《広東茶食旅(広州・潮州・深圳)2025》(5)突然の鳳凰山で畲族文化館へ

3月18日(火)突然の鳳凰山で

昨晩は寒くて色々と着込んで何とか寝た。まあ南国あるあるかな。朝も晴れているが、爽やかな天候。朝飯を探しに外へ出た。旧市街地の方へ歩いて行くと潮州西湖という公園に出くわしたので、その中を歩いて行く。そこを抜けていくと6年ぶりの旧市街が出てくる。何とも懐かしい光景だ。前回は茶旅だったはずだが、張さんのお陰でこの辺を中心に1日4₋5食は食べていた気がする。

潮州の朝といえば腸粉かなと思い、一軒の店に入る。あの懐かしい大きな、卵入りの腸粉があっという間に出来上がる。広東の白っぽい腸粉とはまるで違うものだ。ごまだれのような物を掛けて食べる。この周辺には、民国時代に共産党に入党し、犠牲となった人々の家にプレートが嵌められ、今も称えられている。実は革命に参加した人は多いようだ。

一旦宿に戻り、もう1泊する手続きをした。色々と問題はあるのだが、新しいホテルは郊外にあることが多く、立地と料金を考えて延泊となる。そしてこれから鳳凰山に向かうのだ。昨日ご馳走してくれた柯さんが「折角潮州に行くのなら」とお茶屋さんを紹介してくれたので、当初の予定にはなかった山登りとなる。車を呼べばすぐだと言われたが、本当に40分ほどで鳳凰鎮に着いてしまった。なんとも便利になったものだ。

指定された茶荘には林さんが待っていてくれた。ただ彼も私が何の目的で来たのかは分からないから、取り敢えずお茶を淹れて様子を見ていた。私も予定外の行動だったので、どうしようかと思ったが、車が上って来る時、地図に「石古坪」という地名が出てきて気になっていたので、それとなく「石古坪は近いのか」と聞くと「興味があるなら行くか」とすぐに腰を上げたのでびっくりした。

石古坪は畲族発祥の地とも言われており、茶にも大いに関連がある場所。いつかは行ってみたいと思っていたが、こんな簡単に実現するとはなんという幸運。ところが車は僅か3分で停まってしまう。見ると畲族文化館と書かれた建物があった。そして林さんはいう。「俺の奥さんは石古坪の畲族なんだ」と。これには心底驚いた。

館内に入ると若い女性が案内してくれた。畲族の婚礼衣装などが飾られていたので「あなたもこれを着るんだね」というと、彼女は「これは昔の物だから着ない」ときっぱり言うので驚いた。漢族化はかなり進んでいる。同時にこの地域の畲族は今や福建、江西、浙江などに分散していて、僅か数百人しかいないという現実もあった。そして肝心の茶の歴史関連の展示はほぼなかった。

ちょっと拍子抜けしながら入り口でお茶を飲んでいた林さんのところへ戻る。お茶を淹れていたのは、何と林夫人のお兄さん、つまり畲族であり、この館の責任者らしい。藍さんに「畲族と茶の歴史」について知りたいのだが、と聞いてみると、何とその答えが「知りたければ日本の松下先生に聞け」だったので、もう本当にびっくりした。

「40年前に松下先生がここへ来て色々と調べてくれた。その時村に居て案内もした」というではないか。私は数年前松下先生から石古坪の畲族についての話を長時間聞いた記憶が蘇り、何だかとてもワクワクしたが、それから誰も深く研究していないらしいことが、今の中国と少数民族の関係を何となく示しているように思われた。いや、結構微妙なテーマなので、知っていても発表されないだけかもしれない。

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