インドでアユルベーダを2017(17)プネーに広がる工業団地

3月1日(水)
いよいよ今回のインド最終日。朝は周辺散歩に出る。これまで何度かラトール家に滞在しているのに、一人で外を散歩したことすらなかった。うきうきと出掛ける。今日も快晴だ、気分がよい。そして静かな町。この付近は車もそれほど多くなく、実に環境がよい。道路は相変わらず、女性が箒で掃いていた。プネーの私の第一印象というのは、実はこの掃除。インドは汚いという先入観念があったが、プネーでは見事にそれが払しょくされた。昨日は機械で掃除する人を見かけたが、やはり箒がよく似合う。道が朝日に輝いていた。

 

近くの公園に行くと、多くの人が決められたコースをウオーキングしている。日本ならジョギングだろうか。向こうではアーサナのポーズをとっているおじさんがいた。中国の公園なら、太極拳だな。瞑想している人もいて、実に多彩。戦車が飾られているのはなぜ?

 

それからも道を忘れないようにしながら、ゆっくり散策した。1時間も歩くととてもすっきり。戻って頂く朝食が美味しい。部屋に戻って荷物をまとめて、さあ出発だ。10時過ぎに車に荷物を載せて、この家ともお別れ。今日はどこへ行くのだろうか。着いた先は、かなり広い敷地を持つ、立派なところ。聞けば、地方政府の教育部門だという。

 

ここの言語教育担当責任者に会う。彼らも日本語教育の重要性を強調しており、日本との交流を望んでいると言ってきた。話を聞いていると、大学の多い学園都市プネーには、フランス、ドイツ、ロシアなどから、各国語の支援が入ってきている(語学教育、留学など)が、残念ながら日本語はないのが現状らしい(H先生のように日本語教師として派遣されている例はある)。勿論日本は他の都市でやっているのかもしれないが、デリーやムンバイなどの誰でも知っている都市ばかりではなく、プネーのような重要都市にも何かをするべきかと思う。

 

次に郊外のITパークに行く途中、A氏夫妻に帰国の挨拶に行く。家の前までは何度か来たことがあるが、中に入るのは初めてだ。軽く立ち寄るつもりが、話が弾み、1時間以上の長居となる。やはり政治でも文化、習俗でも、インドのこととなると、A師に確認したいことは山ほどあるのだ。

 

それから30分ぐらいで郊外のヒンジャワディにあるITパークに着く。何とここには街が形成されており、その中に数千人が住み、仕事をしていた。インドのインフォシースやタタなどの大きな建物が目についた。外資系もちらほらあり、かなりの規模だと分かる。現在第1期、2期が完成し、3期の計画もあるという。こういうところを見ると、インドも広いな、とつくづく思う。

 

腹が減ったので、道路脇のレストランに入る。麺が食べたかったが、客家ヌードルしかなく頼む。前回客家ヌードルの起源を調べてみたが、よくわからない。インドに客家がいるのだろうか。また客家は独特の焼きそばを持っているのだろうか。意味不明ながら久々でうまい。ニンブーもあったので飲む。満足。

 

それから工業団地があるというので行ってみる。ラトールさんの仕事に同行した訳だ。そこには富士通、ブリジストン、よつばなど、日系企業が数社見えた。ここにも日本がと感慨深かったが、近くを回ると、フォルクスワーゲン、メルセデス、ボッシュなどドイツメーカー、それも一流の自動車関連が出てきており、ドイツ語需要が高いことが分かった。

 

ロレアルなどフランス系もあり、また三一重工など中国系の大工場もあった。インド系の二輪会社やトラック会社が先に出て、そこへドイツ系がやって来たのだろう。日系自動車は、デリーはチェンナイなどに出ているので、ここではマイナーな存在。先ほどのITパーク同様、優秀な学生が多いこの街を選ぶ理由に良い人材の確保があるのは間違いがない。

 

そこからプネー空港までは距離はそうないのだが、夕方の大渋滞にはまる。私のフライトにはまだ時間があったが、ラトールさんは日本語学校の授業に間に合わない。申し訳ない限りだ。空港では、これまでチケットのコピーがないと入れなかったのだが、今回はスマホ画面で入ることができた。当然だ、インドも進歩しているのだから。

 

デリー行きの国内線は、フライトが遅れ、いつチェックインできるかもわからない。あまり遅れると、デリーの乗り継ぎに問題が出ると冷や冷やしたが、遅れて出たにもかかわらず、デリーには定刻に着いた。夜中の零時、デリー空港の国際線は大混雑だった。エアチャイナのチェックインはまだよかったが、荷物検査で1時間近く並んだ。何とも効率が悪い。

 

そこを何とか抜けると、もう搭乗時間が迫っていた。だがいつになっても搭乗は始まらない。インド人などは平気な顔で待っていたが、日本人のおじさん二人がしきりに『おい、どうなっているんだ』と叫ぶ。彼らはビジネスクラスのチケットを持っているのに、そんな態度だからスタッフも取り合わない。

 

ようやく搭乗が始まるかと思っていたら、なんと、車いすに乗ったインド人がその家族と共に続々と搭乗を始める。北京で国際会議でもあるのだろうか。何とか搭乗すると、ほぼ満員。すぐに食事も出てなかなか眠れない。ちょっとウトウトしていたら、もう到着。5時間半ぐらいのフライトだった。北京空港の国際線トランスファーも車いす組が優先!

 

夕方の便で羽田へ向かうのだが、このフライトも遅延した。昨日から3本のフライトに乗ったが、その全てが遅れるという珍しい体験。結局羽田にも1時間遅れで着いたが、まだ電車があり、問題なく帰れた。さすがに丸一日以上の移動は堪えた。アユルベーダの教えをちゃんと守り、規則正しい生活、移動を少なめにしていこう。出来るかな?

 

いよいよ今回のインド最終日。朝は周辺散歩に出る。これまで何度かラトール家に滞在しているのに、一人で外を散歩したことすらなかった。うきうきと出掛ける。今日も快晴だ、気分がよい。そして静かな町。この付近は車もそれほど多くなく、実に環境がよい。道路は相変わらず、女性が箒で掃いていた。プネーの私の第一印象というのは、実はこの掃除。インドは汚いという先入観念があったが、プネーでは見事にそれが払しょくされた。昨日は機械で掃除する人を見かけたが、やはり箒がよく似合う。道が朝日に輝いていた。

近くの公園に行くと、多くの人が決められたコースをウオーキングしている。日本ならジョギングだろうか。向こうではアーサナのポーズをとっているおじさんがいた。中国の公園なら、太極拳だな。瞑想している人もいて、実に多彩。戦車が飾られているのはなぜ?

それからも道を忘れないようにしながら、ゆっくり散策した。1時間も歩くととてもすっきり。戻って頂く朝食が美味しい。部屋に戻って荷物をまとめて、さあ出発だ。10時過ぎに車に荷物を載せて、この家ともお別れ。今日はどこへ行くのだろうか。着いた先は、かなり広い敷地を持つ、立派なところ。聞けば、地方政府の教育部門だという。

ここの言語教育担当責任者に会う。彼らも日本語教育の重要性を強調しており、日本との交流を望んでいると言ってきた。話を聞いていると、大学の多い学園都市プネーには、フランス、ドイツ、ロシアなどから、各国語の支援が入ってきている(語学教育、留学など)が、残念ながら日本語はないのが現状らしい(H先生のように日本語教師として派遣されている例はある)。勿論日本は他の都市でやっているのかもしれないが、デリーやムンバイなどの誰でも知っている都市ばかりではなく、プネーのような重要都市にも何かをするべきかと思う。

次に郊外のITパークに行く途中、A氏夫妻に帰国の挨拶に行く。家の前までは何度か来たことがあるが、中に入るのは初めてだ。軽く立ち寄るつもりが、話が弾み、1時間以上の長居となる。やはり政治でも文化、習俗でも、インドのこととなると、A師に確認したいことは山ほどあるのだ。

それから30分ぐらいで郊外のヒンジャワディにあるITパークに着く。何とここには街が形成されており、その中に数千人が住み、仕事をしていた。インドのインフォシースやタタなどの大きな建物が目についた。外資系もちらほらあり、かなりの規模だと分かる。現在第1期、2期が完成し、3期の計画もあるという。こういうところを見ると、インドも広いな、とつくづく思う。

腹が減ったので、道路脇のレストランに入る。麺が食べたかったが、客家ヌードルしかなく頼む。前回客家ヌードルの起源を調べてみたが、よくわからない。インドに客家がいるのだろうか。また客家は独特の焼きそばを持っているのだろうか。意味不明ながら久々でうまい。ニンブーもあったので飲む。満足。

それから工業団地があるというので行ってみる。ラトールさんの仕事に同行した訳だ。そこには富士通、ブリジストン、よつばなど、日系企業が数社見えた。ここにも日本がと感慨深かったが、近くを回ると、フォルクスワーゲン、メルセデス、ボッシュなどドイツメーカー、それも一流の自動車関連が出てきており、ドイツ語需要が高いことが分かった。

ロレアルなどフランス系もあり、また三一重工など中国系の大工場もあった。インド系の二輪会社やトラック会社が先に出て、そこへドイツ系がやって来たのだろう。日系自動車は、デリーはチェンナイなどに出ているので、ここではマイナーな存在。先ほどのITパーク同様、優秀な学生が多いこの街を選ぶ理由に良い人材の確保があるのは間違いがない。

そこからプネー空港までは距離はそうないのだが、夕方の大渋滞にはまる。私のフライトにはまだ時間があったが、ラトールさんは日本語学校の授業に間に合わない。申し訳ない限りだ。空港では、これまでチケットのコピーがないと入れなかったのだが、今回はスマホ画面で入ることができた。当然だ、インドも進歩しているのだから。

デリー行きの国内線は、フライトが遅れ、いつチェックインできるかもわからない。あまり遅れると、デリーの乗り継ぎに問題が出ると冷や冷やしたが、遅れて出たにもかかわらず、デリーには定刻に着いた。夜中の零時、デリー空港の国際線は大混雑だった。エアチャイナのチェックインはまだよかったが、荷物検査で1時間近く並んだ。何とも効率が悪い。

そこを何とか抜けると、もう搭乗時間が迫っていた。だがいつになっても搭乗は始まらない。インド人などは平気な顔で待っていたが、日本人のおじさん二人がしきりに『おい、どうなっているんだ』と叫ぶ。彼らはビジネスクラスのチケットを持っているのに、そんな態度だからスタッフも取り合わない。

ようやく搭乗が始まるかと思っていたら、なんと、車いすに乗ったインド人がその家族と共に続々と搭乗を始める。北京で国際会議でもあるのだろうか。何とか搭乗すると、ほぼ満員。すぐに食事も出てなかなか眠れない。ちょっとウトウトしていたら、もう到着。5時間半ぐらいのフライトだった。北京空港の国際線トランスファーも車いす組が優先!

夕方の便で羽田へ向かうのだが、このフライトも遅延した。昨日から3本のフライトに乗ったが、その全てが遅れるという珍しい体験。結局羽田にも1時間遅れで着いたが、まだ電車があり、問題なく帰れた。さすがに丸一日以上の移動は堪えた。アユルベーダの教えをちゃんと守り、規則正しい生活、移動を少なめにしていこう。出来るかな?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です