マカオ歴史散歩2004(5)タイパ島

【ルート9】2005年1月29日

これまで全て単独で行ってきたマカオ歴史散歩であるが、今回はHO太(家内)が参加した。初の試みである。HO太はその昔ポルトガル短期留学の経験もあり、その方面の知識は私より数段あるので参考にさせてもらうことにした。

マカオフェリーに乗る時いつもは一人であるが、今回は2人なので座席の配置も心なしか良い席をくれている気がする(僻みか?)。フェリーターミナルからミニバスで真っ直ぐタイパ島の官也街へ。

(1) カルモ教会と図書館

官也街はタイパの観光地で休日は観光客と香港人でごった返すのであるが、本日は霧が立ち込め、少し肌寒い午前であり人影はまばら。ガイドブックにはこの街の海側の道が示されているが、これまで一度も行ったことが無い。

広場の前の道を渡り海側への道を探す。細い路地がある。行き止まりであるが、かなり高い木がひょろっと立っていたりする。更に細い路地を抜けると突然視界が開ける。海が見える、と同時に軍事施設でもあるのか、歩哨が立っていたりする。

HO太が言う。『どうしてポルトガル人はどこにでも石畳(カルサーダス)を作るのだろうか?』確かにタイパ島に石畳を作る理由は不明である。しかしそれがポルトガル人のアイデンティティーではあるまいか?

石畳の坂道を緩やかに登ると左手に古い住居が見える。左右対称の家で2階には洒落た1/4円のバルコニーがある。しかしそこには鳥籠のように鉄柵が嵌められており、風情をそぐ。

 

右側に教会が見えてくる。ガイドブックの写真ではかなり小さくみえたが、実は結構大きい。1885年にタイパ島唯一の教会として建造される。クリーム色の穏やかな色合いに落ち着きがある。結婚式の写真撮影、映画の撮影などに使われることが多いようで、本日も3組の新婚さんがベンツで乗り付け写真に納まっていた。

残念ながら閉まっており中には入れない。やはり教会見学は日曜日である。礼拝があるので大体のところが開いている。HO太はかなり残念そうであったので、後でセナド広場に行って聖ドミンゴ教会と大聖堂を見せた。

教会の対面には図書館がある。こちらも閉まっており、中を窺うことは出来ない。現在も使われているのであろうか?太い柱が内部への侵入を拒んでいるようにも見える。建物の色合いは教会と同じでここでも新婚カップルが写真を撮っている。

(2) タイパハウス

図書館の横を降りて行くとタイパハウスがある。コロニアル風の建物が5つほど並んでいる。その横は蓮の茂る水辺があり、向こうには海が見える。HO太は『ここに来たことがある』という。私は忘れていたが、10年前に日帰り社員家族旅行で来ていたのだ。うーん、最近の記憶力の衰えを痛感。

水辺と建物の間に大きなガジュマルの木が何本も生えている。この風景は良い。落ち着ける。HO太が薄着で寒いと言うので建物の中へ。チケット売り場は何と売店、魚のすり身団子を揚げており、良い匂いがする。チケット(HK$5)を買っているのは中国大陸の人が多い。

建物は4つ公開されている。1つ目は1920年代の家の中を見る。入ると直ぐに食堂と執務室。奥に厨房。2階には寝室、バスルーム、書斎、バルコニーからは海が一望出来る。バスルームは非常に広くて便器が端の方に申し訳無さそうに置かれている。天井に扇風機がある部屋が少ない。ここは海辺で風がよいのであろうか?

2つ目はタイパの歴史。塩魚や蝦醤油の作り方が展示されていたりする。この島がほんの少し前まで静かな漁村であったことが分かる。3つ目はポルトガルの民族衣装を展示している。こんな服をマカオで着ていたとは思えないが、あるいはお祭りなどでは着ていたのであろうか?更に無料開放している建物では清代の陶器などを展示していた。

(3) オ・サントス

既に12時を過ぎている。いつもの散歩では簡単に済ませる昼食も今日はキチンと取ることに。官也街の中ほどにポルトガルレストラン『オ・サントス(山度士葡式餐庁)』がある。小さい店なので気を付けないと通り過ぎてしまう。

1989年開業。狭い入り口を入ると中はヨーロッパの田舎風。テーブルがぎっしり詰められている。我々が座った直ぐ後、どんどんお客がやって来て満席となる。どうやら2階もあるようで上に上がって行く客もいる。非常に客の距離感が狭く、面白い。

隣の2人の老人の顔はどう見ても中国人。しかし話している言葉がバリバリのポルトガル語。オーナーのサントス・ピント氏はポルトガル人であるが、従業員には流暢な広東語で指示を出す。文化のクロスオーバーといえようか?他の客もポルトガル人とマカニーズ(ポルトガル人とアジア系の混血)のカップルがワインを飲んでいたり、大陸から来た若者達が北京語を話していたりする。

壁にはポルトガルサッカーのポスターやお客との写真などが飾られており、親近感が出ている。英語も通じるので是非お勧めしたい。

肝心の料理であるが、HO太は昔ポルトガル語を専攻しており、学生時代にポルトガルに短期留学したことがあるため、任せることにする。ポルトガルの代表的なスープ、カルドヴェルデはジャガイモと菜っ葉が入っているだけであるが、あっさりしており実に美味しい。豚の手と豆の煮込み、フェイジョアーダはご飯を皿に盛りその上にかけて食べる。味が濃厚でご飯に良く合う。幾らでも食べられる。

そしてサルディーニャアサーダは鰯の炭焼き。昔HO太から話を聞いたときにはポルトガルとは貧しい国だなと思ったものであるが、今はこんな美味しいものを食べているのかという感じに変わっている。2人ではとても食べきれない量が出てくる。これで水代を入れてHK$173は安い。

(4) 官也街

食後のデザートは勿論、コーヒーすら飲まずに店を出る。それ程の満腹感。この辺りは観光客相手のお菓子屋などが軒を並べているが、満腹で見る気もしない。横道に入る。そこは普通の人が住んでいる住宅である。

南欧風の建物が路地を埋める。趣はある。しかし何となく中途半端。何故だろうか?恐らくは観光地にもりきれず、さりとて南欧風の暮らしをするわけでもないからだろう。

道端に共同の井戸があった。その横には何処の村にもある道祖神が祭られていた。建物はヨーロッパだが、中身は中国、先程訪ねたカルモ教会の信者は何人いるのだろうか?路地の奥ではマージャンの音が高らかに?響いていた。

(5) 天后宮

そのまま歩いて行くと昔の家を改造したレストランがあった。かなり大きな造りであるが、お客さんが沢山来るのだろうか?そのレストランの正面入り口の隣に天后宮はあった。新しいレストランの入り口と古めかしい宮の入り口。何とも不可思議なコントラストである。

とはいってもこの宮もそんなに古くは無い。きれいな宮内で信者が何やら拝んでいた。ここまで昔は海だったのだろう。今は大分埋め立てられ、その場所にマンションが建っていたりする。北帝廟も地図には載っているものの見つけることは出来なかった。もしかすると既に取り壊されてしまったのだろうか?マカオ、タイパ島も少しずつ変化してきている。

(6) ポルトガル書店

歴史散歩とは直接関係無いが、今回HO太はポルトガル語の書店に行きたかったようだ。地球の歩き方には出ていたのであるが、本を忘れてきた。フェリーターミナルの案内所で聞くとセナド広場の辺りに大きくマルを書き『葡文書局』という。

タイパの帰りにセナド広場に行ってみる。今日はやはり人が少ない。天候もあるだろうし、旧正月の前と言うこともあるかもしれない。それでも歩き回るが書店は見つからない。聖ドミンゴ教会なども見て、更に進むが手掛かりが無い。

仕方なく、インフォメーションセンターへ。愛想の無い女性が直ぐに場所を教えてくれる。先程辿った道の反対側であった。ポルトガル語の書店だけあって、当たり前だがポルトガル語の本が多い中、一部は中国語のマカオ関連本も置いている。

HO太が買った本は何とディズニーの絵本、ポルトガル語バージョン。一体何に使うのか?確かに珍しいとは思うのだが?お客さんにもマカニーズやポルトガル人が多く、言葉も広東語とポルトガル語が飛び交う。最後にまたもや本当のマカオらしいところへ来てしまった。

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