マカオ歴史散歩2004(6)媽閣廟

【ルート6】2004年11月7日

マカオのルーツ、それは媽閣廟であろうか。『マカオ』という地名は媽閣廟の発音から来ている。喧騒の繁華街を離れて散歩してみよう。

(1) 媽閣廟

日本人観光客にはそれ程人気があるわけではないが、中国人観光客はマカオに来たら必ず行く場所、それが媽閣廟であろう。マカオ半島の南の端、リスボアなどの繁華街と反対側、河辺新街の外れにある。昔は港として栄えたであろうこの地域は現在では廃れてしまい、付近の建物も廃屋、薄汚れたものが多い。

その中で媽閣廟だけが賑やかなのである。媽閣廟には媽祖が祀られている。媽祖は世界各地の華僑社会で厚く信仰されている。海難救助や霊験あらたかな伝説が各地に伝えられている。

媽閣廟はマカオ最古の寺院で既に500年以上の歴史を誇る。記録によれば1488年には既に存在していたという。現在の正式名称は正覚禅林、昔の名は海覚寺、俗称を天后廟と言う。大殿、石殿、弘仁殿、観音閣の4つから成る。中でも弘仁殿が最も古い。背面の山に沿って建てられた特殊な建築様式である。

弘仁殿の伝説は、福建省から船でマカオを目指した時、聖母が老婆に化けて乗船したところ、数千里を走り一夜にしてマカオに到着。老婆の姿はなくなっていたというもの。又石殿は1605年に福建人によって建てられたが、これにも伝説が。福建商人が船に乗りマカオに近づいた際、突如台風に襲われたが、石殿の場所に女神が現れ、波を鎮めたという。媽閣廟内には多くの彫刻、船の像等が残されている。また廟内に鎌倉の銭洗い弁天同様にお金を洗う場所があるのも面白い。

又媽閣廟の向かい側、海の面した所にはマカオ海事博物館がある。16世紀にマカオに来たポルトガル人が上陸ポイントにしていた場所だという。入場料、HK$10。3階建てでマカオの海の歴史を纏めている。帆船の模型などがあり、昔のこの辺りを絵画で確認できる。日本の金屏風に描かれたポルトガル人の姿も複製されている。表にはドラゴンボートが飾られており、そこに海がある。

(2) 港務局大楼

媽閣廟の横から石畳を踏みしめ、媽閣斜巷を登る。緩やかなカーブが心地よい。右側にインドの宮殿のような建物が見える。あれは何だろう?そう思って建物に入る。広い渡り廊下がある。

ここは1874年にイタリア人の建築家が設計したムーア人兵士の宿舎。当時インドのゴアからマカオの警察官として多くのムーア人が送られて来たという。兵士の宿舎としては豪華な感じではあるが。

 その後1905年に海兵隊と税関警察の事務所となり、現在では港務局の事務所と海上警察として使われている。それにしても建物の中を覗くと広々と使われており、きれいに壁も塗られている。実に良い職場環境ではないだろうか?

媽閣斜巷はこの辺りで別名を万里の長城という。何故かは分からないが、道路標示にもちゃんと書き込まれている。昔マカオの中心地であったのだろうか?それとも辺境??

(3) 鄭家屋敷跡

更に進むと道が細くなる。道の名前が媽閣街に変わる頃、左側に大きな建物が見える。改築中のようで中の様子は見えないが上を見上げるとかなり古いようだ。1881年建造、中国の伝統的な古民家。蔵のような建物である。瓦屋根であろうか?

鄭観応が住んでいた屋敷だそうだ。鄭氏は19世紀の思想家で孫文にも影響を与えたという。孫文もここへ来たのだろうか?

尚この先を左の曲がると正面の門があるが、ここも固く閉ざされている。中の様子を伺うと2階の窓が古風な感じ。色々と細工がされているようだが、よくは見えない。

 直ぐ近くは小さな門を潜る囲いのある集落。昔の中国系住民の住まいであったのだろう。タイムスリップする感覚がある。

更に下の道を降りて見る。下から見上げると鄭家屋敷が見える。昔はこの辺りのシンボルであったのだろう。誰でも見上げることが出来る。今は大きな鉄骨の枠組みが見えるのだが。

(4) リラオ広場(亜婆井前地)

鄭家屋敷の直ぐ先、石畳を踏みしめて行くと右側が開ける。リラオ広場と呼ばれている。非常にホッとする場所である。大きな木があるせいであろうか?『おばあさんの井戸広場』と名付けられていたが、井戸は無く代わりにこの場所にそぐわないモニュメントから水が出ている。

 木下のベンチに座れば、爽やかな午後の風が吹く。ヨーロッパの片隅にいる感じがする。右側を見れば緩やかな上り坂がある。この坂が良い。スーッと上りたくなる石畳。細いこの坂をマカオは大切にして欲しい。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です