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懐かしのインドネシア散歩2013(1)バンドンで疲れる

《インドネシア散歩》 2013年4月25日-5月2日

インドネシアといえば、新婚旅行はバリ島だった。しかしジャカルタへは1989年に出張で行って以来、またバリはその後96年に家族旅行で行って以来、随分と長い間、ご無沙汰していた。自分の知っているインドネシアは全くなくなっていうだろう。

台湾で茶業関係者と話しているとインドネシアの話が偶にでてくる。茶畑はいくつかあるらしい。行って見たいとは思うが、それこそどこに茶畑があるのか、言葉は通じるのか、など問題点も多い。そんな時、知り合いの香港人Tに『インドネシアのバンドンに親戚が沢山いる。茶畑もあるらしい』と言われ、俄然行きたくなる。ちょうど彼の出張があり、何と出張に着いて行くという前代未聞の茶旅となった。

4月25日(木) 1.バンドンまで  香港空港

香港人Tは実はかなり忙しい人。1か月で香港に居るのは1週間もあるかどうか。この日も朝の便で台北から香港へ戻り、そのまま空港ラウンジでジャカルタ行きを待つ手筈になっていた。ところが空港に到着して電話してみると、何と今空港に向かっていると。何が起きたのか。

実はTは体調を崩して、香港の医者へ行っていた。搭乗開始時間になっても現れない。どうしようかと思っていると、ようやく現れた彼はキャセイのメンバーカードを出して、私も一緒に優先登場した。何とも颯爽とした捌きだった。格好いい。

機内は比較的混んでおり、ビジネスマンもいれば観光客もいた。インドネシアの華僑と思われる人々が普通話を使っていた。キャセイの機内は相変わらず寒かったが、何となく前向きな旅立ちだった。ジャカルタまで4時間以上、ウキウキした気分で過ごす。

ジャカルタ空港からバス

空港に到着すると先ずはアライバルビザの取得へ向かう。香港人Tはビザが不要。羨ましい。ビザのカウンターにははっきり表示が無く、どこへ並べばよいかは担当次第。しかも先に25ドルを支払い、その後ビザ申請となる。まあ特に問題はなかったが、分かり難い。そしてイミグレに進むと、『帰りのチケットを見せろ』という。残念ながら印刷していなかったのでその旨伝えると『航空会社のカウンターで印刷して来い』との指示。時刻は夜の8時でカウンターが機能しているとも思えず、仕方なくIPadを取り出して、画面を見せる。するとぶつぶつ言いながらも『次回は印刷しろ』、通過した。何ともいい加減な話だ。

荷物を待つ間、Tは着々と作業を開始。先ずはATMにてルピーの調達。実に簡単にお金が出てきた。ちょうど荷物が出て来て拾い上げ、次はシムカード。彼はアジアのどこへ行くにも各国のシムを持ち歩いているが、インドネシアは持っておらず、今回購入。私もついでに携帯電話用のシムを購入して早速差し込む。日本円で500円ぐらい。

そして我々はこれからバスに乗りバンドンを目指す。空港内のバス乗り場を探したが、これも分かり難い。ようやく空港の一番端にあるターミナルを発見。バンドン行きは9時に出るとのことで待つ。当然ながら現在の空港は23年前の面影はなく、きれいになっていた。9時過ぎに来たバスに乗り込むと、既に先客多数。不思議なことに後ろにVIPルームのように仕切られた席がある。よくよく観察してみると、何とそこが喫煙室だった。入れ代わり立ち代り、男たちが入って行く。インドネシアは今でも喫煙率が高いようだ。

バスはジャカルタ市内を通過してバンドンへ行くようだが、夜の10時前だというのに、渋滞が凄い。車はなかなか進まない。市内を見ていてもやはり昔の面影はなく、奇麗なショッピングモールなどが見えて驚く。乗客のほとんど寝ている。何と窓に枕が挟まっており、皆それを使って寝ていた。何とも不思議なサービス。しかしその意味は何となく分かる。いつになっても進まない車。寝るしかないのだ。市内の渋滞をようやく抜けてもそこからは長かった。いつ着くともしれない旅。途中でトイレ休憩が入るなど、一向に着く気配はない。

バンドに到着したのは真夜中の12時半。3時間半の旅だった。兎に角疲れた。Tの従弟という男性が迎えに来てくれ、ホテルにチェックイン。何も考えずに寝た。

4月26日(金) 2.バンドン  疲れ果てる

翌朝は良く晴れていた。バンドンは静かな田舎町。ただホテルで朝食を食べていると上を飛行機が飛んでいく。空港がすぐそこにあった。もし飛行機に乗ればバスのような渋滞はないのだろう、などと考えてしまう。ホテルは三ツ星クラスだったが、屋上にプールもある。インドネシアは暑いため、プールがあるのが当たり前と言われる。

Tは出張なのでミーティングに出掛けてしまう。取り残された私はすることもない。仕方なく街の散策へ出掛ける。直ぐ近くにショッピングモールがある。シンガポール系のパン屋があり、KFCやピザ屋も見える。CITIバンクもある。中もアジアの普通のショッピングモールと変わらない。アジアは画一化してきていると感じられる。

バンドンの鉄道の駅を探して歩く。ところがどうしたことか一向に見付からない。むしろどんどん離れて行っている印象があり、断念して戻る。途中交差点で猿回しの芸を披露している若者がいた。これで結構チップを貰っている。小型バスが沢山走っているが、どこへ行くのか分からないので、歩いて行く。何とそのバスにギターを持った流しの若者が乗り込みギターを弾いて歌を歌っている。そんな商売もあるのか、驚く。若者の雇用問題はかなりありそうだ。

更に歩いていると風車の形が見える。面白い建物だなと思ってみると、そこはパン屋だった。オランダベーカリー。ふらふらと入って行くと、若い売り子さんが私の後ろにピタッと付き、『何が宜しいでしょうか?お取りします』という構えで立つ。これは買わない訳にはいかない。サンドイッチとパストリーを買い、これを昼食とする。ホテルで食べるとなかなか美味かった。因みにこのベーカリーはジャカルタにもあり、結構大きなチェーン店であった。

僅か1時間半ほど歩いたが、流石に暑く、また最近に疲れもあって、午後はホテルで休む。ここ1-2か月は休息の必要性を痛感する。Tがいつ帰って来るのかと待ったが、一向に連絡がない。仕事中に電話する訳にもいかないので、ベッドで寝ているといつしか周囲が暗くなってきた。

ショッピングモールで夕飯

Tから電話があったのは、午後7時前。夕飯を食べに行こうという。歩いて昼間行ったショッピングモールへ。ここの4階がフードコートになっており、各国料理が楽しめる。シンガポールの軽食屋があり、台湾のデザート屋、そして日本食屋まである。あまりの多彩さに驚く。

Tea Barなる店に興味を持つ。Tong Tjiという茶のチェーン店が開いている。茶を頼んでみるとちゃんとポットと椀が出てきた。椀の中には柑橘類が添えられており、お茶に甘さはなかった。というか、このお茶は香港の上環の茶荘で売られている焙煎の効いた鉄観音ではないだろうか。恐らくは華人用に輸出されているものだ。こんな所で香港に出会うとは、お茶は奥が深い。

食事は目の前で手打ちしていた麺を食べる。スープは別に出てくる。麺には肉のミンチが添えられている。これはなかなか美味いが、やはり華人の食べ物だろうか。特に華人だ、インドネシア人だという区分けは無いように見えるが、どこかにそれは存在していることがこのフードコートを見ても分かる。面白かったのはここで何故か昔の上海名物、大白兎のキャンディを売っていたこと。最近ブランドが復活したとどこかで見た気がするが、何故ここに。

昨晩バスターミナルに迎えに来てくれたTの従弟、Eから電話があり、彼が車でやって来た。彼は母親と共に繊維工場を経営しており、かなり忙しいらしいが、香港から従弟が来たというので時間を割いてくれている。

連れて行ってくれたのは、バンドンで最近人気の野外のフードコート。地元の人も観光客も来るという。実にいい風が吹いてきて気持ちが良い。食事はしたので、飲み物を買い、話す。ここでは南国風に夜遅くまで大勢の人々がナイトライフを楽しんでいた。これも一つのインドネシア。