カンボジア・タイ 国境の旅2016(6)日本から高校生がやってきた

高校生がやってきた

Tさんは本当に忙しい。その中をお付き合い頂いているのだから、申し訳ない。今日もお客さんが来る(昨日来ると思い込んでいた人々)。私と全く同じルートで国境まで来る予定なので、一緒に迎えに出た。10時前に2台目のロットゥに乗り、彼らはやってきた。Tさんの地元愛媛から、高校生二人とその引率者、そしてもう一人女性も乗ってきた。総勢4人、皆大きなスーツケースを持っており、バス代の超過料金を取られる。入国書類を書き、無事国境を越えた。

 

引率者のSさんは愛媛で農業をしており、昨年もここを訪れている支援者。そして地元の高校生にカンボジア行きを募集したところ、高校二年生の男女1名ずつが応募してきたという。この歳で、カンボジアを見てやろう、という気持ちを持っていることが素晴らしい。さすがに陸路の国境越えは緊張したという。こういう経験は日本ではできないので、非常に重要だ。

 

男子は陸上競技をやっている、小柄だががっしりしたタイプ。何とも人が良い田舎の高校生だ。同級生からも『カンボジアへ行くのか』と驚かれたらしいが、行ってみたいと気持ちが勝ったのだろう。女子は一人っ子というから、さぞや両親が心配しただろうと聞くと『お父さんが行ってこい』と背中を押したらしい。天真爛漫に育ったのだろうが、どこへ行っても女は強い、と感じる。

 

まずは村人を訪問した。実は家の長男は、デマイナーとして地雷処理に当たり、その中事故で亡くなっていた。この事故はTさん不在の中で起こり、7名の方が亡くなったという。Tさんにとっては痛恨の大惨事であった。日本であれば『安全には万全を期したのか』など遺族から強いクレームが予想されるが、我々は実に温かく迎えられた。『息子はこの村のために作業をして、不幸にも亡くなった。誇りに思う』という言葉が突き刺さる。しかし残された両親、そしてたくさんの弟や妹の胸中はいかばかりか。

 

話を聞いていると奥さんが態々冷たい水を買ってきてくれた。これは何とも有り難い。言葉は通じていないが、気持ちは通じている。庭を見ると、古ぼけた石碑に日本の国旗が見えた。近づいてみると、そこには井戸があった。『この井戸ができるまでは、自家用水は1㎞以上離れた川まで汲みに行っていた』という。日本政府の援助で井戸が掘られたことにより、大幅に仕事が軽減された。

 

だがTさんは『他の家で、掘った井戸に落ちて亡くなった子供がいた。安全対策を取る必要もある』と厳しい顔になる。そこには起きてしまった事故に対する無念の思いが滲んでいた。村の人のために行っている活動で村の人が犠牲になる、これは非常に重い現実だ。ただ村人も、地雷が処理され、井戸が掘られることが、基本的には村の生活をよくしてくれることを理解しているからこそ、Tさんに対しても感謝の気持ちになるのだろう。もし少しでも金儲けのためにやっていれば、必ずや非難され、活動は中止となるはずだ。

 

初めての海外、勿論初めてのカンボジアで、いきなりこのような現実に直面した高校生は、一体何を思ったことだろうか。単純に『カンボジアの人のために何かできることを』などという感覚が、この現場では通用しない現実を見て、きっと何かを得ていくことだろう。しかも郷里の大先輩が、懸命にその道を切り開いている姿を横で見られるのだから、これは大きな財産になるのではないか。

 

事務所へ行くとまた雨だ。昨日は急に降り出した雨で靴を下に置いたままなのをすっかり忘れてしまい、ずぶぬれになった。扇風機で一晩乾かして、何とか履けるようになる。今日は同じ過ちを繰り返さない。ただ今晩は部屋を女性に譲って、私は特等席である階段脇のベランダで寝ることにしていた。壁はないので、夜強い雨だと濡れるかもしれない。どうなるのかな。また美味しくお昼ご飯を頂く。高校生も恐る恐る口に運び、美味しいとわかると食べ始めた。

 

午後は工場を見学した。キャッサバ焼酎を作っている。地雷処理が終わった場所にキャッサバが育つ。それを原料に焼酎を作る。焼酎を作った経験もないTさんがこれにチャレンジした。すごいな。既に4年前に私もお土産に買った。日本への輸出も決まりかけたが、成分の問題で輸出の話が止まってしまった。既にこの問題は解決しているようだが、現在は中国向け輸出を狙っている。非常にネバリ強い取り組みが行われている。工場内には醸造する機械が置かれており、スタッフが日夜研究にいそしんでいる。外には古い小型トラックがあった。使えるものは何でも使う。使う用途に合わせて改造して、何とか活用する。モノが溢れている社会ではないのだ。

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