《広東茶食旅(広州・潮州・深圳)2025》(6)ついに石古坪へ

昼ご飯を食べようと林さんが地元の食堂に連れて行ってくれた。いや2人しかいないのに、5皿ぐらい出てきて嬉しい悲鳴。鶏肉、旨いよね。野菜も柔らかいし、細めの米粉は抜群だ。浮豆腐という看板が見えたが、注文されず残念。かなりの量を食べまくったが、勿論完食できず、心残りとなる。

そしてついに車は石古坪に向かって動き出した。細い道をくねくねと15分ほど走ると、ちょっと小高いところに「石古坪」と書かれている。10年以上前から一度は来たいと思っていた場所に、思いもしない形でやってきてしまった。やはり茶旅恐るべし。古い廟の横には、茶葉が干されている。既に春茶の生産は始まっており、茶摘みに行く女性たちの姿も見えた。聞けば地元民はおらず、ほぼ福建省からの出稼ぎ者らしい。

のどかな村には畲族を示すものはいくつもあったが、展示館に入っても人もいないし、展示内容にも茶は入っていない。それでも周辺には茶畑が点在し、茶作りは行われていた。「石古坪烏龍」が話題になってから、製茶は盛り返しているのだろうか。文化館で聞いた通り、ここに住む畲族は数百人、というのも頷ける寒村だった。

また茶荘に戻り、お茶を飲む。林さんが「さっき松下先生の話が出たが、確かうちのおやじも案内していたよ」というので俄然興味が沸いたが、お父さんの姿はなかった。その内林さんの息子がやってきて車で茶畑に案内してくれた。そこは鳳凰山とは少し違っていて、鳳南という地域だというが、人家はほぼ見られず、自然の中にかなり大規模な茶畑があった。

茶工場がある所まで行くと、何とお父さんがお客を連れてきており、再会した。私が松下先生の名前を出したら、「そうか松下先生の弟子か(誤解ですが)」といって、急に親しげになり、何と「日本産電気シェーバーを買って送ってくれないか」と言い出した。そして微信でお金を私に送ろうとしていたので慌てて止めた。こういう話し、20年以上前は時々あったが、最近は聞いたことが無かった。しかもお父さんとは初対面、ほぼ話もしていない私を信じてお金を渡そうとしており、昔中国で日本人は信用されていたな、と思い出す。

また茶荘に戻り、茶を飲む。だが息子も林さんもどこかへ行っており、姿が見えない。そろそろ夕方なので帰ろうかと思ったが挨拶も出来ずにいると、何と車を呼んでくれており、運転手がやって来た。結局挨拶せずにその車に乗り込む。聞けば、潮州から車を呼んで山に来ることは出来ても、鳳凰鎮で普通に車を探すことは難しいらしい。林さんの配慮により、無事に潮州まで帰った。

そういえば運転手は帰りがけに寄り道した。何と山に上がってきた時、豆腐を買っており、それを知り合いに届けたのだ。彼によると鳳凰山の豆腐は美味いらしい。ついでに彼が言うには、潮州人は外のレストランであまり食事をせず、いい素材を市場で買って来て自分で調理して食べるらしい。

私はそうはいかなので、宿に戻ると夕飯を探した。近所にあった小さな食堂に入ると、そこの鶏も美味しかった。おばさんとちょっと話をすると、「確かにお客が沢山来ることはない」らしい。それで旦那は潮州賓館でバイトしているという。食堂は沢山あり、地元民は市場で買って家で食べるのでは、商売人は大変だろう。

3月19日(水) 潮府工夫茶文化博物館

朝はまた散歩に出た。昨日と同じ西湖付近を歩いて行くと、ちょっと良さそうな麵屋があったので入ってみた。牛雑粿条を注文して席を探したが、意外と混んでいて、長テーブルで相席した。ふと見るとその席の殆どの人が美味そうな粥を食べている。私も粥が食べたいなと思ってみてみると、何と彼らはここの従業員で食べていたのはまかない飯だった。これは中国あるある、だな。

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