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ある日の台北日記2024その1(4)好きな食べ物を探して

4月7日(日)好きな食べ物を探して

今日こそは休養日とした。それでも腹は減るので、昼に食べ物を探す。私は本来一体何が食べたいのだろうか、と考えながら歩くのだが、思い当たらない。弁当屋などは閉まっているので困る。見付けたのは広東系の店。そこで三宝飯を注文する。これでスープが美味しければいいのにな、と思うが、香港と比較してはいけない。

夕方また食べ物を探すも、見つからない。その時突然肉圓を思い出す。急にどうしても食べたくなり、ネット検索すると、何とか一軒見つかった。そこまで歩いて行くと、とても狭い店で、お客同士がかなり避けないと通れない。肉圓1個では足りないかと思い、2個注文すると多過ぎた。多いというより、味が同じなので単調過ぎる。それでも久しぶりに食べられて満足する。

4月8日(月)好きな食べ物を探して2

今朝もまたフラフラと歩く。立派なサンドイッチを出す店に行きたかったが、お客が多かったので断念。その先を歩いて行くと、鶏肉飯の文字を見付けて、入ってみる。まだ早過ぎてお客はない。定番の鶏肉飯に魯蛋を乗せる。たくあんが美味い。ガチョウの腸スープも旨い。そして揚げ豆腐がいい。台湾らしい、気分の良いブランチとなる。

夕方また出掛ける。今日は東京から戻ったばかりのTさんと再会した。場所は飲茶レストラン。点心ばかりかと思っていたら、色々なメニューがあり、ちょっと驚く。更に6時前は客もまばらだったが、帰る頃には席待ちの人々が何人もいた。こういう店が実は重宝されるのだと分かる。この店のすぐ近くには天仁銘茶がある。ここは1990年頃、盛んに高山茶を売っていた店で何とも懐かしい。

4月9日(火)大稲埕へ

今日はMRTで大橋頭へ向かった。1年ぶりに大稲埕を歩く。駅を出てから慈聖宮へ寄る。ここには20軒ほどの屋台が並んでいる。大稲埕に何度も来ているのに、もう何十年も来ていなかった場所。食事の約束が無ければ、是非何か食べたかった。宮の中を見学して、ちょっとお参りだけ。ここは大稲埕の茶商なども商売繁盛を願って参っただろうか。

以前コロナ中にオンラインで何度か会った、しかしリアルには会ったことがなかったMさんと待ち合わせてご飯を食べた。ご主人の仕事の関係で中国や香港など、色々な場所に住んだ経験があり、その中でお茶を勉強してきたという。美味しいご飯を食べながら、お茶好きさんとお話しするのは楽しい。

折角なので大稲埕を散歩する。Google検索で『李春生邸宅跡』が出てきたので、そこへ行ってみたが、マンションが建っているだけ。ただその入り口にコロナ前に開催された李春生関連のイベントポスターが貼られていたので、何らかの関連はあるようだ。後で聞いてみると、そこは一族の一人の住居らしい。

そのマンションの横には立派な教会が建っており、社会科見学の小学生が見学に来ている。長老教会と書かれており、1915年に李春生などが寄付して建てられたらしい。礼拝堂という文字は李の揮毫とか。大稲埕の港からここまでの広大な敷地が、李家の物だったということだろう。あまりの広さに驚嘆する。

その後Mさんが知っているお茶屋に入る。私は初めてだったが、何と先方は『顔を見たことがある』というから驚いた。よく聞いてみると、トミーが講座で歴史の話をする時に使う写真に私も一緒に写っているかららしい。確かに以前も何人かから同じことを言われて、恥ずかしかったが、一方でちょっと嬉しい気持ちにもなる。このお店は完全な問屋さんだと思うのだが、その商標が美しい。聞けば、何とお爺さんが描いた絵を使っているという。多彩な人がいるものだ。

ある日の台北日記2024その1(3)全祥茶荘と台湾図書館

何とあたりが暗くなってしまった。話過ぎて腹が減る。昨年行った店に入り、ミャンマーブッフェを楽しむ。ミャンマー料理を適当に選んでご飯と食べるのは、チェンマイでも良くやっており、安くてうまい。しかしそこでも食べるより話すのがメインとなる。結局解散したのは夜の9時を過ぎていた。実に楽しい一日で、地震のことなど忘れていたが、やはり余震は夜中にやってきた。

4月5日(金)全祥茶荘へ

ああ、よく眠れない。大体夜中2時頃に震度2₋3の揺れが来て、起きてしまう。それでも何とか再度寝ると、1時間以内にまた揺れる。私は恐らく他人より地震に敏感なので、これはかなり辛い。朝までウトウトして起き上がるから、明らかに寝不足になっている。従来朝飯は食べないのだが、何となく落ち着かずに、今日もサンドイッチを頬張ることになる。

先日知り合いから『台湾白茶の歴史』に関して問い合わせがあった。1960年代香港の白茶市場で台湾白茶がかなりの量を占めていたという、衝撃的な内容で、本当なのだろうかと調査を始めた。大家に話すと、すぐにやってきて、仮説を述べてくれた。更に最近作られた台湾白茶を持ってきてくれたが、その値段の高さには驚くしかない。こんな物が70年前に輸出されていたとは到底思えない。

午後フラフラと歩きだす。途中に行列が出来ているハンバーガー屋があった。今日も祝日だと知る。SOGOまで歩いて行くと、その手前に『美登利寿司』があるではないか。昨年梅が丘でご馳走になった、超人気店が、既に台北にも出てきているのか。円安もあってか、当然ながら価格は高い。

5年ぶりに全祥を訪ねた。林さんは相変わらず軽快な動きをしているが、話を聞こうとするとお客がやってきて忙しい。客層は比較的上品なご婦人方で、『あなたも一緒に試飲しましょう』などと世話を焼いてくれる。私が日本人と分かると、能登地震の話などを始めるのには驚く。『今回の地震は大したことはない。義援金は有難いが、能登に回して欲しい』などといわれると、返す言葉が無い。夕方いつも行く餃子屋で、水餃子と焼き餃子を食べる。

4月6日(土)台湾図書館

土曜日なので何となく疲れを取ろうとしたが、なかなか休まらない。昼前に大腸麺線を食べに出る。これを食べると元気が出る。そのままの勢いでMRTに乗り、永安市場まで行ってしまった。ここには行きつけの台湾図書館がある。日本時代の新聞記事をここで検索して、大いに参考にしている。

ところが図書館は開いていたのだが、何と私が目指す6階は閉鎖されていた。地震による破損らしい。今回の地震で私が被った初めての実害だろうか。一応4月15日にはリオープンになると書かれていたので、大人しく引き上げることにした。しかし私の調べ物は本当にできるようになるのか、ちょっと心配だ。

ただ帰るのも何なので、近くにあるユニクロを探して向かう。歩いて1㎞ちょっと、ショッピングモール内にユニクロはあった。どこでもあるので便利だ。ただその品ぞろえは日本とはかなり違っており、私が買いたかった半袖シャツはいいのが無くて断念した。東京では、まだ半袖は売っておらず、台湾ならばと、思ったのだが、趣味はかなり異なるようだ。価格も高い。帰りに近所で牛肉麺を食べて憂さを晴らす。

ある日の台北日記2024その1(2)地震直後にミャンマー街へ

花蓮では一部で建物が倒壊するなど被害が報道されていたが、その全体像は分からない。2時間ぐらいそうしていると、何とお向かいの学校の建設工事が始まり、すごい音がしてきた。天気はとても良いので階下を見ると、人が普通に歩いていた。余震はまだ続いている。私は部屋に食糧が無く、腹が減り始めた。地震発生ほぼ3時間後、恐る恐る外へ出てみた。

するとそこは全くの日常だった。下でいつもの野菜を売っているおばさんが『あら、帰ってきたの』と気さくに声を掛けてきた。『地震、すごかったね』というと、『えー、日本人は慣れているでしょう』といって周囲の人も笑っている。いつもの朝飯を食べる店も普通に開いており、皆が普通に食事をしている。地震の話題はもう終わったのか、誰もしていない。帰りに清水廟にお参りして帰る。

MRTもバスも動いており、ランチを求める人々が出てきていた。消防署の前を通ったが、救急車の出動もないようだ。完全に拍子抜けした。午後も余震は続いたが、知り合いに安否確認の連絡をしても、『あ、台湾に来たんだ、いつ会う?』などという普通の会話が帰ってくるだけで、地震の影響を心配する声は日本人からしか聞かれなかった。これは台湾人の強さだろうか。

夕方また外へ出て、いつもの店で魯肉飯などの台湾メシを頬張る。テレビのニュースはずっと花蓮の様子を伝えていたが、既に台北ではまるで何事もなかったかのように、人々が生活していた。それにしても今日の台北は暑い。いや、私がまだ台北に慣れていなかったのだろうか。慣れないうちに慣れない物がやって来て戸惑う。夜中にまた大きな余震有り。

4月4日(木)ミャンマー街へ行く

翌日は新北市の華新街へ向かった。地震のことは気になったが、それ以上に今回の滞在で気になっているのが、ミャンマー・タイからの移住者。昨年この通称ミャンマー街はMさんに案内してもらっていたが、早く行ってみたいと思っていた。MRTも普通に動いており、難なく南勢角まで辿り着く。

今日は清明節の祝日。午前中で人は少なかったが、相変わらずミルクティーを飲んでいるおじさんたちがいる。Aさんとミルクティーを飲んでいると、おじさんを紹介された。喫茶店のオーナーで何と香港出身。ここは元々広東系が多い街だったらしい。話を聞きたかったが、お客がどんどん増えてきて、また次回訪ねることとした。

実は以前私と同じ世代の台湾人に、華新街について聞いてみたら、皆一様に『子供の頃、あそこで食べた点心は美味かった』といっていたのを思い出す。そう、この街は1960₋70年代は広東系移民の街だったのだ。折角なので、我々も街で唯一残っている飲茶の店に入り、美味しい焼売や腸粉、あんかけ焼きそばなどを食べた。ただこの店、20年ほど前からオーナーは福建系に代わっており、広東系は消滅しているようにも見える。

Aさんが、『実はタイ北部に詳しい人を紹介したい』といってくれた。しかも彼はこの街に来ているかも、というので連絡してもらうと、何とすぐに会えた。そんな人いるのだろうか。ちょうど裏通りの店でランチを食べていたというのだ。彼は某大学の職員だという。留学生や教師の日本人は会ったことがあるが、台湾の大学の日本人職員は初めてであり、もうそれだけで普通ではないことが分かる。

それから我々はミャンマー街の話しからタイ北部、果ては回族などの民族についてなど、何かに取り付かれたように話した。喫茶店も変えたが、話は延々と続いた。こんな面白い話を止めることは出来ない。彼は私のほとんどの話題に対応してくれ、しかも的確な情報を与えてくれた。驚きが先走る。

ある日の台北日記2024その1(1)いきなり地震に見舞われる

《ある日の台北日記2024その1》  2024年4月2₋10日

昨年3年ぶりに訪れた台湾。今年は少し時期がずれたが、またやってきた。もう台湾ではあまりやることもないか、のんびりしようかと思っていた矢先、事態は動いた。ここから2カ月、実に様々な体験をした台湾となった。やはり、台湾は面白い。

4月2日(火)台北到着

何だか久しぶりに海外へ行く気分。さくらを見てからゆっくり行くつもりが、何と桜はまだほとんど咲いていない。何だかちょっと気分が萎えるが、これもまた運命。新宿からバスで羽田へ着くと、まだ搭乗3時間前だったが、運よくエバ航空のカウンターは開いており、保安検査場も朝の混雑は終わっていて、あっさり通り抜けた。

フライトも順調で、機内食を美味しく頂き、名探偵コナンを見ている内に松山空港に着いてしまった。当然昼間の空港は空いており、イミグレを難なく通過。だが荷物が出て来るのを待って間、パスポートを確認すると、入国スタンプが見当たらない。廃止されたのかと職員に聞いてみると『そんなはずはない』と探してくれ、なんと見付け出してくれた。そのスタンプはすごく小さく空いていたスペースに見事に押されている。素晴らしい。ボケ老人の始まりだ。

外へ出ていつものシムカード購入と両替(古い米ドル札)を終えると、Tさんが待っていてくれた。いつものように大家さん(知人)が帰宅するまでの間、時間があったのでTさんに来てもらい、空港内で話を聞いた。彼女は台湾内のタイ・ミャンマーからの移住者村に詳しい。今回は何か所かへ行ってみようと思っており、たくさんの情報を得た。幸先が良い。

夕方6時前に連絡があり、タクシーでいつもの場所へ向かう。以前はMRTで大きな荷物を抱えていったが、今やその気力はなく、タクシーを使う。ものすごく優しい華語で行き先を告げると、運転手も優しい華語で返してくれる。15分ぐらいで到着。料金は1300円ぐらい(よく見ると空港使用料が250円ぐらい含まれている)。この料金なら有難い。

本日大家は急な会食があり、同じ建物内の知人に鍵を預けたらしい。ビルの7階、エレベーターで重い荷物を運ぼうと思ったが、何と故障中で動かない。上には待っている人がいるので焦っており、仕方なくその重い荷物を抱えて?7階まで階段を上る。途中で息が切れ、喘ぐように上る。汗だくで苦しい。10分ぐらいかけて上ると、『やっぱり止まっていた?』と聞かれ、へたり込む。

その人はすぐに補修会社に電話を入れてくれたようで、荷物を整理して30分後に見ると、既に復旧していた。これで何とか夕飯にありつける。夕飯はもうあそこしかない。いつもの麵屋で牛肉湯肉絲麺を美味しく頂く。そこでふと思い出す。私は観光客用のくじ引きを登録していたが、空港で引くのを忘れていた。何となく今日は当たりそうな気がしたのでMRTに乗り空港まで引き返した。だがくじは無情にもハズレてしまい、バスでトボトボ帰る。

4月3日(水)地震に見舞われる

翌朝はタラタラと目覚め、朝ご飯は何を食べようかなと椅子に座り考え始めたその時、思いもかけない揺れが来た。その揺れは長く続き、一時は体のバランスを維持するのも大変な状況で驚いた。これは2011年に東京で体験して以来の揺れだった。慌ててテレビを点けると花蓮方面が震度6強と出ている。その後も余震が続いており、かなり危険な状態だと思われたので、テレビの前でじっとしていた。

ある日の台北日記2023その6(4)バタバタの帰国

カフェの閉店までずっと話していた。暗くなっていたので、近所で夕飯を食べようということになり、いつもの食堂へ行ったが、その横の鴨肉屋が気になっており、入ってみる。何とほぼ満席で最後の一席に飛び込む。偶には美味いものを食べようと、店の人に聞いてみると、このおじさんが勧め上手。結構いい物を選べて大満足だった。一人ではなかなか入れない店、時には相棒が必要だ。

6月7日(水)昔の上司と

いよいよ明日は東京へ帰る。これまでこの部屋に3年半預けていた荷物をどれだけ持って帰れるのか。勿論葉さんは『荷物を早く持って帰って』などとは言わないのだが、私としてはコロナ禍のような不測の事態は今後も起こると考えなければならず、出来るだけ引き揚げておくようにしたい。その為にスーツケースまで買って、何とか押し込んでいくが、これまで貯めこんだ荷物は簡単には片付かない。

更には資料も出来るだけ持ち帰りたい。台北に来るのは来年になるので、それまでのストックも欲しい。何で2か月もいたのに、こんなに慌ただしいんだろう。急いで図書館に駆け込み、最後の収集に励む。そしてその近所でサンドイッチを食べたが、残念ながら私の好みではなかった。

実は昨晩突然、その昔サラリーマン時代の上司から連絡があった。何年も連絡していないのに、なぜ私が台北にいると分かったのだろうか。彼も半信半疑でメールしたらしい。これもまた運命だ。最後の晩はTさんと会うことになった。林森北路近くのホテルで落ち合い、懐かしの梅子に入る。

梅子、30年前は50回以上ここで食べた懐かしい店だ。Tさんとも出張などで来たのかもしれない。昔は圧倒的日本人客が多かったが、今は台湾人も多い。それでもウエートレスは流ちょうな日本語を話し、何とか最後の一席を確保して座る。そして懐かしい料理を注文して美味しく頂く。Tさんは私よりだいぶん年上だが、未だに現役で、出張できているというからすごい。ご馳走様でした。

6月8日(木)東京へ

朝から2つのスーツケースに詰めに詰め込んだ。本などがかなり重いので、預けられるか心配になる。そして最後の昼ごはん、やはり刀削麺を食べに行く。2か月前より随分と暑くなっており、初めてクーラーの効いた室内で食べる。まあどこで食べても美味しいが、涼しいのは有難い。

いよいよ部屋を出た。いつもはMRTで行くのだが、スーツケースが2個あるのでタクシーを拾う。初めてかな。何と15分で松山空港に到着する。早過ぎて空港ロビーに人影もまばらだ。チェックインはスムーズで、すぐに出国審査。ここもあまり人がいない。飛行機を待つ間もそれほど混んでいる様子はなかったが、フライト自体は満席だ。

フライトは30分ぐらい遅れて出発。機内では映画を見て過ごす。因みにエバ空港は安全の案内にもお茶が登場する。流石だ。機内食もまあまあ美味しい。結局30分遅れて羽田に到着したのだが、そこから預け荷物が何と1時間以上出てこない。しかも何の説明もない。ある人たちは地方へ帰る電車が無くなり、ホテルの手配を始める。台湾人もこの対応には不満そうだ。ずっと立って待っているのはやはり納得がいかない。

ようやく荷物を受け取り、空港バスに乗る。まだ10時だから余裕だが、もう少し遅ければ大変だ。羽田はやはり人員不足で手が回らないのではないかのだろうか。新宿に着くと雨が降っている。ここでタクシーに乗ればよかったのだが、何故か息子に連絡して駅まで傘を持ってきてもらった。結局二人で荷物を引き、濡れながら帰る。なんてことだろう。

ある日の台北日記2023その6(3)リアル茶金に会う

幹事役の杜さんは元銀行員。実は廖さんもその昔は銀行員ということで、そんな話でも盛り上がる。皆さん食事をしながら、思い思いに川柳を詠んでいる。私もご飯をお願いすると、懐かしい台湾の洋食が出てきた。帰りがけに日本人の若い女性から声を掛けられた。台湾大学に留学しており、歴史を学んでいるという。

彼女は何と浜松の出身で、『藤江勝太郎について調べてみたい』と言われたので、天地がひっくり返るほど驚いた。藤江勝太郎、5年前まで地元でもほぼ知られていない名前だったが、いつの間にか大学生がその名を口にするようになったとは、何とも感慨深い。歴史とは動いていくものなのだ。

そこから今度は南機場夜市の方へ向かう。昨年末の忘年会で知り合ったKさんからお誘いがあったので行ってみることにした。そこは四川料理と書かれた食堂。既に人が集まっており、その中には旧知のBさんや作家のKさんなどもいて驚く。Kさんのこれまでの台湾での活動の広さが良く分かった。

更には大変台湾料理に詳しいAさんやベジタリアンのIさんなどもいて、非常に有意義な夜を過ごした。今月日本に来る台湾人が、ベジタリアンであったり、牛肉を食べなかったりと、食事について色々とあるのだが、その解決法なども勉強になった。Aさんからは台湾語をはじめ、言語についても色々と教えてもらう。何とも有難い。帰り際、大雨となり難儀して帰宅する。

6月5日(月)スーツケースを買いに

今日は台北駅へ行った。駅付近は以前よく泊まっていたので、知っている店が多いと思っていたが、随分と様変わりしていて、馴染みの店が無くなっていた。ちょっとショックだが、コロナ禍もあり、それは仕方がないことだ。ただ周辺はやはり安い弁当屋などが多く残っており、その意味ではあまり変わっていない。何故か新しい、きれいな店に入った。蒸し鶏に特製ソースをかけて食べるのだが、まあまあ美味しい。

それから駅の地下街に行き、スーツケースを買う。前に行ったことがある店があったのだが、残念ながら閉まっていた。仕方なく、他を探していると、ちょうどよさそうな店があったので入る。聞いてみるともう20年もここで商売しているという。コロナ禍はお客が来なくて大変だったが、最近ようやく回復してきたようだ。まあ手ごろなケースが手に入ってよかった。

6月6日(火)歴史好きの若者と

朝起きると、サンドイッチが食べたくなり出掛けるも、お目当ての店は休業しており、結局今回ここでは一度しか食べずに終了となる。仕方なく近所をフラフラすると、意麺の店があった。しかも排骨羹がプラスされているので、思わず注文した。これは予想外の旨さ。最近予想外の旨さに出会うことが何度かあったが、もう少し早く見付けるべきだった。

午後、先日出会った留学生と会った。宿泊先の近所ではあるが、待ち合わせたカフェは全く知らない場所だった。確かに近所には若者向けのカフェは沢山あるのだが、おじさんが一人で入ることはないような雰囲気で、特に気にも留めていなかった。コーヒーも高くはない。

彼女が『藤江勝太郎を調べたい』と言ってくれたことが、とても嬉しかったので、話を聞いてみることにした。彼女は湾生などをかなり調査しており、先日来台した湾生にも同行していた。リアル茶金の廖さんについても、歴史を知りたいということで川柳会に参加していたらしい。藤江勝太郎とは台湾統治時代の設立された製茶試験場の初代場長。そして静岡県森町出身で、台湾茶業の基礎を築いた男だが、その存在はそれほど知られてはいない。

ある日の台北日記2023その6(2)旧三井倉庫の講演会

5月30日(火)蘭州拉麺

そろそろ台北を離れる準備が必要となってきた。まずはいつもの図書館へ行き、必要となる資料を探し出す。かなりの成果が上がったので、満足して終了し外へ出る。ランチを食べようと店を探すと、蘭州拉麺の看板を見かけたので入ってみる。先日高雄で食べた牛肉拉麺が美味しかったので、何となく惹かれたのだ。

看板に偽りありか。蘭州拉麺と書かれていたが、メニューにはそんなものはない。結局牛肉拉麺を食べることになる。台湾の牛肉麺は蘭州拉麺が発祥ということなのだろうか。しかしあの中国にある蘭州拉麺は台湾にはないのだろうか。牛肉をいつから食べているかも絡んで興味深いテーマではあるが、残念ながら解決の糸口は一向に見えない。

6月3日(土)旧三井倉庫で

本日は旧三井倉庫で講演会があるというので、行ってみる。先日鉄道博物館を見学したついでに1階だけちょこっと覗いてみたが、2階には上がれなかったので、ちょうどよい機会だだと思い、申し込んだ。この倉庫も100年前から三井紅茶が搬入されたのだろうか。そんなことを考えながら眺めるとちょっとワクワクする。

講演のテーマは『三峡茶業文化』であり、大いに興味あり。勿論三井の茶工場がここにあったことは重要なポイントの一つではあるが、台北郊外の茶の歴史、という、地域誌はあまり確認したことがないので、じっくりと聞いてみた。三峡茶業の歴史は1700年代に始まるとの話もあったが、果たしてどうだろうか。この手の話は凍頂烏龍茶の歴史などにもみられるので、見解が分かれる所だろう。

参加者は、歴史好きの一般台湾人と講師のお知り合いという感じだろうか。日本でも偶にこのような講演会があるのかもしれないが、台湾の場合は何だか和気藹々としていてよい。日本の場合、どうしても『私は知っている』といったマウントを取るような発言をする方がいるので、あまり好まないが、本日はそのようなことはなかった。

講演後は講師を囲んで、質問が飛び交っている。一方では呈茶が行われており、三峡茶が試飲されている。まあこのようなコラボは当然のことではあるが、一般の方々は歴史のお話しだけでは満足できないのだろう。2階の空間もかなりリノベーションされており、往時の雰囲気はない。

6月4日(日)リアル茶金に会う

朝ご飯はセブンに行って、初めておにぎりを買う。葱塩焼肉30元。思ったよりは食べられる。これからは時間がない時など、このおにぎりで過ごそうかと思ったが、もう帰国まで数日しかない。合わせていつも食べているあんパンを頬張る。伝統的な、安定的な味と値段は喜ばしい。

今日は何と台湾川柳会に行く。私は川柳とは全くの無縁だが、先日会ったHさんが『リアル茶金に会いたいなら川柳会ですよ』というので、その言葉通りに訪ねてみた。南京路のホテルの2階、月に1階開催されているというこの川柳会。台湾人と日本人が十数人集まっている(中には日本から来た人たちもいた)。その中に最年長96歳の廖さんがいた。

『茶金』とは一昨年台湾で放映されたテレビドラマで、主人公は戦前戦後、紅茶生産などで財を成した新竹北埔の客家一族。台湾史がきめ細かく描かれており、かなり好評だったと聞く。突然訪ねた訳だが、幹事役の紹介で廖さんから話を聞くことが出来た。

ある日の台北日記2023その6(1)台鐵弁当とうなぎ

《ある日の台北日記2023その6》  2023年5月26日-6月8日

5月26日(金)台鐵弁当

高雄から戻り、どっと疲れた。やはり暑いのだ。朝から外へ出る気にならず、部屋にあるものを食べて過ごす。それでも昼になれば腹が減り、また弁当屋で食事を取る。お目当ては味噌汁でお替りも自由だった。暑くても食欲が出ることは前向きに考えるべきだろう。

先日頼んだ名刺を取りに板橋へ向かう。もう慣れた道なので迷いはない。こんなに沢山名刺を持ったので配りたい気分になるが、実はもう配る機会はそれほどない。なんだか不思議だ、なぜ私は名刺を作ったのか。何となく持って安心したい、という気分だけだったのだろうか。

帰りに板橋駅の地下でパンを買った。水分以外はパンが一番だと思ったのだが、何とその反対側に台鐵弁当屋を見付けてしまう。先日台鐵に乗っても弁当を食べる機会はなかったので、やはり一度は食べようと列に並ぶ。弁当は2種類で、昔安い60元弁当はもうなかった。取り敢えず標準装備の鶏腿100元弁当を買って持って帰った。容器も以前の紙ではなく、プラスチックになっている。まあコロナもあったし、当然変化するよな。

5月28日(日)林森北路を歩く

最近週末よく出かける。今日はTさんのお誘いで、ランチに出向く。場所は林森北路と聞き、少し早く出て、周囲を散策した。ここはその昔は良く出没したエリアだが、現在はかなり変化した街になっている。飲み屋街を観光客が歩き、泊まる場所になっているので驚く。

Tさん指定の店は鰻屋さんだった。この辺でうなぎと言えば肥前屋。その前を通りかかると、相変わらず行列が出来ている。30年前の倒れそうな古い店が懐かしい。かなり暑いので、歩いている人は多くないが、ここだけは人がいる。最近は本当に飲み屋が減り、各国料理、ホテルなどに変身。

Tさんと、そのお知り合い一家と食事。彼らは今度北京に転勤になるというが、小さなお子さんがいて、何となく大変そうだなと思う。今北京、いや中国は昔とは全然違う。まず入国する時からして大変だ。ビザ取得も時間が掛かるかもしれない。現地でも慣れるまでは台北とは大違いだろう。うなぎセットを美味しく頂きながら、ちょっと昔話をする。

5月29日(月)肉巻

今日は先日高雄で訪ねた鄧先生の依頼で、茶商公会に彼の本を届けた。茶商公会には本当にお世話になっており、本を届けるぐらいはお安い御用だ。更に色々と情報を集めたかったが、既に台湾滞在期間も残りわずかだったので、今回はちょっとお礼を述べてすぐに帰った。

折角なのでまた金春発で別のメニューを食べようと行ってみたが、何と月曜日定休を忘れていた。さて、どうするかと歩いていると、旧円環付近に老舗がいくつかあった。その中でどうしても食べたくなったのが、肉巻。それに魯肉飯、肉羹、鴨蛋を並べて食べまくる。もう台湾が残り少ないので、許して欲しい。

それにしてもこの肉巻、実に美味い。タレが独特だ。この店は60年以上の歴史があるようで、思い出してみれば10年以上前に、ここで食事をしていた。日本のガイドブックにも載っているのか、日本人が日本語で注文しても、店員は難なく捌いている。何というべきか。

帰りに中山駅に行くと、地下通路に誠品書店があるので、そこで涼みながら、本を眺める。細長い、広い店内に日本関連の本が目に付く。ドラッグストアーに寄ると、広告の女優さんの多くも日本人のように見えた。今や当たり前になっているが、台湾には日本が溢れている。夜はまた炒羊肉を食べる。

ある日の台北日記2023その5(3)名刺を作る

5月22日(月)名刺を作る

実は台湾に来てから予想外のことが起きていた。持ってきた名刺がほぼ底をついたのだ。最近は名刺を出すことも少なくなり、新しく作ろうなどとは思っていなかったが、Tさんの会に何度か参加し、そこにやってくる多数の企業人は必ず名刺を出すので60₋70枚を配ったことになる。

折角なので台湾で名刺を作ろうと知り合いのTさんに聞いてみると『板橋にいい所があるよ』と教えてくれたので行ってみることにした。MRTを乗り継いで板橋駅へ。数年ぶりだろうか。何だか全く知らない駅へ来たようで、出口の位置さえ分からない。何とか地上へ出たが逆側だったので、大回りして向かう。

Googleを使って細い道を行き、その店に辿り着いた。入っていくと珍しそうな顔で若い男女がこちらを見る。印刷屋というより、普通のオフィスだ。名詞というと、『どうしてここに?』と聞かれたので『日本人の友達に紹介されて』と言ったら、それだけでにっこり。後で聞いたら、ここに来る外国人はTさんしかいないらしい。

今使っている名刺を取り出してこれと同じ物を、とお願いすると、紙質を確認され、フォントが全く同じではない、と念を押された。取り敢えずあればよいので、と答え、金額を聞くと50元という。え、50元?50枚?思わず聞き返すほど安かった。100枚、50元、ただ200枚から受付。それでも100元なのですぐにお願いした。

LINEを交換して、後の連絡はLINEで行う。実際1時間後には見本が送られてきて、それにOKすると翌日には出来上がったと連絡がある。日本でこんな早くてシンプルなサービスはあるのだろうか。取りに行った時、別バージョンをさらに200枚注文した。これで当分、いや一生名刺はいらないかな。

折角なので駅近くでランチを探したが、何故か適当なところが見付からない。板橋名物があると思えない。意麺の看板に思わず反応して入ってしまった。もうすぐ台南にも行くというのになぜ。まあそこそこ美味しいので良かったが、きっと検索などすれば、板橋お勧めランチがあっただろうに。

そこからMRTを乗り継いで松山空港へ行く。先月台北に来た時に利用した航空会社のマイルが付いていなかったので確認しに行く。搭乗したエバ航空のカウンターはちょうど羽田行のチェックイン時間で混雑していたが、係員はちゃんと対応してくれた。だがなぜマイルが付いていないのかは解明できない。

続いてマイレージカードを持つ日系会社へ回る。そこでもスタッフが日本語で対応してくれたが、なかなか分からない。そしてスタッフが色々と調べてくれた結果、何と私が乗ったフライトのクラスレベルが低すぎて、マイル対象外だというのだ。これには正直驚いた。コロナ前は東京‐台北往復航空券は安ければ3万円、高くても5万円以内であり、マイルもある程度ついていた。今回の料金は約8万円。それでマイルが付かないのか。もうマイルは飛行機に乗って貯めるものではないとはっきり理解した。

何となくモヤモヤしていたので、近所の床屋に寄った。私が昭和の床屋と呼んでいるところだ。ところが同じ通りに2軒あり、3年ぶりで何と店を間違えてしまったらしい。それでもサービスも料金も変わらない。コロナ禍ではどうしていたのだろうか、これで食って行けるのかとこちらが心配するほど。まあ髪を切り、頭を洗ってもらうとかなりすっきりした。

夜はまたもやTさんの集いへ。今回は香港関係者が集まっており、会場も広東料理屋で飯も旨い。ただ個室利用は最低1万元だったらしく、10人の参加者に1000元ずつの割り当てがあった。日本円にすると大したことはないが、屋台暮らしにはちょっと堪える。そろそろこういう会はもういいかな。

ある日の台北日記2023その5(2)芝山厳事件

帰りに中山駅まで歩いて行くと、途中に横丁があり、そこに路上食堂?があった。なぜか日本のおでんやさしみ、寿司などが並んでいる。如何にも台北ならではの光景だ。駅まで来て新光三越に行く。ここの上に誠品書店がある。ここでドラマ『茶金』の原作本を探す。『茶金歳月』、これはドラマの主人公の実在の夫が書いたものだ。ネットでは300元と書かれていたが、書店では380元した。これが定価だから仕方がないが、日本との違いに戸惑う。

5月20日(土)芝山へ

小雨が降っている朝だった。それでも意外と涼しいからと出掛けることにした。MRTに乗り、降りたのは芝山駅。ここは初めて来る場所だった。歩いて10分ちょっとで芝山厳文化史跡公園に着く。そこには恵済宮がある。その横の長い階段を上っていく。雨で濡れた石段は滑る。

取り敢えず気の向くまま歩いていると、展示館に出くわす。芝山岩の採掘に関する展示のようだが、見学者はいない。そこから何とか頂上?付近まで登ると、芝山厳事件の記念碑が現れる。台湾が日本領になってすぐ、日本人教師が襲われ、6名が命を落としたと言われる事件だ。これを戦後国民党は義民の義挙としたようだが、その後学務官僚遭難之碑が再建され、教師たちの活動は肯定されている。

堂内に展示があるようだったが、閉まっており、見ることは叶わなかった。近くに六氏先生の墓が作られており、お堂も置かれている。実は私がこの事件に興味を持ったのは、犠牲者の中に楫取道明という人物がいたことだ。彼の父親は、幕末長州藩で活躍した小田村伊之助(薩長同盟などにも関与)、維新後楫取素彦と改名し、群馬県令などを務めた。しかも道明の母親はあの吉田松陰の妹寿であり、一時は久坂玄瑞の養子として久坂家を継いでいる。このような人物が台湾で客死した時代背景、もう少し知りたい。

最高点から下が良く見える。暑くないのでとても良い散歩となる。するすると階段を下りて、駅の方へ戻る。すぐそこに朝ごはん屋があったので立ち寄る。もう朝ご飯の人は皆食べ終わっており、サンドイッチだけがあるという。土曜日の午前中とはそんな感じだろう。でもこのサンド美味しかった。

結構疲れたので、部屋に戻り午後は休息する。ちょっとした山登りでも息が上がるし、その後の疲労感が半端ない。先週の水道博物館と言い、高い所へ行くのは今後控えよう。夜はまたお決まりの牛肉湯肉絲麺を食べてご機嫌となる。以前は新しいものを探して食べていたが、今やもう気に入ったものだけ食べ続けている。これもみな歳のせいだろうか。

5月21日(日)牛丼からジャージャー麵へ

昨日の疲れが残っていた。朝も起きられないし、動きも鈍い。天気もイマイチなので部屋でグダグダしている。それでも昼頃になると腹だけは減る。といっても遠くに行く気はない。こんな時は牛丼だな、と思い、吉野家まで歩いて行く。昔ここにある吉野家。1階は狭く、急な階段を牛丼を自ら運んで上がらなければならない。これもまた疲れる。しかも相変わらず店員の愛想は悪い。

日曜日なので、家族連れが大勢食べている。そんな中一人でいるとちょっと孤独になる。やはり牛丼は日本の方がうまい。これは肉の質の問題だろうか。いや米の問題かもしれない。そんなことを考えていると、更にうまくない。食後隣のパン屋が目に入る。3個100元に釣られて、パンを3つ選んだら、何と『下の段だけね』と言われ、100元では収まらなかった。何とも納得がいかない表記だ。

そんなこんなでモヤモヤの午後を送る。こういう時は妙に菓子など食べてしまい危険なので、夕方早めに夕飯を探す。昼がご飯ものだったので、麺でいいやと思い、なんと昨日の店へ行く。そしてジャージャー麺を食す。実は先日この店で注文時の間違いからこの麺が来てしまった。まあいいかと食べてみると存外の旨さに驚き、今日もまた食べることにしたのだ。偶には冒険してみるものだということか。