群によいのだ。1840年にアヘン戦争があり、その後福州などが開港され、更に第二次アヘン戦争で全面的に対外開放されるに及んで、河口の存在感は薄れて行った。栄えたのは約100年、その間一体どんなお茶が作られ、どんな繁栄があったのか、今は分からなくなっている。

 

王さんたちとお茶を飲む。ここで作られているのは紅茶だ。河紅、という名称で復活している。まだ再開したばかりで、これからのお茶だろう。宿泊施設もあり、今晩はここに泊めてもらうことになった。ここにはWi-Fiはなく、携帯の信号もほぼ立たないという環境だった。私にとっては絶好の休みだと思うのだが、企業オーナーである魏さんにとっては、仕事の連絡が出来なくなり、大変な状況となってしまった。

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夕飯を頂き、またお茶を飲んでいると眠くなってしまう。こんな何もない、静かで素晴らしい環境なら、寝るに限る。先に失礼して部屋に行き、シャワーでも浴びようと湯沸かし器を見てみると、何とその昔、仕事で取引した広東省の会社のものだった。懐かしい。そしてお湯を出そうとした時、落雷があり、電気が消えた。そのまま全く点かなくなる。これはもう寝るしかない、と布団に潜り込むと、ひんやりして気持ちよく、あっという間に眠りに落ちた。

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53日(火)

翌朝早く起きる。既に周囲は明るい。向こうに高い山が微かに雲に覆われている。林さんもすでに起きて散歩していたので、一緒に茶畑を探しに行く。山から流れてくる水が急だ。すごい音がする。昨日車で来た道を降りていく。歩いていると本当にここが大自然の中であることを実感する。この道路さえなければ、奥深い山の中だ。ふと見ると碑が建っている。昔この辺を歩いていて、行き倒れた人もいたかもしれない。茶葉を運ぶ道はまさにこの道だったのではと思う。

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茶畑が見えてきた。勿論もっと山奥の標高の高い場所にもあると聞いたが、この付近でも若干植えている。最近植えたのだろうか。茶樹がまばらだ。向こうのダムが見える場所まで歩いて引き返す。帰りの上りはかなり辛い。脚に堪える。竹を切り出している地元民に会う。戻ると朝ご飯が待っていた。何ともいい散歩であり、健康的な朝を迎えている。魏さんはまだ起きてこない。

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魏さんは昨晩眠れなかったらしい。何しろ時間が勝負の中国での商売において、携帯が全く繋がらない上に、充電する電気も一晩中来なかったのだから、時々起きあがってしまったらしい。中国のオーナーは忙しすぎる。朝も電気が来ると早速どこかに連絡していた。ここの王さんなどは、この山で使える強力な携帯を保持していた。やはり頻繁に連絡がやってくる。明日もどこかの役人が視察に来るとぼやいていた。彼女も家は河口の街にあり、ここまで車で1時間半はかかるという。年間100往復はするというから驚きだ。

 

茶工場を見学した。この山の中にしては近代的な工場だった。衛生面にも気を使っている。最近作ったからだろう。昨日日が暮れてから運び込まれた茶葉が室内に置かれている。機械設備も一式揃っており、後は製茶技術の向上が期待される。何しろ武夷山系に属するこの山、この涼しい環境で作られる紅茶、茶葉もいいものがありそうだし、今後が楽しみだ。

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