インドで自然療法2018(3)アウエー感が半端ない!

2時頃再び事務所へ行き、手続きを始めたが、これがなかなか分かりにくい。いくつもの用紙に同じようなことをかき込み、何とか提出するものの、『あんたの予約ないよ』などと言ってくる。それが済むとカード(ここに私のデータが入力される)を作り、支払い。ここでも色々と面倒があったが、何とか支払いを完了して、ようやく部屋の鍵を手に入れた。

 

だがすぐにドクターの診察を受けるように言われ、隣の診察室へ。ここでもたくさんの人が待っており、なかなか順番が来ない。体重や身長を計り、待っているとようやくドクターと対面。彼は昨年引退したニサル先生の後を継いだ若手のホープ。脈診と血圧チェックでサラサラと今後のトリートメントの指示などを書いてくれた。

 

部屋に入ったのは何と夕方4時過ぎ。ラトールさんも忙しいので、荷物を部屋に入れるとすぐに帰っていこうとしたが、マッサージ用のオイルとタオル、腹巻?セットを買うのに付き合ってくれた。一度外へ出て門の脇の店でそれらを買うと、ラトールさんは帰っていき、私は部屋に戻った。

 

部屋は2人部屋に一人。かなりゆったりしており、お湯のシャワーも出るし、天井には大きな扇風機が回っており、申し分ない。聞けば、昔は外国人も一般インド人と同じ安い部屋に泊まれたが、今やお客が急増しており、外国人は一番上等の部屋以外に泊まることが認められなくなったという。まあ、私にとっては悪い話ではないが、とにかくここのシステムは何もわからない。

 

 

すぐにトリートメント室に行き、その腹巻を腹に巻いてもらった。なぜこれをするのかという説明はない。ただ水に浸したさらしを腹に巻き、その上からバンドで固定するだけだ。ちょっと腹がひんやりしたが、特に問題なく、30分ほど巻いていた。これが初めての施術であり、今日唯一のものだった。

 

この施設のシステムについては、午後5時半から説明があるというので、そこへ行ってみたが、何と女子トリートメント施設だった。躊躇していると中へ招き入れられたが、10数人の参加者で外国人は私一人。そして説明は、ヒンディー語かマラティ語から知らないが、私には全く理解できない言語で滔々と行われた。

 

ようやくそれが終わると担当者が私のところへ来て英語で話してくれたが、何だか頭に入らない。これほどのアウエー感は久しぶりでボーっとしてしまったのかもしれない。また英語でもわかるというものではなく、取り敢えず今晩と明日、しなければならないことを確認して退散する。

 

もう夕飯の時間になっていた。私もランチと違い、ここの一員になったので、ドクターの指示による食事が供されると思い込んでいた。だが食堂の列に並び、デスクのおばさんにカードを示しても、向こうに並べと言われ、直接食事を取りに行くことになる。その時は『私は悪いところもないので、何を食べてもよいのだろう』と考え、出されるものを取る。ただ出す方も一応『ペーパーは?』というジェスチャーはするので、おかしいとは思ったが。

 

まあ、ここの食事はお世辞にも美味しいとは言えなかった。美味しくないというより、塩気とかスパイスとかを全く使っていないようだ。また美味しそうな色味もないので、体にはよいのだろうが、どうにも味気ない。でも昔はこんな感じだったのだろうと思い、そのままのみ込む。

 

食事が終わると、皆が夕暮れに散歩をする。私も周囲を一周したが、皆歩くのが早い。これも運動の一環でドクターからの指示だったようだ。私には何の指示も下されていない。確かフルーツダイエットなどもあると聞いたが、いつから始まるのだろうか。門の近くでフルーツを売っており、美味しそうだ。何が何だかわからないうちに1日が終わり、シャワーを浴びて眠りに着く。

 

2月14日(水)
午後休息となった2日目

夜中に電車の通る音がした。一度蚊に刺されて起き上がった。トイレにも一度だけ行った。朝5時にはきちっと起き上がる。まあ日本時間の8時半だから、問題はない。外は暗く、かなり涼しい。昨日確認しておいたヨーガの場所へ。既に大勢の人が床に座っていた。きれいとは言えないヨーガマットがあり、その上にカバーを敷いて座る。

 

先生は昨日会った図書館にいるインド人女性だったが、今朝はビシッとヨーガ先生になっている。朝5時15分のクラスは初心者と年配者向けとなっており、初めは体をほぐすことに重点が置かれる。何と言語はヒンディー語のみ。眼鏡を外したいが、そうすると他の人の動作が見えず、何をしているのか分らない。私だけ向きを変え、眼鏡をかけて、人の動作を追う。アシスタントもいるが、体の固い人などのケアに追われている。

 

なんて不親切なのだろうか、と思うことはない。ここはインドなのだ。完全アウエーの中、自らがすべきことを自らが考える機会ととらえる。また同時に、人と同じことしなければいけない、という考え方はここに存在せず、自分がしたいようにしていても、文句をいう人はいない。ここが日本と決定的な違いだ。内容をいち早くコピーしてできるようにするのではなく、長い道のりを経て、自分の形を作り出す、それが必要だということを思い出させる。

 

45分間の後半は、若干のアーサナと呼吸。朝起きあがるとすぐにパソコンに向かう生活から考えると、このような時間を過ごすことが大切なのであり、『出来るようになりたい』などとは思わず、ただ時間に身をゆだねたい、と思うのみだ。

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