バンコック ヨーガの旅2016(8)合宿の効果

そういえば、ワンサニットにミャンマーの坊さんたちがやって来た。ミャンマーと言えば、タイよりさらに保守的な仏教国であり、これまで多くの僧侶を見てきたが、今日やって来た彼らは若者が多く、皆がスマホを持ち、思い思いに庭の写真を撮っていた。そのはしゃぎぶりがおかしくて、『やはり本国では相当に抑圧されているのだな』などと勝手に思ってしまうほどだった。

 

聞くところによれば、ドミトリーの2階を占拠して、朝早くから夜遅くまで物音や話し声が煩かったらしい。まるで高校生の修学旅行のように思えた。ワンサニットの土ハウスにはスーチー女史の肖像画なども架かっており、ここはミャンマーと何らかの繋がりをうかがわせた。

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合宿の残りをも少なくなり、楽しみな夕飯の回数も見えてきた。今回の参加者はグループ化することもなく、各人が好きな場所に座るので、私も時々位置を変え、色々な人と話してみた。いつものことではあるが、実に様々な体験をしている人の集まりで、普通の日本人のグループとは会話もちょっと違う。それが何とも面白い。今回は来年インドを目指す人たちもいて、勉強には熱が入っている。不真面目なのは私だけだった。

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夜のビデオは最終回、中国・台湾編。段々日本に近づいてきており、参加者の感想も具体的になってきて、失った家族の話や実際の寺との関係などが語られた。正直私は『日本人はなぜ、自分のことより人のことを先に考えるのか』という課題を持っていた。仏教でも『まずは自らを』という上座部の方がどうしてもよく見えてしまい、困っていた。

 

今回の5回シリーズで仏教伝来の流れが見え、なぜ日本の仏教はこうなのか、これも一つの仏教なのか、といった疑問にある意味のヒントが出てきたように思える。『日本人自身、気が付かないうちに、そういう考えを持っている』ということなのだ。色々と戒律はあるのだけれど、仏教はこうでなければならない、ということがない。

 

中国に入った仏教は中国的に、台湾では台湾的に、現地との融合を経て、発展してきた。権力者が統治しやすい道具、という側面もあったかもしれないが、個々の人に心に根付くものがあったのに、私にはそれが薄かったから分からなかった、ということかもしれない。この問題は引き続き、見ていかなければならい。私が『なんか変だよ、日本人』と思ってしまう部分が、他人から見えれば『なんか変だよ、お前は』ということになっているようだ。

 

123日(土)
7日目

何だか来た頃より気温が上がっているように思える朝。早起きにも慣れ、瞑想中の正座にも少しは慣れ、こんな生活なら快適な心身が保てそうだと思う。私にとってのこの合宿の最大の効果は『規則正しい生活』『べジの食事』『文章を書かない』『朝から晩まで忙しいことによる、快適な睡眠』にある。これらがあると、体は確実に好転していくことを経験から分っていた。

 

僅かな時間に散歩するのもとてもよい。自然の中に身を置くと、非常に安らかになる。そして一転、講義では頭を働かせ、また実習でリラックス。そして食べたいだけご飯を食べ、昼寝をし、時には参加者の話を聞く。もう一つ大切なことは一緒に参加している人々かもしれない。よいメンバーに恵まれれば、それだけ効果が高いことも間違いはない。願わくば、もう少し男性がいて欲しい。

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男女にかかわらないが、特に男性は会社勤めなどで、『心の動作不良』を起こし、うつになるケースがある。『体の不安定、呼吸の乱れ』などで自律神経失調症などに見舞われていることもあり、それをずっと我慢していることがある。早目に切り替えるべきだが、学んだことはその解決の1つになるかもしれない。まあ、ここは病院ではないので、予防的な意味合いで基本的なヨーガの原理を知ることはよいかと思う。

 

夕飯に美味しそうな麺が出た。もうすぐこれが食べられなくなるかと思うと、ちょっと寂しい。インドなら『明日は出所だ』などと楽しみに思うのだが、ここタイでは、離れがたい気分になる。皆さんの合宿はもう少し続くのだが、私は明日で一足先に失礼する。因みにここの費用は実費、共通費用は概算で割り勘するのだが、とてもリーズナブル。そして講師への謝礼はダーナ方式。いくらお渡しするかは自分が決める。私もお茶会や報告会でこのダーナを採用してみたいと思っているが、どうだろうか。

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夜のトラータカではついに今回も全く涙なし。いかなる緊張が入っているのだろうか。体はアーサナでかなり緊張がほぐれるようになってきたというのに。今晩はNHKの別の番組、インドのチベットと呼ばれるラダック編を見る。ラダックにはもう6年も前、流されるように行ったことがある。

 

インドでありながら全くインドではない場所。チベット仏教がそのまま残った街。日本の仏教が葬式仏教になってしまったのと対照的に、ここでは僧侶の中で医師の役目を果たす人がおり、病人の面倒を見る。人が死ぬ間際もやってきて、より良き来世を祈ってくれる。そして死者に対する対応も独特だった。富士山ほどの標高にあり、過酷な条件で生きていく人々、そこに真の生活を見る思いがした。

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