バラナシ伝説のGHへ行け2014(2)タクシーに騙されながらも辿り着いたクミコハウス

2.バラナシ

空港タクシーに騙される

バラナシの空港に着いた。周囲に何もない所にドーンと空港を作った感じだ。初めての場所、久しぶりにインドで一人、用心せねば、と空港タクシーを探す。プリペイドタクシーなら大丈夫と思い、そこで行先を告げると手数料を50rp取られ、紙を渡され、運転手を探す。

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タクシーは快調に飛ばす。途中で運ちゃんが『バラナシには何日居るのだ?案内は要らないか?帰りのタクシーは予約したか?』と聞いてきた。警戒して全て不要と断ると、それきり何も言わなくなった。さすが空港タクシー、しつこくないのが良い。そして1時間、どこをどう走ったのか、街中のある場所で運ちゃんは『クミコハウスはあそこの細い路地を入っていくんだ』と指差し、規定の700rpを受け取り、去って行った。チップも要求しない、さすがだと感心。そしてその路地を入って行ったが・・

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3分ぐらい歩いて見たが、それらしいところはない。GHのオジサンが『どこ行くんだ?』と聞いてきたのでクミコハウスというと、『クミコはここではないよ、ずっと遠いよ。大変だからうちに泊りな』と言ってくる。これは客引きの常とう手段と思い躱す。しかしまた歩いて行くと別のオジサンも同じことを言う。じゃあ、ここはどこなんだ?と聞くと『ここはアッシーガートさ』とこともなげに言う。

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アッシーガート、聞き覚えがあった。そう、ラトールさんが『バラナシで行ってはいけない場所』として挙げた地名だった。その理由が『そこでは麻薬が売買され、危険だ』というのだ。本当にここがアッシーなら一刻も早く逃げ出さねば。ただ周囲にそれほど危険な感じはない。

 

オジサンが『クミコへはガンジスをボートで行くしかない。連れて行ってやろう、500rpでどうだ』と言ってくる。確かに誰かにすがらなければこの局面は打開できないが、このオジサンが信用に値するとはとても思えない。取り敢えず車を下りた場所へ戻る。どうやらこの大通りを行けば、近づくとの予感がある。試しにリキシャに聞いてみると100rpで行くという。これで方向性に確信を持ったのでちょっと交渉して50rpでリキシャに乗る。3kmほど行くと運ちゃんがまた、そこの細い路地を行くのが一番早い、という。信じられないが、行くしかない。

 

その路地はアッシーよりも数段汚かった。本当に細い路地で牛のふんが大量に落ちており、ハエがすごかった。若いにいちゃんが声を掛けてきた。クミコハウスまで案内するという。だが断った。それでも彼は付いてきた、というより先導していた。相当な裏道を通り、人の家を通り、階段を上り下り、良い悪いではなく、彼に着いて行くしかなかった。そしてついに・・

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クミコハウスで

ガンジス河が見える位置に、クミコハウスを見た。にいちゃんは本当にチップも要求せずに去って行った。そういうヤツもいるんだな。そして扉を開けるとおじいさんが『いらっしゃい』と日本語で言った。しかし顔は日本人ではなかった。奥に若い女性がいたので久美子さんの所在を訪ねると上だという。

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2階へ上がろうとすると『靴は階段脇に置いて、盗まれるよ』とおじいさんが指示。階段は意外と急、しかも2階ではなく3階まであった。2階は個室が並んでいたが、3階は大部屋。そのトイレを掃除していたのが、だれあろう久美子さんだった。汗まみれになりながら、必死に掃除していた。

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掃除の合間に話を聞き始めた。『私がバラナシへ来たのは38年前。GHを開いたのは37年前。その頃バラナシに住む日本人は私一人。寂しいから日本人バックパッカーに部屋を貸して、日本人と話したかった』と。『この建物のロケーションは最高。何しろ聖なる河ガンジスが一望できるから、インド人にとって泊まりたい場所。でもインド人は信用できない。絶対に貸さない』とも。『日本には30数年前に一度帰ったきり。インドがそんなに好きかって?そんな訳はない。一度2か月帰ったら、その間にインド人に鍵こじ開けられて、住み込まれた。それを追い出すのにどれだけ苦労したか』。いやはや、まさに伝説の人だ。

 

ご主人はインドのカルカッタ出身のベンガル人。東京で芸術関係の学校に通っており久美子さんと知り合った。そしてインドへ戻りバラナシに職を得る。それからずーっとここに住んでいる。1男1女、娘は嫁に行き、息子は嫁を貰った。さっきの女性はお嫁さんだった。息子は『ニュークミコハウス』を近所でやっている。

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この伝説のGHはインドに来るバックパッカーで知りない者はいないというほど有名だったらしい。何しろ今でも過酷なインド、バラナシはネパールから入り、デリーへもカルカッタへも行ける要衝の地。疲れ果てた体で辿り着くと、久美子さん特製のごはんが待っており、日本人しかいない気安さでインドの緊張感がほぐれたとか。常に満員でベッドを押さえるのが難しいとも言われた。

 

ところがここ数年、日本人の若者は来なくなっていた。最近の若者は『個室』『WIFI』『エアコン』を希望するが、クミコハウスには辛うじて個室が4つほど。しかも相当に年季が入っており、最近できた新しいGHに太刀打ちできない。息子はこの3種の神器が揃ったニュークミコハウスをやっている。今どきの若者である。

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日本人の代わりに中国人、韓国人、香港人、台湾人がここを占拠していた。3階の壁には昔の日本語の落書きの横に中国語や韓国語が目立つ。しかも『ここの朝飯は最高!』などとこのGHを誉めているが、久美子さんは『読めないから分からない』と素っ気ない。当日も上海から3人ずれ、台湾の自転車漕ぎ、韓国人カップルも来ていた。日本人は2人いたが、個室に入っていた。

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私は一番良い個室を与えられた。部屋は広いし、小さいがトイレが付いており、水浴びも出来た。ここはかなり暑いのでホットシャワーは不要だった。小さい窓をいくつか開けるとガンジスが開けた。窓から熱い空気が入り込む。1階に下り、風が通るところに座った。お昼を食べていなかったので、聞いてみるとカツ丼が出来るという。久美子さんが嫁さんに教えたとか。試しに食べてみた。インドなので肉がちょっと硬いが、上々。180rpは嫁さんの小遣いになるそうだ。『インド人はタダ働きしないよ』とキッパリ。

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